21 特別
商談会の準備で忙しい日々が過ぎ、ジークが表に出て5日が過ぎた。
昨日の夜。私はジークに『そろそろあいつが出て来る、お前はよく働いてくれた。少し休め』と言われた。
そして――6日目の朝。
私はいつもの時間に起きて、洗濯を干していた。
「今日もいい天気。洗濯物がよく乾きそうだな……」
干した洗濯物を眺めていた時だった。
バタバタと足音が聞こえて勢いよく扉が開いて、息を切らしたジークが走って来ていた。
「おはよう」
あいさつをすると、気がつけば私は腕の中にいた。
「アリシア。よかった、まだここに居てくれたのですね!!」
(あ……ハロルドだ……)
今、目の前にいるのがハロルドだとわかり、私もハロルドを抱きしめ返した。
久しぶりに感じる彼の腕の中は本当に大きくて……あたたかい。
私は改めて彼に対してあいさつをした。
「《《おはようございます》》、ハロルド!」
するとハロルドが私を見て嬉しそうに笑った。
「ふふふ、おはようございます」
そしてハロルドが私の頬やおでこや、まぶた、鼻の頭に次々にキスをした。
少し触れるだけのキスの雨。
「ふふふ、くすぐったい」
私がハロルドを見上げて笑うと、ハロルドが切なそうに私の頬に片手を伸ばした。
「ずっとあなたと一緒にいたのに、目覚めたら自分の部屋に一人で……焦りました……」
そう言われて、私は前回ハロルドと別れた場面を思い出した。
(そういえば……ベッドに……)
――押し倒されたような……
ずっとジークと商談会の準備をして考えないようにしていたことを思い出して顔に熱が集まる。
「ふふふ、思い出してくれたんですね。顔が真っ赤です」
ハロルドが笑ったので顔を上げると、彼もまた嬉しそうに笑って目を細めていた。
そんな彼の顔を見ていると私まで体温が上がる。
彼の顔が近づいて、唇が唇に触れた。
そしてハロルドが私から顔を離すと、私の手を取った。
「一緒に馬小屋に行きませんか?」
どうやらこれからハロルドはアルタクのお世話をするようだ。
「行きます」
ハロルドは嬉しそうに笑うと、私の手を引いて歩き出した。
繋いだ手から彼の体温が伝わって来た。
心臓の音は大きくて、落ち着かないのに……安心する。
不思議な感覚だった。
「ハロルド、今日の朝ごはんは何が食べたいですか?」
私は嬉しくて次々に言葉が口から飛び出した。
そして彼も私の言葉に笑顔で答えてくれる。
「そうですね……焼きたてのパンが食べたいです」
「ふふ、じゃあ、馬小屋の掃除が終わったら作りますね」
「ありがとうございます」
ハロルドと手を繋いで話をしながら、馬小屋までの道を歩いた。
ただそれだけのことがどうしようもなく――楽しい。
「ここです。紹介します。彼がアルタクです」
馬小屋は想像以上に立派で、とてもきれいに保たれていた。
水も湧水を引いているのか、常に新鮮な水が流れて、飼葉なども十分に蓄えがある。それだけではなく、他にも食材がストックしてある。
2人が丁寧に世話をしているのが一目でわかる場所だった。
「ハロルド、何か手伝えることはありますか?」
私が尋ねるとハロルドは少し考えて、真剣に言った。
「そうですね……では、ここに立ってくれますか?」
私は馬小屋の入り口の手すりの前に立つよう言われた。
(ここに立って、何をするのだろう?)
首を傾けていると、ハロルドが身体をかがめて私の頬にキスをした。
「そこで見ていてください」
「え? それって……全然手伝いになっていませんよ?」
ハロルドは全力で首を横に振った。
「とんでもない。アリシアさんがいてくれたら身体が自然に動きます。ですが、どうしても手伝ってくださるというのでしたら……目が合ったら手を振って応援してください」
「そんなことでいいんですか?」
「はい!!」
私はハロルドをじっと見ていた。
そして、彼と目が合うと手を振って「ハロルド~~」と言った。
ハロルドは嬉しそうに笑うと、機嫌よさそうに掃除をしたり、エサの用意をしたり、ブラッシングをしたり忙しそうにしてた。
だが、私は本当にハロルドの働いている姿を見ているだけで何もしなかった。
「ありがとうございました!! 終わりました」
ハロルドにいい笑顔でお礼を言われたが、私は何もしていない。
「あの、ハロルド。私は何もしていませんが……もっとできることがあったのでは?」
「実は、私も途中で思いました」
(あ、やっぱり思ったんだ)
「小屋の後ろに移動すると、あなたが見えない」
「……へ?」
「今度からは、私の視界に入るところに移動してほしいな、と」
それは結局、何も手伝いになっていないのではないだろうか?
それでいいのだろうか、と考えているとハロルドが手をきれいに洗って、私に近づくと彼は片手で私を抱き上げた。
「ええ!? ハロルド!?」
私は落ちないようにハロルドの首に手を回した。そんな私を見てハロルドは上機嫌に言った。
「さぁ、行きましょうか」
「行くって……どこにですか?」
「そうですね……あなたを抱きしめられるところならどこでも……」
冗談かとも思ったが、ハロルドは本気だ。この目は本気だ。
「待ってください。ごはんの用意をします。お腹すきましたよね?」
ハロルドに抱き上げられているので普段よりもずっと視線が高くて、彼を見下ろすようにして言った。
すると抱き上げられたままぎゅっと抱きしめられた。
「きゃ」
「わかりました。ではキッチンですね」
そしてハロルドは私を抱き上げたまま歩き出してしまった。
その後、私は料理を作る姿を椅子に座ったハロルドにじっと見つめられて、食事を作って二人で話をしながら楽しい食事の時間を過ごした。
食事が終わるとハロルドは、ダイニングテーブルの椅子から立ち上がり、ソファに移動して両手を広げた。
「アリシア、ここへ……」
私は立ち上がると、ハロルドの前に立つと彼に抱きしめられた。
腰の辺りに彼の頭があったので、撫でると髪の毛がサラサラでとても心地よい。
私が彼の頭を撫でていると、ハロルドが私を見上げた。
「気に入りましたか?」
「ふふふ、はい。とても気持ちいいです……」
私はハロルドを見ながらずっと気になっていたことを尋ねた。
「ハロルド……本当に、アトリエにある絵を全部売ってしまってもいいのですか? 商談会の準備は着々と進んでいますよ」
ハロルドは私を見上げると、真剣な瞳を向けながら言った。
「ジークからの報告は確認しました。あなたの絵を売らないのなら、他の絵は売っても問題ありません。ですが……」
ハロルドは私の手を取って私の手の甲に頬を付けると切なそうに言った。
「あなたに迷惑をかけるつもりはなかったのに……商談会の準備大変だったみたいですね。手伝っていただいてありがとうございます」
私はハロルドを見て微笑んだ。
「ハロルドの絵が素敵な方の手に渡るように、私にできることはお手伝いさせてください」
ハロルドは私の腰に再び顔を寄せた。
「ああ、私は本当に果報者です。あなたのような女性に出会えた奇跡にいくら感謝しても足りない」
私はハロルドの髪を撫でながら言った。
「私もあなたに会えて本当によかったと思います」
本当はもっとハロルドに聞きたいことがあった。
シーツの話に、母親に閉じ込められた話……でも聞けなかった。
私は今のハロルドと二人で過ごすこの時間を失いたくなかったのだ。
(ああ、私って利己的な人間なのかもしれない……)
自分の後ろ暗い感情に気付くと、胸の中に霧がかかったような感覚になり、気が付けばハロルドの肩を少し強く掴んでしまった。
それに気づいて慌てて手を緩める。
「……ガーデンパーティーをどうするか、悩んでいるのでしょう?」
ハロルドに声をかけられて、私はハロルドを見た。
「は、はい」
実はジークは商談会の会場にはかなり詳しいのだが、ガーデンパーティーの知識はほとんどないらしい。
私もほとんどお茶会に参加したことはないのに、ましてやガーデンパーティーには一度も参加したことがなかったので、困っていたのだ。
ハロルドは立ち上がり、私の手を引いて歩き出した。
「行きましょう。実際に行ってどうするのがいいか、二人で考えましょう」
私は気が付くと笑っていた。
「はい!! 一緒に考えたいです!!」
私はハロルドと手を繋いでアトリエの庭に向かった。
ハロルドのために何かできることが、ハロルドと一緒に何かをできることが、自分で思った以上に嬉しかったのだった。




