17 恐怖の裏側
夜会に着ていくようなドレスに、貴族のお茶会に着て行くようなドレス。
どれもセンスがよく、また驚くほど私をいつも以上に魅せてくれる最高の物ばかりだった。
(どうしよう……こんな服をもらっても着る機会がない……)
どれも貴族令嬢が着るような服ばかりだ。洗濯をしたり、掃除をしたり、料理をするには適さない。
つまり、今の私の生活では、彼に買ってもらった服を着る機会がないとハラハラしていると、ハロルドが深いグリーン、ビロウド色のそんなシンプルなワンピースを手に取った。
(あ……あれなら普段着られそう……)
少しほっとしていると、ハロルドが背後に立って私にその服を合わせてくれた。
私のダークブラウンの髪によく馴染み、目の色と似た色で、『どうして今までこの色の服を選ばなかったのか』と疑問に思うほど、よく似合っていた。しかも動きやすそうで普段から着られそうだ。それなのに、見た目は全く違う。
(これが……私?)
自分でも鏡の中の自分に見惚れていると、ハロルドが目を細めて嬉しそうに言った。
「やっぱり……よく似合いますね……」
そしてハロルドは私の首に唇を近づけたかと思うと、そっと唇を首に押し当てた。
ピリッと全身に電気が走るような感覚がして、足の力が抜けそうになる。
唇で首に触れられただけなのに、まるで血を抜かれたようにふらふらとしていると、ハロルドが鏡越しに私をじっと見つめた。
「ああ、実際に見たいな……着替えさせてもいいですか?」
――え?
一瞬何を言われたのかわからなかったが、気がつけば私はハロルドにボタンを外され、ボロボロのワンピースを脱がされ、下着姿になっていた。
――私……どうして脱がされて……
困惑している間に、ワンピースよりさらに、使用感のあるヨレヨレの下着姿の自分が鏡に映る。
そして気が付けば、ビロード色のワンピースに身を包んでいた。
みすぼらしい自分が一気に上品な女性に生まれ変わる。
ハロルドは、ビロード色のワンピースに身を包んだ私を見て嬉しそうに笑った。
「ふふ、やはりよくお似合いですね」
だが、私はますます一人で混乱していた。
(今、私、服、脱がされたよね? しかも流れるように自然に服、脱がされたよね!? これっていいの? 普通なの? いやいやいや普通じゃないよね!?)
混乱する私に、ハロルドは最後に濃紺のワンピースを私の前に合わせた。
「うん。やっぱりこの色も似合うな……ぜひこれも普段着てくださいね」
そしてハロルドはフリルのついた、まるでメイドさんが着けるようなエプロンを二つ差し出した。
「これを上からつければ今と同じように動けるでしょう?」
私は、紺色の服とエプロンを2枚持ちながらなんとか声を出した。
「あ、ありがとうございます」
「ふふふ、下着や寝衣も私の用意した物を身に着けてください……お願いします」
またしても背中に冷たい汗が流れた。
ハロルドは笑っているのに、言いようもない違和感を覚えた。
そしてハロルドは私から離れると、洋服やバッグなどを大きなベッドの半分に置いて、シーツを渡した。
「いつものように着替えて、待っていてください。私は用意をしています」
私はシーツを受け取ってうなずいた。
ハロルドが部屋を出ると私はへなへなと床に座り込んだ。
(今のは……何? 私、普通に脱がされて、下着姿見られたよね?)
ハロルドは私の服を脱がせても、下着姿を見ても一切態度が変わらなかった。だが、それはそれで女としてはいいのだろうか?
もしかしたら、ハロルドにとって私のきれいを発見するということが目標になっているのかもしれない。
彼の中で私は一体どんな存在なのかわからないが、私をきれいにしたいと思ったことは確かだと思う。
ジークに買ってもらった服を着ている私を見て、彼の中の芸術家の血のようなものが騒いだのだろうか?
私はそんなことを考えながら、ハロルドに渡されたシーツを撫でた。
(これも……初めて使うシーツだ……)
これまで私がモデルの時に身に付けていた物とはどれも違うし、私は、これまでアトリエで使ったシーツを洗濯したこともない。
一体、何枚シーツが用意してあるのかわからないが、毎回替えるのはもったいない気がするが、これが彼の芸術家としての譲れない何かだとするのなら、私にはこれ以上口を出すこともできない。
じっとシーツを見ていると、ノックの音が聞こえた。
「アリシアさん、用意できましたか?」
扉の向こうからハロルドに声をかけられて、はっとした。
時間をかけてまたしてもハロルドに、服を脱がされるわけにはいかない。
「もう少し待ってください!!」
私は急いで服を脱いで、上半身に身に付けていた下着を取ると、シーツを巻き付け声を上げた。
「どうぞ」
そしてハロルドが部屋に入ってきていつも通り、キャンバスの前に座って筆を持った。
いつもと同じ真剣な表情。
いつもと同じ場所。
それなのになぜだろう。
いつもは安心できる癒しの空間が、今日は緊張感が漂っていた。
私はハロルドに視線を向けずに、窓の外を見つめて、心を落ち着けようとしていたのだった。
◇
今日のシーツも肌触りがよい。
陽も傾いてきたが、まだまだ外は明るい。
私は外を見ながらぼんやりとしていた。
(今日の夕食は……)
献立を考えていた時だった。
「ふぅ……」
静かな部屋に、ハロルドが息を漏らした声が響いた。
ハロルドの方に顔を向けると、ハロルドが疲れた顔で私を見て微笑んだ。
「アリシアさん。モデル、ありがとうございました。絵が完成しました」
私はハロルドを見て微笑んだ。
「おめでとうございます」
私の胸の中は安堵でいっぱいだった。
正直に言って、この姿でハロルドの前に座っているのは怖かったのだ。この恐怖というのを説明するのは難しいが、暴力を振るわれたり、嫌なことをされるのではないという恐怖ではない。
彼に真剣な瞳を向けられると、自分の中の知らない自分や抑えていた感情があふれ出しそうで……怖いと思うのだ。
最初は軽い気持ちで引き受けたが、あまりにも自分の中に様々な感情があるのを自覚して、怖くなった。
だが一度モデルを引き受けてしまったので、途中で投げ出すことも憚られたので、耐えていたのだ。
ハロルドはキャンバスの前から立ち上がった。
「それでは、私は外に出ているので、着替えてもらってかまいません」
「わかりました」
私もベッドから立ち上がろうとすると、ハロルドが優しく微笑んだ。
「ああ、そうだ。下着なども全て新しい物を身に付けてください。これまでのあなたの物は……私が全て処分しますので……」
優しくて紳士的な顔で放たれる言葉たち。
その言葉は私に明らかに誤摩化せないほどの『恐怖』という感情を植え付けた。
人から向けられる愛情が、執着が、恐怖心を煽ることがあるなんて、自分でも知らなかった。
彼の愛を受け入れたら、きっと自分は変わってしまうだろう――変わるのは……怖い。
「では、外に出ています」
ハロルドが外に出たが、私はほとんど無意識に彼の後を追っていた。
『処分はしなくていい』『まだ使えるので今のでかまわない』と、彼の買った物に着替える前に、そう伝えたかった。
着替える前に伝えた方がいいような気がしたのだ。
一度に全てを変えるのは……
一度に全てを失うのは……
怖い……
そして私の瞳にキャンバスが飛び込んで来た。
(…………)
そして、扉に向かう途中で彼の描いた絵を見て思わず固まった。
まるで呼吸が止まりそうなほど……衝撃を受けた。
胸の周りに巻いていたシーツが床に落ち、胸が外気にさらされた。普段ならすぐにシーツを拾い上げて隠すだろうが、そうすることはしなかった。
その時の私は、ハロルドが描いた絵を見て動けなかった。
…………これが……自分?
全身の血液や思考は入れ替わってしまうような衝撃だった。
なぜだろう、彼の愛も執着も全て受け入れてしまえるような……そんな絵を見た瞬間、私の中で何かが変わった。
私は自分から自分を隠していた全ての衣類を脱ぎ捨てた。
そのままゆっくりと、ハロルドが用意してくれた服が積み上げられた場所まで歩いた。そして、これまで身に着けたことのない大人びた布の少ないデザインの下着を手にして身に着けた。
そして、ビロード色のワンピースに着替えて鏡の前に立った。
――鏡の中には別人が立っていた。
巨匠ハロルド・ベールの絵は、一瞬で私の意識を変えた。
それほど強大な力のある絵だった。
ガチャリと扉が開いて、ハロルドが入って来た。
彼は私が脱ぎ捨てたシーツや下着を拾い上げると、私を見て微笑んだ。
「あなたはとても――美しい。好きです。アリシア……」
私も彼をまっすぐに見つめて答えた。
もうこれまでの自分が変わってしまう恐怖は感じなかった。
そして生まれた心の動き。
これを人は――覚悟というのかもしれない。
「……私も――あなたが好きです」
貴族とか、立場とか、捨てられた過去とか……全て捨て去った、裸の自分の出した心からの答えだった。
「アリシア……」
そして気が付けば、私はハロルドの大きな腕の中にいた。
ハロルドに一体どんな事情があるのか、わからないし、これからどうなるのかもわからない。
でも、この人と一緒に居たいと……覚悟を決めた。




