15 確信
「お会いしました……ジークに」
私はハロルド様を真っ直ぐに見て答えた。
そして次の瞬間、ハロルド様に抱きしめられた。
きつく――痛いほどに……
「どこにも……行かないでください。どうか、ここに……居てください……」
まるで何かに怯えた子供のように震えながら声を上げるハロルド様を、そっと抱きしめた。
「ハロルド様、私の居場所はここにしかありません」
「え?」
ハロルド様が腕を緩めて、私を見た。
「婚約破棄をされて、居場所がないって言ったじゃないですか。ですから、ハロルド様が『出て行け』と言わない限りここに置いてください」
不安そうに見つめられて、優しく伝えるとハロルド様がじっと私を見ながら言った。
「婚約破棄……居場所がここにしかない?」
「はい」
私がうなずくと、ハロルド様が小さな声でつぶやいた。
「(そうか……婚約破棄……居場所……)」
そして私を見て真剣な顔をしながら言った。
「絵を完成させましょう!」
「え?」
突然の提案に私は驚くしかできない。
なぜ突然、絵を完成させる話になったのだろうか?
ただ、目の前のハロルド様は一点を見つめて、「絵を完成させなければ」とつぶやいて怖い。
私はハロルド様の顔をのぞきこんで、視線を合わせた。すると驚いたハロルド様と目が合った。
「ハロルド様、まずは食事にしませんか?」
ようやくいつもの表情に戻ったハロルド様が小さく笑った。
「食事……ああ、そういえば、お腹が空きました」
「ふふふ」
(よかった、やっと私の知ってるハロルド様になった……)
私も嬉しくなって頬を緩めると、ハロルド様は嬉しそうに目を細めた。
「そういえば……そろそろ買い物に行かなくてはいけませんね」
私は微笑みながら答えた。
「先ほど、買い物を済ませてきましたのでしばらくは大丈夫ですよ」
絵を完成させたいとおっしゃっていたハロルド様の手間を省けるので喜んでくれると思って笑った。
ところが……
「え……」
ハロルド様は私をじっと見つめた後に切なそうに視線を逸らした。
そして、低い震えた声で言った。
「ジークと……ですか?」
突然態度の変わったハロルド様に困惑しながらもうなずきながら答えた。
「……はい」
そして長い沈黙の後、ハロルド様の視線がある一点を見つめて固まった。
「あれは……『シェリール』の箱……」
そしてハロルド様は、凄い勢いで私をじっと見つめた。
「その服……どうされたのですか? これまで着ているのを見たことがありません」
ハロルド様が絶望的な顔で私の腕に触れた。ぎゅっと服の袖を握りしめて、服にぐしゃりとシワが寄る。
彼の重く暗い瞳が、私に突き刺さるようで、背中に汗が流れるのを感じたが、黙っているわけにもいかずに、ゴクリと息を呑んで口を開いた。
「……これまでの服は……ふさわしくないとのことで、ジークに用意していただきました」
するとハロルド様がまたしても、絶望した顔になりさらに私の服を握りしめ、袖口がビリッと破れる音がした。
彼の怒りや絶望が伝わって来るが、もう、どこに彼の地雷が埋まっているのかわからずにパニックになりそうだった。
「ジーク? 彼のことはそんな風に呼んでいるのですか?」
名前の呼び方のことを指摘されて、うなずいた。
「……はい。『様』などを付けずに呼んでほしいと……」
どんな態度を取って、どんな返答をすればいいのかわからない。
私は自分がハロルド様を傷つけていると罪悪感を覚えながら答えた。
一瞬、頭に――浮気……という言葉が浮かんで……打ち消した。
そしてハロルド様は、片手を上げた。
(ぶたれる!?)
思わず目を閉じると、頬に手の平のあたたかさを感じた後にすぐ、唇に柔らかさを感じた。
(え……)
思わず目を開くと、泣きそうな顔のハロルド様と目が合った。
「私はアリシアさんに『好き』だとお伝えしました。あなたはどうですか?」
心臓の音がうるさいほどに大きく感じる。
血液が身体の中を高速で巡るように感じる。
異常事態だ。
全身がそう感じて危険信号さえ出している気がする。
身体が固まって、言葉が出ない。
すると、再びハロルド様の顔が近づいて来て目を閉じた。
今度はさっきの触れるだけではなく、まるでキスをしていると私の脳に伝えるような……ゆっくりと長いキス。
そして耳を撫でて顔を離した。
「好きです、アリシアさん。私にキスをされるのは……不快でしたか?」
必死な顔で私を見つめるハロルド様の瞳に吸い込まれそうになり、私は彼の問いかけに無意識に答えていた。
「いえ……不快だとは思いませんでした」
突然のことに驚いて、身体も思考も口も動かなかったが、決して嫌ではなかった。
むしろ――
「そうですか、今はそれで十分です。ですが……」
ハロルド様は私を見て目の奥がゆらゆらと揺れるように熱を帯びた視線を向けながら言った。
「私のことも『ハロルド』と呼んでください」
私は拒否することが出来なくて、うなずいた。
そしてハロルドは私の頬を手で撫でると、つらそうに言った。
「あと……その服は……着替えていただけませんか?」
「え……?」
「あなたの服を用意することまで、頭が回りませんでした。そこは反省してます。ですが、他の男の選んだ服を許せるほど、私は心が広くない。今も、あなたからその服を剥ぎ取りたくて……たまらない」
ジークのことを明確に『他の男』と言うハロルドを見て、彼にとってジークが別人なのだと理解した。
(やっぱり……二人は全く違う人格を持つんだ……)
ゾクリと背中が冷たくなり、私はうなずいた。
「わかりました」
ハロルドは、立ち上がり廊下に散らばった箱を全て抱えて私を見下ろして……笑った。
「この服は私が《《処分》》します」
処分を力強く言うと、彼は自分の部屋に向かった。
私はその背中を唖然としながら見つめていた。
すると、一度部屋に入ったハロルド様が、ジークの買ってくれた服を箱から出して無造作に肩から掛ける鞄に突っ込みながら出て来た。
「全部ではなかったのですね。一着はあなたがここに着てきた服でしたが……あれも私が処分します。その服も着替えたら、私に渡してください」
そして座り込んで唖然としている私の前に跪くと、私の頬に手を添えて優しげに微笑んだ。
「少し町に行ってきます。戻ったら、昼食にしましょう。その後に、絵のモデルをお願いします」
私は無言でうなずくと、ハロルドは私のおでこにキスをして美しく微笑んだ。
「では、いってきます。戻って来るまでに着替えを済ませてくださいね」
言葉に圧を感じてうなずいた。
「はい……いってらっしゃいませ……」
私はそれだけを口にすると、階段を下りて行くハロルドの後ろ姿を見てしばらく動けなかった。
すると1階でバタンと玄関の扉が閉まった音が聞こえた。
その瞬間、緊張して張り詰めていた身体の力が抜けた。
「今のは……何?」
そして自分の着ている服をじっと見つめた。
袖口がシワになるだけではなく、破れている。
(せっかく、ジークが買ってくれたのに……)
正直に言ってジークがこの服を買ってくれた時、とても嬉しかった。
それにこの服は着心地もいいし、本心では脱ぎたくない。
――だが、ハロルドの前でこの服を着続けることにも抵抗があった。
明確にこの服を着ることを否定されたのだ。しかもハロルドは私に『好き』だとはっきりと言ってくれた。
(私、ハロルドのことが……好きなのかな?)
そして私の脳裏にはジークの顔が浮かんで、同時に『裏切り』という言葉が浮かんできた。
(そんなの……わからないよ……だって……同じ人なのに……違うって……ジークだって、必要だから用意してくれただけなのに……)
ジークは単純に私がボロボロの服を着ていたのが、この屋敷に相応しくないと思って、買ってくれたに過ぎない。
でもハロルドは、私が『他の男が選んだ服』を着るのを嫌がった。
意図が違う。
私は立ち上がって、自分の部屋に向かった。
(とにかく、今はいつもの服を着よう)
私は自分の部屋に戻っていつもヨレヨレで、ところどころほつれてボロボロになった服に着替えた。
そして、部屋を出て1階に下りて大きな窓ガラスに映った自分の姿を客観的に見つめた。
(確かにこのお屋敷内をこの姿で歩くのは……みっともないかもしれないな……)
そんなことを思いながら、私は残りの家事を済ませることにした。




