【3】パンケーキミシミシガメ
振動で上に跳ね上げられてがちんと歯が噛み合う。危うく舌を噛みかけた。
地震、だとしたら相当まずい。ショッキングスコーピオンから逃げていた間に痛感したことだが、勘違いでなければこの森は森とは思えないほど地盤がゆるい。
まかり間違っても家が建てられるような土地ではないのだ。そこでの地震。一発で倒壊もあり得る。
身構えて万が一のための逃走経路を脳内シミュレートする僕とは対象的に、アーネリカはのほほんと笑顔を浮かべてこう言った。
「丁度いいですね」
「丁度いいって何が……」
「どうぞこちらへ。紹介します」
「紹介?」
困惑しっぱなしの僕の手を取り、迷わず勝手口らしい簡素な扉に向けて歩いていくアーネリカ。
どのみち家から出ることは賛成だったので手を引かれるまま進む。勝手口の外は、なんと形容すればいいのか……どうにか絞り出した例えは、『たいへん美味しそうな色をしている地面』だった。まず思い出したのはコッペパン。次いで脳内から出てきたのは丸パン。とにかくパン生地をものすごくうまいこと焼いたときのようなきれいな色の……やたら固い地質の庭がそこにあった。硬いというか、なにかの層、あるいは一枚岩と言われたほうがしっくりくるような、つるつるの平べったい地面が庭一面に続いている。
アーネリカはその庭をずんずん進む。すると、庭の端にたどり着いた。
庭の端、それ以外に形容のしようがなかった。だって断崖絶壁なのだ。そこだけきれいに切り取ったように、円状になっているであろう断崖絶壁が広がっている。
その断崖絶壁に添えられる左手並にそっと置かれている縄梯子を展開して、アーネリカはするすると下に降りていった。
とりあえずその後に続くと、気絶する前に逃げ回っていた森に降り立った。
あの森の中に、異質な一枚岩が丸ごと乗っかっているような状態らしい。その周りを散歩でもするように、アーネリカは歩き出す。
そこそこ歩いた先で、アーネリカは立ち止まった。そして一枚岩をノックするようにコンコンと軽く叩く。
すると、一枚岩が動いた。超巨大な平べったい丸い一枚岩が、だ。
天変地異か、いや先程の地鳴りの弊害か……と考えた次の瞬間に、一枚岩と目があった。
凄腕のパティシエが作ったチョコレートボンボンのような、とてつもなくキラキラした茶色い目と。
「……一枚岩に目?」
はて、と口にした瞬間に、その目がついている『頭』が、収納されていた長い首によって持ち上げられる。
そして、眼の前のそれは元気に手足を持ち上げた。
「ペェちゃんです」
アーネリカが笑顔でそう紹介してくれる。
爬虫類特有のえもいわれぬつぶらな瞳、首や頭、手足を収納する生き物……いや鳴き声がどうだったかは定かではないが、多分一番近い生き物は。
「亀……!!」
「はい。パンケーキミシミシガメという種類です」
「デッッッッカ!?」
岩だと思っていたものは亀の甲羅だった。
パンの生地色の肌を持ち、パンケーキにしか見えない甲羅を持った馬鹿でかい亀。
ちょっと大きめの一般家庭の私有地くらいある亀の甲羅の上に、シル◯ニアファ◯リーの赤いお屋根のお家のような家が建っていたらしい。
つまり庭だと思ってた美味しそうな地面も、あの断崖絶壁も全部甲羅。
サイズ比のせいでさっきまで僕が寝ていた家がクリスマスケーキの砂糖菓子にしか見えない。
190センチの男が窮屈にならず暮らせる家が、だ。
あまりにも巨大なその亀は大きな目で僕を射抜き、ゆっくりと頭を持ち上げて、そして吠えた。
「ペェ!!」
「いや声高いな!?」
吠えた、と言うよりは鳴いた、が適切であろう覇気のなさすぎるその声はあまりにも可愛らしかった。
感覚的には、ファゴット吹いたらピッコロ並みに高い音が出た感じである。
なんかこんな子供の玩具でこんな音が出る物があった気がする。
そして鳴き声がペェだからペェちゃんと。なるほど猫にニャーニャーって名前つけるタイプだなさては。
「この子と旅をしてるんです。良ければ町までお送りしますよ」
「それは有難――」
僕の言葉尻を掻き消すように、落雷のような爆音が場に響く。近くに落ちたかと警戒したが、特に衝撃やら何やらが襲う気配もない。
安心してアーネリカの方を振り向くと、顔が真っ赤になった彼女がお腹を抑えていた。
……紳士たるもの、察して余計な恥はかかせないものである。
「なんかお腹が空いたなー……申し訳ないんですが、少し恵んでもらえたりは」
「えっ、ええ!はい!もちろん!」
よほど恥ずかしかったらしいアーネリカは、何故かそのまま僕を抱えた。まるで体重が消えた錯覚を覚えるほどにあっさり抱き上げられ、動揺と男としての自尊心の喪失が同時に襲ってくる。慌てて振り払おうとしたがびくともしない。
顔を見上げれば、真っ赤な顔と揺れ動く瞳が虚空を見つめている。動揺しているらしい。なるほどこれは話を聞いてくれないやつだ。
ひっそりと覚悟を決めるとほぼ同時に、跳躍。軽々と庭の上に降り立ったアーネリカは、何故かそのまま家に向かって歩を進める。そう、僕を抱きかかえたまま。
「家には色々な調味料や食料がありますから、ぜひ好きなものを使ってください」
「アーネリカ」
「町は近いですから、遠慮などなくどうぞ」
「アーネリカさん」
「揚げ物とかもきっと素敵で……」
「オロシテ……オロシテ……」
「えっ」
めいいっぱい抵抗してみたが歯は立たず。アーネリカは僕を抱えたままキッチンまで歩ききってようやく、両手で顔を隠した僕の訴えに気づいたらしい。
慌てて解放されたがすでにプライドは惨状である。いや元から千切りくらいにはボコボコになっていたけれど、フードプロセッサーに入れられたほどに悪化していた。
「すみません!!」
「気にしないで……キッチンお借りします……」
「あ、どうぞ!」
ひとつ息を吸って、吐く。頭をクールダウンさせてから包丁を取る。
アーネリカはキッチンの入口に立ち、楽しそうにこちらの様子を眺めていた。ついでにいそいそと可愛らしいエプロンを持ち出している。どうやら手伝ってくれる気満々のようだ。
だがこちとら救われた身、その上場所と食料すらお借りするのだ。さすがに手伝いまでされては立つ瀬がない。
どう断ったものかと指先で頬をかくと、そこで何かを感じ取ったらしい彼女は踵を返す。こちらを尊重してくれたらしい。
「……やりますか」




