第八話「暗号名《SAKURA》」
爆音が遠くに響いた。
昼を越えてなお、空は赤黒く煙り、テンファンの高層ビル群には無数の砲痕と炎が這っていた。
首都テンファン――テンヤン連邦の象徴であり、最後の政治・軍事中枢。
その崩壊は、国の“終わり”を象徴するかのように進んでいた。
「……撤退命令を確認。指導部はすでに臨時評議会を設置し、首都を放棄したとのことです」
地下通信施設にて、報告を受けたテンファン方面軍総司令・イ・ジャンホは、眉一つ動かさず、天井を仰いだ。
かつての熱狂も、忠誠も、すべては命令一つで霧散する。
市街を守る意味は、すでに消えた。
「我々も撤収する。残存兵には自主的降伏を勧告しろ。民間施設への砲撃は禁止と伝えろ」
部下は目を見開いたが、それ以上は言わなかった。
外ではすでに、ヤマト国連邦軍第七装甲師団の“玄武部隊”が南区の防衛ラインを突破。新型レールガン戦車〈九曜〉による遠距離砲撃が、次々と高官用バンカーを焼き払っていた。
テンファンの陥落は、もはや時間の問題だった。
だが――
地下ではもう一つの「作戦」が、粛々と進行していた。
テンファン第六研究院、通称“桜台”。
ヤマト軍の機甲部隊が迫る中、その施設の最奥では、ひとりの科学者が淡々と操作を続けていた。
黒い作業服の中年女。名をスー・チャン博士という。
元は神経生理学の第一人者だったが、テンヤン連邦の国家プロジェクト《SAKURA》の主任に抜擢されてから、その名はほとんど表に出てこなくなった。
その日は、数年にわたる実験の「最終起動日」だった。
施設の中枢コンソールに彼女は最後のコードを打ち込む。
《コード認証完了。SAKURA001より017、解凍シーケンス開始》
人工脳に再構築された兵士たち――かつての市民たち。
彼らの人格は削除され、記憶は「目的」だけに上書きされていた。
一言で言えば、《SAKURA》は「記憶と感情を排除し、命令のみで動く兵」を創出する計画。
だが、それだけではない。スー博士は更なる“成果”を密かに加えていた。
「花は、人の想念に咲くのよ。きっと」
研究院の奥、低温カプセルに沈む少女を見やり、彼女は小さく呟く。
その少女――SAKURA017号は、唯一、感情を保ったまま制御可能な個体だった。
どこかで爆音が響き、施設の天井が震えた。
テンファンの陥落が始まっている。
ヤマト軍、テンファン市街突入は、予想以上に速かった。
政府機関はすでに撤退、通信はすべて遮断。民間放送局には白旗が掲げられていた。
市民の多くは避難済みで、残ったのは、戦意を喪失した兵士たちと、破壊されたインフラだけだった。
首都中央庁舎に、ヤマト軍の国旗が掲げられた瞬間――
それはテンヤン連邦の敗北を世界に示す、決定的な映像となった。
だが、その裏で、誰も知らない計画が静かに動き出していた。
《SAKURA》の第一波が起動し、各地に解き放たれた。
彼らは偽装兵、捕虜、難民のふりをしながら、各地の要所へと潜入を始めていた。
ヤマト連邦軍は、首都陥落を前に勝利を確信した。
だが、真の戦争は、ここから始まる。
深夜、テンファン郊外の丘で、神楽マオ中佐はスコープ越しに燃える市街を見下ろしていた。
「……ここが終わりでないことは、わかっている」
部下が黙って頷く。
《SAKURA》――それはただの暗号ではない。
新たな戦争の「芽」であり、感情なき兵たちを通じて拡散される、ウイルスのような思想だった。
そしてその中心には、ひとりの少女がいた。
眠りから覚めるそのときを、静かに待ちながら。
テンファンは陥ちた。
だが、黒き花弁は今まさに、静かに世界に向けて開こうとしていた――。




