闇鍋【東方二次創作】
幻想郷に、食欲の秋が訪れていた。
数年に一度の豊作で、つややかな新米が食卓に上っていた。里の市場には、身の詰まった芋や根菜、脂ののった川魚が並んでいる。
そんな折、里の若者たちのあいだで、闇鍋という遊びが密かに広まっていた。
材料を持ち寄って暗闇で煮込み、何が入っているか分からない鍋をつつく。風変わりな流行は、竹林の奥に住む、気まぐれな月の姫にも届いていた。
*
「里で流行っている闇鍋とやらを、私もやってみようと思ったの」
永遠亭の輝夜の私室。使い兎の鈴仙が、着替えを届けに訪ねていくと、姫は楽しげに口にした。屋敷からあまり出ないくせに、新しいもの好きで、良くも悪くも好奇心が強いのだ。
「そうですか。兎肉はやめてくださいね」
「分かっているわ。秋の野菜を中心にするつもりよ」
「それなら、まあ」
頷きながらも、嫌な予感がする。兎鍋じゃなければ安心、とはいかない。闇鍋って言葉を聞かなかったことにしたいぐらいだ。
「ちなみに誰を誘うんですか。師匠は来られるんでしょうか?」
「いえ」
「鍋をするって、師匠には伝えてるんですか?」
「何も伝えてないわよ。準備のうちからあれこれ言われたら、つまらないじゃない」
内密にお願いね、と告げられて、鈴仙は内心で頭を抱えた。
「妹紅を誘ったの。いつも外で会ってるから、たまには鍋を挟むのも良いと思って。あの子も“楽しみだな”って言ってたわ」
「──私も入れてください。鍋の仲間に、です」
「あら。貴女もこういうの、好きだったの?」
姫にそう問われて、一瞬口ごもった後、正直な考えを話した。
「好きではありませんが、二人で鍋を挟むのは危なすぎるかと思いまして。私が入ると知っていれば、少しは加減するでしょう」
外での弾幕戦──を超えた殺し合いには慣れていて、今更騒ぐ気にもならないが。二人で闇鍋となると歯止めが利かなくなるだろう。不老不死とはいえ痛みは感じるし、無茶をすれば内臓も傷むのだと永琳から聞いたことがあった。姫の平穏のために、不死ではない身体を張ったわけだ。
「殊勝なものね」
鈴仙の意向をどこまで汲んだのか、姫は薄い笑みを浮かべた。
「貴女が来ること、妹紅には伝えておくわ」
「はい」
鈴仙は一礼して、廊下を引き返した。
*
数日が経った夜。永遠亭の離れに、輝夜と妹紅、鈴仙が集まっていた。離れを使うために、輝夜が適当な口実を用意して、鍋のだしは鈴仙が調合した。醤油ベースの昆布だしである。
外から訪ねてきた妹紅は、手に小さな籠を提げていた。籠には布がかけてあって中身は分からない。
離れの入り口で、鈴仙は闇鍋の形式を説明した。
「念のために、もう一度確認しますね。材料は一人三品まで。火が通りやすいようにすべて一口大に切っておいてください。無駄にせず食べ切れる量でお願いします。あと、一度取ったものは鍋に戻さないように」
鈴仙は囲炉裏を手で示した。火のない囲炉裏に、黒い鉄鍋が吊られている。
「離れには月明かりが入らないよう、布で窓を覆っています。それでは、仲良く楽しみましょう」
その隣で、妹紅は無言で輝夜を睨みつけていた。鈴仙が二人から目を反らし、「火を起こしてきます」と言って囲炉裏に近づくと、ついてきた妹紅が手をかざして火を入れてくれた。
*
すべての具材が揃ったところで、三人で炉端に座る。
鉄鍋からは昆布だしの香が漂っていて、囲炉裏の火影が揺れた。湯気の匂いに怪しいところはない。
鈴仙が身を乗り出して匂いを確かめようとすると、妹紅が口を開いた。
「兎は夜目が利くんだろう」
「それは、まあ。多少は見えますけど」
そう答えると、輝夜が袖から何かを取り出して、膝をすって鈴仙に近寄った。
「公平を期すために、目隠ししてもらうわ」
手拭いで視界を覆われる。服の中に入れていたようで、姫の私室と同じ香木がほのかに薫った。
鍋が煮えたところで、汁と具を椀に取った。鍋に菜箸を入れると、丸っこいものがつるりと滑った。だしを吸ってくったりとした何か、箸先で崩れそうな柔らかい何か。何なのかは考えず、箸先に触れたものを自分の椀に移す。
「……いただきます」
一口目は大根だった。火の通りもちょうどよく、思ったより無難な出だしだった。妹紅がはふはふと口を動かして「豆腐」と言った。自分が持ってきたものだと分かって、鈴仙は口を開いた。
「それ、里で買ってきたやつです」
里で薬を売りに行った折、行商から買った木綿豆腐だと明かすと、妹紅が「あそこのは美味いよな」と返した。
炉の反対側で、輝夜が不満をこぼす。
「この大根、皮がついてるわ」
「大根は皮ごと食べるものだろう」
「もう。見場が良くないし、ひげ根まで残ってるわよ」
「暗くして食べるのに見場なんか気にするなよ。皮も実のうちって言うじゃないか」
大根を持ってきたのは妹紅らしい。言われてみれば皮があったかもしれないが、大根の皮よりも二人の諍いのほうが煩わしい。
椀のふちに口をつけて、だしを少し飲んだところで、舌がひりついた。ひどい痛みではないが、一旦意識に上ると、舌の先や口の中にひりつく感じがある。視界が遮断された状況では、疑念が疑念を呼んで膨れ上がった。
──毒かもしれない。
箸を止めて、目隠しの向こうの気配を伺う。微かな衣擦れと咀嚼音、外の虫の音が聞こえてきた。苦しそうな様子はなく、二人とも静かに椀の中身を食べているらしい。
油断はできない。毒には遅れて効くものもある。それにしても、もし鍋に毒が入っていたとして。不死ではない私の存在を知りながら、毒を盛る者がいるんだろうか。
師匠の言葉を思い出した。
「全てのものは毒であり、毒なきものは存在しない。あるものを無毒とするのは、その服用量のみによって。昔の地上の医者の言葉らしいわ。覚えておきなさい」
師匠はその後に、里で採れる植物や鉱物の毒性を説いて聞かせたのだ。椀を持ったまま記憶を辿っていると、姫が声を発した。
「どうしたの。さっきから箸が止まってるみたいだけど?」
毒が入っているのでは、とは訊けなかった。
我に返った鈴仙は、慌てて椀をかき混ぜ、箸に触れた細長いものを口に放り込んだ。
舌が焼ける辛味に、涙が滲んだ。
鈴仙は咳き込みながら、声を張り上げた。
「誰ですか、鷹の爪を入れたのは!」
毒だと疑ったのは、鷹の爪だった。米びつに虫が湧かないように入れておくもの。だしを飲んで舌がひりついたのは、だしに溶けた辛味が椀の中で移っていたからだ。
「私じゃないな」
妹紅の答えに、輝夜が「私も違うわ」と続けた。信用できない。
「私も入れてません! もう良いですよね?」
そろそろ良いだろうと目隠しを取って、窓辺に向かい、掛けてあった布を外した。月明かりが部屋に差し込み、妹紅も行灯に火を入れた。
鉄鍋で煮えているのは、小芋、青菜、椎茸、花麩、手綱こんにゃく。食卓に普段から並ぶ食材ばかり。怪しいものは見当たらず、鷹の爪も自分が引き当てた一本だけだった。
鈴仙は拍子抜けした気分で、菜箸で小芋をつまんで椀に入れた。輝夜から花麩を勧められ、だしの染みた麩も口に入れる。桃色の麩は汁を吸ってふっくらと煮えていた。
三人で鍋をほとんど食べ終えて、青菜の端がわずかに浮くだけになり、鈴仙は席を立った。
「ごちそうさまでした」
「お腹はふくれたかしら?」
「はい。適量です」
腹六分目ぐらいだが、そもそも闇鍋に満腹は求めていない。気を遣って疲れるので、量は少ないほうが好都合だった。
「後は私たちでやっておくわ」
「……そうですか。では、お先に失礼します」
妹紅が炉端に腰を下ろしたまま、こちらを向いて「じゃあな」と言った。
鈴仙は頭を下げて、一人で離れを出ていき、月が照らす渡り廊下を歩いていった。
*
使い兎の足音が遠ざかり、離れには妹紅と輝夜の二人が残された。
「兎は帰ったことだし」
輝夜が立ち上がって、屏風の陰から瓶を取り出した。液体の中には、枝分かれした真紅の茸が沈んでいる。手の指のようで禍々しい。
「寄せ鍋だけで帰るつもりじゃないでしょう?」
輝夜は瓶を炉端に置いて、艶やかに笑ってみせた。
「見た目が火みたいだから、似合うと思って。鍋に入れようと思ってたけど、兎に免じて止めておいたの」
そう言われれば、酒に浸かった茸は燃え上がる炎に見える。飲む気はあるかと問い掛ける姫に、妹紅は「先に死ぬなよ」と返して、盃を向けて酒を注がせた。
輝夜が自分の盃にも酒を注いだところで、黙ったまま乾杯をする。
酒に口をつけると、苦味で舌が焼け、頭の奥まで痛み出した。妹紅は意地だけで盃を飲み干すと、うつむいている輝夜を見やって、もう潰れたのかと口の端で嗤った。
「あんたこそ、手が震えてるわよ」
姫はそう答えて、髪をかき上げてこちらを見返した。
結局、どちらが何杯飲んだのか、よく分からない。妹紅は座っていられなくなり、炉端に倒れ込んだ。指先に触れたのは輝夜の服の生地。袖が擦れ合うほどの距離で倒れている。
──ああ、こいつも倒れたのか。
今回は相討ちだったらしい。視界が暗くなって、永遠の命がとりあえず一回終わる。
*
永琳は渡り廊下を歩いて、離れを訪ねていった。
離れで何か遊びをしていることは知っていた。すべてに口を出すのは野暮だから、少しは自由にさせておいて、頃合いを見て迎えに行こうと思ったのだ。
「姫」
訪ねてみると、姫と妹紅が重なるように倒れている。傍らの瓶には、赤色の茸。
「Trichoderma cornu-damae. どこで採ってきたのかしら」
あらゆる薬を知る月の薬師には、薬も毒も効くことがない。永琳は盃を手に取って、残った液体をほんの一口舐めてみた。
「ひどい味ね」
香りも甘味もなく、相手を潰すためだけに作られた酒。毒草にも香味の良いものはあるのだし、蓬莱人なら、もう少し上等な愉しみ方はできないものか。
二人の足元にかがんで、もつれた白と黒の髪を払う。
姫の首筋に指を添えると、わずかに脈が戻っていた。妹紅のほうもじきに目を覚ますだろう。起きてきたら説教をしてやろうと考えて、永琳は二人の目覚めを待った。