Ⅲ-28 天険
王都の東に横たわる小丘陵、カイツール。 そこは、お世辞にも風光明媚とは言い難い。
人々がこの地を「醜悪」と呼ぶのは、その地形があまりに無愛想だからだ。
木々は育たず、硬い岩盤が剥き出しのまま隆起したその姿は、まるで大地の傷痕のようだった。
だが、軍事的な視点で見れば、これほど頼もしい「天然の城壁」はない。切り立った岩肌を削って作られた狭い切通し以外、王都へ至る道はないからだ。
絶え間なく落ちる細い雨が、岩肌を黒く濡らしていた。
荷馬車が一台半、ようやく肩を擦り寄せて行き違えるほどの狭搾部。左右の側壁は人の背丈を越える土壁と硬い岩が交互に現れ、見上げれば痩せた尾根が雲の底に黒い線を引いている。
ここが、王都守備隊にとっての最終防衛線となる。
「ここを抜かれたら終わりだ。意地でも間に合わせるぞ」
総大将ボーチャード・ルドウィックは、自らの掌で側壁の岩を叩いた。硬質な拒絶の音が返ってくる。振り返れば、雨に煙る道に背の低い影が列をなしていた。
鉄の匂い、そして濡れた革の匂い。
聖三族の一つ、ドガンジ族長フグスタリが派遣した鉱矮人の工兵たちだ。
「頭、この岩盤、楔は利くか?」
ボーチャードの問いに、先頭の工兵が木槌で岩を叩いた。響く音で地質を見極める。古い鋲打ちの兜を被った彼は、深く頷くと赤い粉で岩肌に印をつけ、喉を鳴らして短く号令した。
「二段壁、石籠、鹿砦、狼垣。――関門はドガンジ式でいく。鎖は太く、蝶番は二重で堅牢にな」
彼らが鉄の箱から取り出したのは、油で黒光りする金具や鋭い楔、そして太い鎖だった。雨を厭わず、工兵たちは手際よく岩に孔を穿ち、梁を抱かせていく。側壁の要所には、いつでも岩を突き落とせるよう「落石」の仕掛けが施され、誤作動を防ぐための封鉛と封印紐が厳重に垂らされた。
「落石は、合図があるまで絶対に外すなよ」
「分かっておるわい」
工兵頭の無愛想な返事と共に、別の班が道床の泥を掬い、排水溝を切り出していく。ドワーフの暗渠作りは驚異的に早い。瞬く間に竹筒と石で組まれた水路が完成し、足元のぬかるみを解消していった。
切通しを王都側へ数十歩戻った地点。左翼側の柵門建設を担当するのは、パイファー家嫡男、ショーンベルガー・パイファーだ。
「門の幅、もう少し詰められるか。槍を突き出す余地さえあればいい」
槍隊を率いるショーンベルガーの要求に、工兵は即座に白墨で印をつけた。
「一尺は詰められる。差し板と落し楔で『戦時幅』にする。槍間はこの高さに二つ――腰だめで突いても引き戻せる角度だ」
「やってくれ」
数刻と経たぬうちに、堅牢な柵門が形を成していく。ショーンベルガーは自ら槍を構え、その隙間に刃を突き入れた。
「通るな。……よし、この寸法で統一だ」
彼の指示のもと、門の脇にはみるみるうちに石籠と土嚢が積み増されていく。湿った柳の編み目が重く沈み、戦の気配を濃くしていった。
一方、後方での物資管理を仕切っているのは、不気味なほど冷静な黒衣の大男だった。 南部戦線の物資を一手に担うユマーラ家にも、もはや余裕はない。そこで大僧正カルカノが連れてきたのが、このカールグスタフと名乗る得体の知れない男だ。
「輜重は小分けにしろ。半刻ごとに巡邏を回し、火見張りを置け。関門は私の許しなしに開けるな」
彼の冷徹な声が雨の中に響く。男は入替用の「木札」を配り、物資の搬入を厳密に管理していた。荷を担ぐ民の中には、刺青のある元犯罪者らしき者も混じっているが、カールグスタフはそれさえも駒として冷酷に使いこなす。
そんな緊張感漂う防衛線の片隅で、激しい怒声が上がった。
医療班の指揮を執るウェリン・ジウを、父カラビナーが叱りつけていた。
「お前は何をしておる!猊下の側にいろと言ったはずだ!」
「何って、戦の準備に決まっています、父上!」
ウェルロッド譲りの大声をあげる父に対し、ウェリンは雨に濡れた顔を上げ、真っ向から言い返した。
「これは王国を左右する戦です。ここを抜かれたらすべてが潰える。女の私にだって、できることはあります!」
「お前が出張る必要はないと言っているんだ!」
「いいえ! ジウ家を継ぐ者ならば、常に前線に身を置くべし。お祖父様と父上がいつも仰っていたことです。私はその教えに従うまでです!」
その言葉に迷いはなかった。毅然とした娘の態度に、カラビナーは頭を抱える。
かつて名門ウェッソン家との婚約を自ら破棄したあの日以来、彼女の芯は恐ろしいほどに強くなっていた。
「……どうしてこんな跳ねっ返りになってしまったのやら。淑やかさという言葉をどこへ捨ててきた」
「父上の教育の賜物ですわ!」
不敵に、そして美しく笑うウェリン。
彼女の不屈の意志は、周囲で立ち働く医療班や兵士たちの士気を、静かに、だが確実に引き上げていた。
雨は降り続く。
「醜悪」と呼ばれたこの丘が、王国の命運を分かつ戦場へと変貌していく。
【 次回更新予定 】 3月6日(金) 20:50
毎週 水・金 の週2回更新
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