Ⅲ-16 走破
「そろそろか……」
前方に、かすかな土煙が立つのが見えた。
「フェムまで、あと一〇キロか?」
ウェルロッドがルインに問う。
「ちょうど半分ほどです」
返答を聞くや、ウェルロッドは深く息を吸う。
「陣形、整え」
常歩のまま全体が、ウェルロッドを頂点とする楔形陣へと滑らかに移る。
整い次第、各員が騎兵槍を構えた。
「魔王軍を踏み潰してやれ」
鬨の声は抑えめに。常歩から速歩、そして駈歩へ。
序盤は出来る限り気配を殺す。夜闇で旗は使えない。大音声も避ける。合図は短い号令と、列ごとに走る伝令だけだ。
敵影が近づく。
矮鬼を中心とした百人隊二個——抜くのは容易い。
「王国のために!」
二万の鉄蹄に、二百の矮鬼は路傍の石に等しかった。
一瞬で踏み敷かれ、跡も残らない。
「ここから敵は増える一方だ。槍が折れた者は内側から新しいものを受け取れ。駈歩に上げれば余裕はない、各自の手持ち武器を使え」
「ビュロー卿、新手です」
たちまち新たな群れが道を塞ぐ。
矮鬼にまじり、巨躯の影。
「単眼鬼だ。構うな、横を走り抜けろ」
——そろそろだ。ウェルロッドは覚悟を決めた。
ここからは速歩から駈歩、やがて襲歩へ。馬が持つかは賭けだ。だが、すでに気づかれた。隠密は終わり、注目を引くという第一課題は果たした。ならば急く——遅れれば、フェム奪還・籠城の戦力が削れる。
単眼鬼の棍棒が闇を裂く。視界の端で、人馬が宙を舞うのが一瞬だけ見えた——誰かは分からない。名を呼ぶ暇もない。
「走り抜けた列から密集。駈歩、上げ」
拍車の連鎖が陣へ伝わる。楔の角度がさらに鋭くなる。
フェムまで、あと五キロ。
湧く敵隊を突き破り、蹴散らしながら進む。
「左方、敵騎兵」
左から短い報告。
「数は」
「千弱。狗鬼と狼の混成軽騎。我と並走」
並走は厄介だ。騎兵槍の威は、真正面の速力があってこそ。
「ウェルロッド殿、ここは我らに」
後方から声。雄叫びの効果が乗っている。
「林冲殿か」
「フェムまでの道、我らが払う!」
左手で戦音が弾ける。視界に入らぬ。だが、道が保たれているなら、それでいい。
「征かれよ。存分に振るえよ!」
林冲の大刀が闇に軋む。
「助かった、林冲殿」
馬がついに最高速へ。
フェムの城壁が視認できた。——城門が開いている。
“蛇”の仕込みだ、と直感する。外で組んでいる馬防柵は、まだ半ば。
「行ける。魔法兵」
火球が飛ぶ。組みかけの馬防柵に一気に火が走る。
矮鬼はあわてて城壁内へ引く。
「突入隊形」
楔の中央五列を残し、左右は暗闇に散っていく——手筈では東西の門へ回るはずだ。だが先頭の目には見えない。
まずウェルロッドを含む中央五列、五百騎が正面から侵入する。
「突入」
閉めにかかった矮鬼を蹴散らし、市内へ。
目抜き通りを砦へ。馬は限界に近い。まばらに立つ矮鬼、狗鬼、子鬼を踏み砕きながら、荒い呼吸が耳へ刺さる。
「すまん、もう少しだけ耐えてくれ……」
砦が迫る。
黒醜人らが長槍で列を組む。防衛陣——さすがに固い。
先頭は削られる。覚悟はできている。
「お任せを」
ルインが口笛を鋭く鳴らす。
次の瞬間、長槍を構えていた黒醜人が数人、ばたばたと崩れた。屋根か壁か、どこかに“蛇”が潜んでいる——仕込みだ。
「突き崩せ」
乱れた槍襖は、いまの勢いには障壁たりえない。
壁を破り、最後の関門を抜けた。
「下馬。砦内へ」
右手に手斧、左手に長剣を取る。
馬はその場に崩れ落ちた。他の馬も同様、すでに絶命したものもある。
「征くぞ」
行く手を塞ぐ黒醜人を、手斧と長剣で斬り伏せながら進む。
砦の構造は頭に入っている。迷いはない。
途中の扉はどれも閉ざされていない——“蛇”が開けて回ったのだろう。
「恩に着るぞ、ルイン」
「いえ、これこそが我らの務めです」
長槍の馬防陣形を崩したのも“蛇”だ。これほど心強いとは。
「ここは前線司令基地として使われているはず。となれば——」
「そろそろ食人鬼が出てくるか……」
それにしても、抵抗が薄い。嫌な予感がする。
あまりに容易すぎる。
思いのほか早く、砦中枢の大広間へ到達した。
ウェルロッドたちは、その扉を押し開けた。




