Ⅲ-14 凶事
困惑していた。
南部前線は落ち着きを取り戻し、総司令官ウェルロッドも間もなく前線着──そのはずだった。補充も補給線も整い、反転の算段がついた矢先に、まったく別筋の厄介が王都へやって来たのだ。クーガー・ベルテルブルグが私兵を率いて都に入るという。
カルカノは焦りを呑み込む。いまクーガーが『真の王家』を名乗り、アブトマットの反逆を鎮める功を立てれば、玉座に手が届く。
「猊下……」
ウィンチェスターがカルカノの執務室に入る。間もなく元老院の会議が始まる。クーガーへの対応は避けて通れないが、結論が割れぬはずがない。
「丞相殿、ベルテルブルグ家はどう出ると思われますか?」
前置きは省いた。カルカノは一気に核心へ入る。
「猊下、いま彼らはどれほど兵を集めています?」
「十万前後と伝わります」
「……その兵を前線防衛に“貸す”代わりに、玉座を寄こせ。そう求めてくるでしょうね」
カルカノはゆっくり頷いた。やはり見立ては同じだ。
「条件は飲めません。現国王はウィリアム陛下です」
「それを理由に断ったとしても……」
南部戦線の立て直しと、アブトマットが占めるゾーン周辺の抑え──二正面に兵を割く以上、王都防衛は手薄だ。断れば、十万規模の軍を王都近郊まで引き付けることになる。どちらに転んでも都の危機である。
「……王都へ招き入れます。ただし交渉の表札だけ。主導権は渡しません」
カルカノの声はかすれていた。
「最悪の場合に備え、準備しておきます」
ウィンチェスターも自らに言い聞かせるように答える。
「しかし、要るのは兵力です……最低でも三万は欲しい」
「猊下、お伝えしたいことが」
そこへアナが入ってきた。
「どうしました?」
「ルイン、テオバルト両名の連名で報せです。今回の南部派遣に参加した諸侯──アーモリー卿、ビュロー卿らが、王都周辺に私兵を少数ずつ潜ませているとのこと。有事には存分に使ってほしい、と」
カルカノは膝から崩れ落ちる。
「あの方々は……なんと……」
「すぐに精査しました。総勢二万四千ほどです」
「猊下、近衛と王都衛兵を合わせれば!」
「籠城の準備を進めなさい。市民に悟られぬように。それと、ベルテルブルグ家と真っ向から対立するのは得策ではありません。あくまで『兵の融通の相談』を受ける体裁を取るのです」
「諸侯の私兵の受け入れ手配も進めます」
「そうですね。こちらも気取られないように。臨時宿舎として教会施設を開放しなさい」
「御意」
アナが下がる。
「アカオ、いますか」
「ここに」
姿を現したのはアカオ。ヘンリーの側付きで、ウェルロッド麾下にいるボアの直属の部下である。
カルカノは短く告げる。
「教会だけでは収まりきらぬかもしれません。少人数でも受け入れ可能な娼館はありますか?」
「……用心棒として男手を置く例は多々あります。緊急とあらば、可能な限り受け入れさせましょう」
「助かります。それと――」
カルカノが耳打ちする。アカオはわずかに目を見開いた。
「頼めますか?」
「勿論。数日中にご報告いたします」
「任せた」
アカオも部屋を辞した。
「猊下、そろそろお時間です」
ウィンチェスターにうなずくと、カルカノは立ち上がった。
「丞相殿、私は私で動きます」
「内政はこちらで押さえます。ご自由に」
二人は力強く頷き合い、元老院会議へ向かった。
†
「デリンジャー、いいか」
昼時の食堂。南部戦線の兵舎で、クスシが声をかける。
「あんたか。何の用だ」
「王都へ行ってくれ」
「王都へ……?」
クスシは周囲を一瞥し、身を寄せてささやいた。
「南部の蛇の指揮権が、俺に移った」
「……」
デリンジャーは一瞬で状況を組み立てる。
「俺に、どうしろと」
「アナの補佐をしてほしい」
「……あいつに補佐が要るとは思えんが……」
「念のためだ」
「……分かった」
デリンジャーは即座に立ち上がった。
不思議な感覚だった。クスシの口から“アナの補佐”を求められたのは、蛇の一員として迎えられるということだ。南部の前線で兵として戦ったのは、まだ一月にも満たない。それで信用を得たとは思えない。
それほどまでに蛇は切羽詰まっているのか。
一抹の不安を懐に、デリンジャーは王都のアナを目指して走った。




