Ⅲ-11 大器
「南部からのご足労、痛み入ります」
ニニオがウェルロッドに頭を下げる。
「おやめください、陛下。王国へ忠誠を誓った身、そのようなお言葉は勿体なくございます」
「いえ、そうもいきません。貴殿は前線で指揮を執る身、戦況も安定していない中、王都へ呼び出すなど言語道断である事は私も心得ております。しかし――」
「陛下」
ニニオの言葉を遮ってウェルロッドが発言する。衛兵たちの空気が一瞬でぴりついたが、ニニオは目だけで制す。
「口を挟む無礼をお許し下さい。しかし、ワシも現状は理解しているつもりです。口上は不要、単刀直入にお願い致します」
本来なら不敬罪になりかねないが、ニニオは小さく頷き、咎めぬ意思を示した。
「では。ウェルロッド・ジウ・ツー・ビュロー、貴殿を南部戦線の総司令官に任命します」
「……重ね重ね無礼を承知で申し上げます。儂は不適任にございます。もっと他に良い将がおりましょう」
跪き、頭を垂れたままウェルロッドは続ける。
「儂はそろそろ引退を考えている身。家督も息子に譲る準備を進め、実務はすべて息子が担っております。だからこそ、すぐ南部への援軍として馳せる事が出来たのであります。それに、辺境のジウ家が総司令官となれば諸侯の不満は必定にござる」
正直、予想はしていた。だからこそ、前もって断る理由を用意していたのだ。
総司令官の座など、座りたい者が座ればよい――少なくともウェルロッドは望んでいない。名誉には責任が付きまとう。
辺境へ左遷され、その類から解放されたと喜んだほどだ。今さら柵だらけの政治の中枢など御免である。
「……やはりですか」
ニニオは小さく息を吐いた。
「総司令の座は望む者が多い。儂である必要はありますまい」
「……お変わりないようで、嬉しいような、悲しいような……」
「え?」
ぼそりと漏れたニニオの呟きが、かすかにウェルロッドの耳に届いた。
「陛下、今、何と……?」
「仕方ありません。このような方法は使いたくありませんでしたが」
そう言ってニニオは立ち上がる。
「ウェルロッド・ジウ・ツー・ビュロー。前王ガーランド・フォン・バーテルバーグに代わり、その妻にしてモンドラゴン・フォン・シグの娘、ニニオ・フォン・バーテルバーグが命じます」
凛とした居住の中に、威厳と覚悟が宿る。その姿を仰ぎ、ウェルロッドは思わず見入った。
「現在編成中の五万、ならびに共和国から借り受けた三個大隊で計五万三千。加えて先遣隊の騎兵三万、第二陣の歩兵六万――そのすべてを貴殿に与えます。そのすべてを使い潰してでも、必ずや魔王軍の攻勢を退けなさい」
何という女だ……。約十五万もの兵力、しかも共和国の援軍すら擲って構わないと言い切る。
もし本当に使い潰したらどうするのか。
アブトマットの反乱を抑える兵は?
不穏な組織への備えは?
脳裏をよぎるが、それ以上にニニオの雰囲気に圧されている己に気づく。
口ではガーランドやモンドラゴンの威光を笠に着ているようで、そうではない。これはニニオ自身から立ちのぼる威だ。
ウェルロッドは、この第一王妃の中に王を見ていた。
過る不安は、いともたやすく掻き消える。――この王のためなら死ねる。
ウェルロッドは無意識に立ち上がり、敬礼していた。
「この命に替えても」
§ 王国元老院布告 第五号
王国は、元老院の議決の下に、下記の通り布告する。
一、ウェルロッド・ジウ・ツー・ビュロー子爵を南部戦線総司令官に任ず。
一、総司令官は南部戦域の王国軍・諸侯兵・志願兵・教会兵および王国に協力する諸隊を一元指揮し、作戦・補給・人事につき必要の命令を下す権を有す。
一、各将校・諸侯・司教・官吏は総司令官の命に従うべし。抗命は軍律により処断する。
一、本職務に要する徴発・通行・徴用は元老院の名においてこれを認む。
元老院 【院璽】
§
「嫌なオバサンになってしまいました……」
ニニオは肩を落とす。夫ガーランドと父モンドラゴンの名を借りればウェルロッドは従う――そう踏んでいた。実際には二人の名にではなく、ニニオ自身を王と認めたがゆえに彼は従ったのだが、ニニオはそれに気づいていない。
「辛いお立場のニニオ様にすべてを委ねてしまい、我々こそ歯痒い思いです……」
「皆さんが気に病むことではありません、丞相殿。――ただ、いささか時を要しすぎました」
ウィンチェスターは首を傾げる。
「どういう事でしょうか?」
「魔王軍の大攻勢開始からすでに三ヶ月以上。前線の後退を食い止めてからは、約一ヶ月と少しが経過しています」
「丞相殿にも分かりやすく要約すれば、そろそろ大攻勢の第二波が来るかもしれない――ということです」
ニニオに代わり、カルカノが言う。
「突破以降、撤退はかなわずとも生き延びた兵も相当数いるはずです。いくら魔王軍が数を送ろうとも、通るのは軍の進路のみ。取り残された我が兵を完全に皆殺しにできるほどの兵力はありません」
「前線の押し上げが一ヶ月ほど前から止まったのは、おそらくその残党狩りへ兵を割いたためが大きいでしょう」
「ニニオ様の仰る通り、敵後方では小規模ながら撹乱や妨害が多発しています」
「蛇にもお世話をかけます……」
「魔王軍後方へ送れたのはほんの少数。後方撹乱の多くは、生き延びた兵たちの遊撃です。蛇の功績など微々たるもの」
「しかし、その兵たちの命ももう持たない。さらに、敵の兵站もある程度構築されてきているはず」
「つまりお二人は、その兵たちすら近く全滅し、敵は補給を確保しつつある――とお考えなのですね」
「……味方は補給など決して届かない前線の向こう側。食料も水も武器も、すでに消耗しきっているに違いない」
「彼らが全滅した時こそ、第二波が――」
「だからこそ、一刻も早く前線を押し戻す必要があるのです」
十五万をウェルロッドに与えたのは、彼なら託せると信じたからだ。ニニオは、ただ祈るほかなかった。




