表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/40

Ⅰ-7 孺子

「では初めから。現在、王国には“名家”と呼ばれる貴族が複数存在します。その中でも最も高貴とされる九つの家──すべて答えてごらんなさい」


 昼前の柔らかな陽光が、書斎の窓から差し込む。 座学の時間。老婆の厳かな口調が、部屋の静けさに響いた。

 対する少年──ヘンリーはというと、椅子に座りながら落ち着きなく足をぶらつかせ、窓の向こうを見つめていた。 遊びたい盛りの九歳児には、この時間は酷というものだろう。


「ええと……バーテルバーグ家、シグ家、フローコード家、ガイルース家、ユマーラ家、ルーインバンク家、ファイノー族、ドカンジ族、ジョルーン族」

「正解です。ではその内、最古三家は?」

「……バーテルバーグ、シグ、フローコード」

「最古三家とは?」

「王国建国のとき、一番頑張った三つの家。『フォン』がつく三家」

「“最も尽力した家々”ですね。まあいいでしょう。あなたはそのうちのひとつ、バーテルバーグ家の長子。そして将来の国王となるのですよ、ヘンリー様」

「わかってるよぉ……」

「では、最古三家それぞれの紋章、標語、与えられた城を答えなさい」

「はぁ……」


 深いため息をひとつ。だが、ヘンリーは観念したように答え始めた。


「バーテルバーグ家は、太陽とユニコーンの紋章。標語は『貴き光たれ』。主城は王都スプリングフィールド城で、代々の居城は東方のアーモリー城」

「続けて」

「シグ家、『この剣の折れるまで』。心臓に剣の紋章。居城は南のゾーン城。フローコード家、『我が沈黙を聞け』。フクロウの紋章、居城は……王都内の屋敷」

「よろしい。次に“勲三家”とは?」

「ガイルース、ユマーラ、ルーインバンクの三つ。王国の発展に貢献した家。『ヴァン』を冠する三家」

「その通り。紋章と標語は?」

「ガイルース家、獅子の紋章、『咆哮は猛る』。ユマーラ家、天秤の紋章で、『借りを作らず』」

「有名な言い回しではありますが、標語ではありませんよ」

「ええっと……『忠信、博愛、節度』……?」

「その順番で覚えてください。繰り返して」

「……『忠信、博愛、節度』」


 面倒そうにぶつぶつと繰り返しながらも、ヘンリーはしっかりと覚えていた。婆やが小さく頷く。


「ユマーラの現当主、ラハティ氏は現大蔵大臣です。審議会の一員でもあります。そうした家系は、一切の誤りなく把握せねばなりません」

「はいはい……」

「ルーインバンク家は?」

「杖に巻き付く二匹の蛇……標語は……なんだっけ……」

「はぁ……『全てを御手に捧ぐ』、です」

「神様に任せるって意味?」

「半分正解。人として出来る限り努力を尽くし、その上で結果を神に委ねる、という意味です。努力なくして祈っても意味がありません」

「ふぁ〜……全てを御手に捧ぐ、かぁ……」


 ぼんやりと繰り返したその瞬間、やわらかな声が響いた。


「捗っているようね」


 ヘンリーの顔がぱっと輝く。振り向けば、母である第一王妃──ツェリスカ・バーテルバーグが、近衛数名を伴って立っていた。


「母上っ!」


 ヘンリーは椅子から飛び降りると、一直線に駆け寄ってその手にしがみついた。


「あらあら、お勉強の途中でしょう?」

「王妃様が来たんだから、勉強は後回しでいいよ!」


 その言葉に、婆やはまたも小さなため息を吐き、静かに教材を閉じて片づけ始めた。


「そのようなことで立派な王になれると思って?」

「……」

「困らせてはいけませんよ、ヘンリー」

「ちゃんと勉強したもん!それより象棋(チャトランガ)しようよ、すっごく強くなったんだ!」

「まあ、象棋ばかりじゃないでしょうね?」

「勉強もしてるってば!」

「……婆や」

「はい、昼餉の支度をいたします。王妃様もご一緒に?」

「ええ、頂くわ」

「やったー!母上、テラス行こう!」


 ヘンリーは嬉々としてツェリスカの手を引いて庭へ向かう。 彩り豊かな花々が咲き誇る庭園。風が心地よく、東屋のテーブルには既に象棋の盤が用意されていた。


 ──そんな二人を見つめながら、書斎の入口で婆やに声をかける者がいた。


「象棋か。人気だな」

「ええ、勉強もそっちのけで」


 振り向けば、そこには国王ガーランドの姿があった。


「ツェリスカに先を越されたか……」

「陛下もご一緒になってはいかがですか?」


 その言葉に対して、婆やの声音には鋭い刺が含まれていた。


「このままでは間に合いません。陛下」

「わかっている……。だが、象棋は兵法の訓練にもなる。悪くないことだ」

「戦とは遊びではございません。その一つの駒に、幾千、幾万の命が乗っております」

「……わかっておる」

「ヘンリー様はまだ理解しておりません」


 しばし無言のまま、ガーランドは庭の方へ視線を移す。 盤を挟んで楽しげに笑い合う母子の姿に、ほんの少し、表情が緩む。


「……陛下、そろそろ王子様とも向き合ってあげてくださいませ」

「……いずれな。今は……時間がない」


 そう残し、ガーランドは静かに立ち去っていった。 その背を見送りながら、婆やはひとりごとのように呟く。


「……陛下が言葉にすれば、それはこの国の運命となるというのに。未だ、己の立ち位置すら……」


 その言葉は、誰に届くこともなく、静かに空気へと溶けていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハイファンタジー 戦記 シリアス 王族 貴族 内政 陰謀 魔王 男主人公 群像劇 幼馴染 成り上がり 策謀 裏切り 教会 騎士団
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ