Ⅲ-10 書簡
「兵站が安定してきたようだな」
ウェルロッドは干し肉を噛みながら、荷駄を解く兵たちの手元を眺めていた。塩と穀粉の匂いが風に乗る。
「街道の拡張工事が急ピッチで進んでいます」
音もなく背後に立つ声。ルインだ。相変わらず影の薄い男だが、将としての切れ味は信に足る。
「王都に、そんな金と人手が残っているとは思わなんだが」
「共和国からの支援だとか」
「あの剛皇帝を口説いた奴がいると?」
蔡嘴の噂は、先代からよく聞かされた。計算高く、時に豪胆。己の理屈でしか動かぬ偏屈――だが、そこが強い。見返りなく他国を助ける男ではない。
「第一王妃が口説き落としたらしい」
「第一王妃!?」
ウェルロッドは一瞬目を丸くし、すぐにガハハと笑った。
「あのこましゃくれたお嬢ちゃんが、な!なるほど、さもありなんだ!」
「ビュロー卿、仮にも第一王妃をそのように……不敬では」
「なぁに、戦場で吐く言葉を逐一届け出ていたら、戦などできんわ!」
笑いながらも、ウェルロッドは昔日を思い出す。レミントン王の御代、まだ中央にいた頃、幼いアブトマットとニニオを遠目に見た。利発な兄妹――あの頃の印象が、いま現実となって目の前に戻ってきた気がする。
「今、中心に据えるべきはニニオ陛下だろうな。陛下が残ってくださったのが、最後の救いだ」
「第一王妃陛下とお知り合いなのですか?」
フリッツが目を丸くする。
「見かけただけだ。四十年も前だし、儂のことなど覚えておらんさ」
胸に湧く、言いようのない懐かしさ。だが現実は甘くない。
「第一王妃陛下がいらっしゃれば中央は安泰――そうもいかぬ、か」
ウェルロッドは自嘲気味に息を漏らす。
「国王不在の現状、決裁権は急造の元老院にある。審議会は“意見”は出せても、“決め手“がない」
「しかもニニオ陛下はシグ家のご出。担がれること自体に反感を覚える諸侯も多い。カルカノ殿の心労は尽きぬな、ルイン」
「全くです……」
フリッツは、王都に来てすぐの空気を思い出す。シグ家の一員である自分が味わった刺のような視線――ニニオはその何倍もの圧に晒されているはずだ。
「加えて魔王軍の攻勢。……不幸は続くものだな」
「偶然の重なり、とは思えません」
ルインの声が低くなる。
「……王国内に、魔王軍の間者がいると?」
「あまりに時期が良すぎる。我々も見つけ次第潰していますが、数が多い」
「蛇でも手を焼くか。――種は人間だけか?」
「いいえ。人間、耳長人、鉱矮人、狼狗人……王国に住む種族はおおむね網羅されています」
ウェルロッドは顎髭をひとなでし、短く唸る。
「末端を断っても、上が生きておる。組織されて動いている証拠だな」
「仰る通り。しかし、その“上”に今ひと押しが届かないのが現状です」
「……ただの力押しに見える今次の攻勢にも、裏があるかもしれん」
「猊下の見立ても同じです」
「王都の暴動も臭う。――人の手と、魔の手が、見事に絡んでおる」
暗い予測は士気を削る。だが取り繕う余裕のないのも事実だ。
「ビュロー卿、よろしいですか」
詰所の幕が揺れ、兵が駆け込む。
「どうした」
「王都より文が」
差し出された筒を受け取ったウェルロッドは、思わず目を見張った。
「……第一王妃の印!?」
金の糸で結われた羊皮紙。赤い封蝋には、見紛うはずもない后の印章。手に持つだけで重い。
「儂に何をやらせる気だか……」
苦笑しつつ封蝋を割る。蝋のひび割れる音が妙に大きく響いた。走り読みして、眉がわずかに動く。
「……ルイン。しばらく前線は貴殿に任せる」
「お召しか」
「うむ。フリッツのことも頼む。すぐ戻る」
言いながら、ウェルロッドは書簡を丸め直し、懐に収めた。
「第一王妃の次の一手は、ビュロー卿ですか」
珍しく楽しげな声音のルインに、ウェルロッドは渋面を作る。
「儂はな、辺境でのんびり暮らしたいのだ」
「前線を押し返した功労者が何を仰る」
「戦が嫌なのではない。政に関わりたくないのだ!」
「非常時です。観念を」
「薄情者め!」
ぷりぷりと怒りながら、ウェルロッドは詰所を出ていった――が、すぐに戻ってきた。
「ビュロー卿、忘れ物ですか?」
「フリッツ」
ウェルロッドは、壁際に立てかけてあった自分の手斧と丸盾を持ち上げ、青年の前に差し出した。丸盾は人ひとりを覆う大径、縁には干からびた黒い血が細い筋を残す。
「これを預ける。意味は分かるな」
「え……」
フリッツが息を呑む。
「儂が王都にいる間に、一ミリでも後退してみろ。戻ったら、お前の頭を――この斧でかち割る」
ニヤリ、と口端だけで笑う。冗談半分、宣告半分――だが、その眼は温かかった。
「……了解しました!」
フリッツは踵を鳴らし、胸の前で拳を握る。重みのある盾と斧が、掌に現実として乗った。背負うものの重さも、同じく。




