Ⅲ-3 前線
元老院の会議は、冒頭から紛糾していた。
「すぐにゾーンを攻めろ」
「王都復興を優先すべきだ」
――声が互いにぶつかり合う。
アブトマットを逆賊に指定するところまでは足並みが揃っていたが、その先は散り散りだった。カルカノは、このままでは立ち枯れると内心で危ぶむ。
「まずはアブトマットを排除しなければ、憂いは尽きぬ!」
発言者は武家貴族の出で、シグ家にさんざん煮え湯を飲まされたと聞く。主張の芯は、私怨に近い。
「それより王都の復興が先決です!政治機能の麻痺を放置するわけにはいきますまい!」
第二城壁内に屋敷を構える男だ。復興の名目で公費による建て直しを狙っているのだろう。土木事業者との繋がりもある。工事を振って上前をはねる算段まで透ける。
「当面の問題は、南部戦線ではないでしょうか」
小さく、しかしはっきりと。バーテルバーグ家代表として列席しているニニオがぼそりと呟いた。彼女に向けられる視線は、冷ややかだ。
「ニニオ殿の言う通りです」
カルカノが立ち上がる。室内は一拍だけ静まったが、すぐに不満が戻る。
「何を馬鹿な」「現状が分かっておらん」「反逆者の兄を庇いたいだけだ」「くだらん」
「現状を理解していないのは、諸卿のほうです」
カルカノは断じ、合図で資料を配らせた。
「……これは?」
「王都大暴動以降、前線で戦う兵数の推移です」
「減っているのか?」
「減っています。シグ家とその家臣団が担当していた区画だけが、目に見えて」
ざわめきが走る。
「おそらく、ゾーンへ呼び寄せているのでしょう。困ったものです」
「ならばなおさら、さっさとアブトマットを討てばよい!」
「城攻めには時間が掛かります。まず南部防衛線の穴を塞ぐのが最優先かと。――諸卿も戦場のご経験がおありかと存じますが?」
「しかし、魔王軍が今すぐ攻勢に出るとは限るまい」
平和ボケも甚だしい。魔王軍は急速に戦力を増強しているということは、以前よりアナから報告が上がっていた。来る。ほつれかけた防衛線へ、確実に。
「国が潰れれば、玉座も政治も王都も、何も残りません」
「では、南部の再編成を最優先に?」
「シグ家の穴は小さくありません。新兵の動員も避けられないかと」
「やむを得ません。まずは国防――」
まとまりかけたその時、扉が勢いよく開き、伝令が駆け込んだ。
「申し上げます!」
「何事か!」
「南部より火急の報。――魔王、出陣!」
場が凍りつく。火急といっても、王都へ報が届いた時点で、すでに南部では戦闘が始まっているはずだ。
「前線は!」
「狼煙塔による合図のみ、『魔王出陣』と。それ以外の詳細は不明!」
狼煙塔――南部から王都に至る街道沿いに築かれた陸の灯台だ。馬より速いが、伝えられるのは定められた情報だけ。
「どうする!」
「王都からも軍を出さねば!」
「だが、間に合うのか!」
カルカノは即座に命じた。
「ルイン。聖徒騎士団を率い、南部へ」
「御意」
今の王都で即応できるのは聖徒騎士団くらいだ。王都の防備は痩せる――それでも、魔王は止めねばならない。
「まずは聖徒騎士団を派遣します。その間に派遣軍の編成を」
「猊下!」
挙手したのは、フリッツ・モーゼルだった。モーゼル家の主立った者たちはアブトマットと共にゾーンへ落ち延びたが、フリッツは配下五十名と王都に残り、形式上カルカノの私兵として編入されていた。
「我々も行かせてください」
「しかし、フリッツ殿。貴殿はすでにモーゼル家の代表として元老院に席があります。議員を戦場に送ることはできません」
「私はシグ家家臣団の端くれであり、元老院では若輩にすぎません。この席を頂いているだけでも身に余る栄。今こそ、その恩に報いたいのです」
「よく言った」と称賛が漏れる。シグ家の暴走を封じるために設けられた元老院だ。シグ家の家臣が座っているだけで不快に感じる諸侯も多い。この戦でフリッツが倒れても、彼の死を悼む者は多くない――カルカノを除けば。
「……分かりました。フリッツ・モーゼルを先遣隊の軍団長に任じます。異存は?」
賛同の拍手が巻き起こる。フリッツは一礼し、ルインとともに会議場を後にした。
「よいのか。あの握手は、お前の死を望んでのものだ」
「分かっています。ですが……ここにいるより、戦場のほうが静かです」
「向かうのは死地だぞ。それでも静けさを求めるか」
「王都の、この空気よりは」
ルインは軽く笑った。
「部隊指揮の経験は?」
「恥ずかしながら、大暴動での小隊指揮のみ」
「構わん。ただ――俺より前へは出るな。お前は猊下を慕う一人だ。無駄死にはさせん」
「ルイン殿……」
「とはいえ、前線には出てもらう」
「もちろん!」
§ 元老院令 第二号 軍令状
魔王出陣の急あるを鑑み、左記の通り下知す。
指揮 総大将にフリッツ・モーゼル、副将にルイン・ウエストを任ず。
兵数 三万余名を以て先遣隊と為す。
兵科 騎兵を鋒となし、軽装歩兵これに随う。
行軍 昼夜兼行とし、遅滞すること勿れ。速を最上とす。
兵站 荷駄は最少に止むべし。補給は沿道諸城にて徴発・受給すべし。野営を禁じ、城泊を本とす。
施行 本令布達の刻より直ちに施行す。違背あるべからず。違える者は軍律に照らし厳断す。
右、疎漏なく執行せよ。
元老院議長 カルカノ・ヴァン・ルーインバンク 【院璽】
§
昼夜兼行の行軍で、王都出立から四日目、先遣隊はザウエル城へ到着した。
「状況は?」
城に入るなり、ルインは臨時総司令官ガルドーネ・ヴァン・ガイルースに尋ねた。ガルドーネは国王近衛隊長フランキ・ヴァン・ガイルースの弟だ。泥で黒ずんだ外套を肩から払う仕草に、現地の緊張がにじむ。
「一言で言って、良くない。案の定、シグ家が担当していた区画を突かれた。前線は、なし崩しに後退。前線基地だったフェムは、いまや前線そのものだ」
「ということは、今はこのザウエル城がフェムの役割を肩代わりしている」
地図を覗き込みながらフリッツが言う。
「君は――」
「お初にお目にかかります。ペッター・モーゼルが子、フリッツ・モーゼルです」
「モーゼル、だと!」
ガルドーネの手が無意識に腰の剣へ伸びる。ルインがさっと制した。
「落ち着け。彼は臨時政府側の人間だ。逆賊とは無関係」
「……ルイン殿がそう言うなら、信じよう。無礼を詫びる」
「いえ。今の私はどこにも属さぬ身。形式上は、猊下の傘下に置いて頂いているだけです」
「御本家とは?」
「王都暴動の折に離脱しました。王国を守ることを考えれば、あれらにはついて行けません」
ガルドーネは深く頷いた。
「援軍、心から感謝する」
「微力ながら、共に戦わせてください」
フリッツも頭を下げる。
「口上はそれくらいにして――」
「遅くなった!」
ルインが本題に入ろうとした矢先、朗らかな声が割って入った。
「ビュロー卿!」
「総指揮は、いまはガルドーネ殿かな?」
ビュロー城主、ウェルロッド・ジウである。
「なぜ卿がここに?」
「前線の危機と聞いて、寡兵ながら直行した。王都経由より、我が領からはここが近い」
「ありがたい!」
「たった千だが、手ずから鍛えた精鋭だ。好きに使ってくれ!」
緩みかけた空気を、ルインが咳払いで締める。
「では――本題に入る。敵の矛先は、まずシグ家の空白を貫いている。こちらは機動で縫い合わせる。配置と任務を、いまここで決める」
図上盤の上、血の乾ききらぬ印の側に、次の矢印が引かれた。




