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王国玄冬記 ―勇者なき世界で、王殺しから始まる王国の動乱―  作者: Soh.Su-K
Ⅲ虚ろなる一角獣 八九六大攻勢

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Ⅲ-1 不安

 ヴィルを拉致したまま王都を脱出したアブトマットと配下は、大街道を避け、森の小道を各隊に分かれて南下していた。

 『王都大暴動』から三日。逆賊指定を受けたと知ったのは昨日で、暴動鎮圧と同じ便にその布告が載っていた。王都へ戻って弁明する機会は潰え、逃走以外の選択肢はない。


「何故、こうなった……」


 三日三晩の強行軍で、足は痺れ、体は鉛のように重い。


「閣下、これから如何いたしますか」


 眠るヴィルを背負った影が問う。


「ゾーンで挙兵する。ヴィルは我らの手中だ。王都が臨時政府を立てようが、正式な政府は我々だ」


「承知。家臣団へ招集を掛けます」


 影は頷いたが、胸の底に不安が残った。

 臨時政府は「国王拉致」と断じ、世論はそれに乗る。国王不在の下では民意が優先され、扇動に長けるカルカノが政権に復帰している。家臣といえど、こちらの召集に素直に応じるかは心許ない。いっそ王都へ戻って弁明すべきか。そんな弱気が疲労と共に頭をもたげる。

 前衛が戻り、短く報告した。


「道標が逆向きに差し替えられていました。臨時政府の手の者が通ったようです」


 杭の土はまだ湿っている。打ち替えは今朝だ。蹄鉄の痕は稜線へ抜けており、谷へは降りていない。

 さらに、谷の細橋で板が一枚外されているのを見つけた。外した板は北側に積まれている。谷口を塞ぐ向きではない。遅延と観測用の仕事だ。


 影は結論づけた。


「前を取ったのは遮断班。押さえているのは道であって城ではない」


 しばらくして、木々の隙間からゾーン城の尖塔が覗いた。城下に官旗は見えず、臨時の検問もない。


「もうすぐだ!もうすぐだぞ!」


 アブトマットが前を急ぐ。


 影はなお慎重だった。ゾーン城主はアブトマットの実弟、セルゲイ・フォン・シグ。実の兄弟でも、逆賊を受け入れるか。受け入れても無条件に信用してよいか。寝首を掻かれない保証はない。


「閣下……」


「セルゲイは常に私の味方だ」


 アブトマットは歩を速める。影の不安は消えない。



「兄者!」


 城門前でセルゲイが駆け寄るが、抱擁の手前で一歩止まり、掌で制した。


「家印を」


 アブトマットは右手の指輪を外し、刻まれた『心臓に剣』を光にかざす。セルゲイが衛兵長に頷く。

 衛兵長が印台と蜜蝋を差し出した。押印。蝋の匂いが立ちのぼる。

 セルゲイは自分の指輪を重ね、柄の刻線と血槽の粒打ち、刃先の向きを照合する。


「一致だ」


 槍の穂先が下がり、そこでやっと笑みが戻る。


 門内の掲示板には二枚の公文が張られていた。

 一枚は臨時政府の通達。右上の角だけが斜めに刃で落とされている。蛇の癖だ、と影は心中で言った。

 もう一枚は王都からの召喚令第一号、発行は大暴動の翌日付。


§ 王国元老院布告 第二号


王国は、元老院の議決の下に、下記の通り布告する。


一、セルゲイに対し、王都スプリングフィールドの元老院へ出頭を命ず。

一、七日を限りに出頭すべし。

一、出頭を拒み、または期日までに応じざるときは、兄アブトマットと同旨に逆賊と断じ、当人に付与された官名・称号・領地を剥奪し、領兵の動員・徴発・徴税を禁ず。


元老院 【院璽】


§


 脇に控えの書記が控札を示す。『病を得て動けず。猶予願い、返書送致済み』とセルゲイの花押が入っていた。


「挙兵なさるのですね、兄者」


 アブトマットが答えるより早く、セルゲイが言う。


「ご安心を。既に全家臣へ招集を掛けています。ただ、編成には少々時間を要します」


「分かっている。どれほど集まる」


「少なくとも十万。民兵を徴すれば三十万まで見込めます」


 書記が差し出した徴発簿には白欄が目立つ。影は無意識に三頁を数え、黙って戻した。声は熱いが、数字は冷たい。

 影は掲示の召喚令に目を戻す。これは一回目だ。二度三度と重なれば、臨時政府はセルゲイも逆賊に編入するだろう。


「もっと増やせ。勝てずとも、この王国を切り取るくらいは出来る」


「まずはお休みを、兄者。話はそれからでも遅くはありません。召喚令の返書は済ませました。城を離れぬ理由は、体調と治安の二本立てで通します」


 セルゲイは疲れ切った兄に肩を貸し、城内へ導いた。

 街の空気は温かい。ゾーンの人々はアブトマットを歓迎し、臨時政府と戦う気でいるようだ。本当に勝てるのか。こちらは国賊であるのに。


「まるで、マンリヒャーの再現だな……」


 影は二人と別れ、兵舎へ向かった。

 兵舎の前で鎖帷子の擦れる音と油の匂いがした。夜営の支度は始まっている。


 臨時政府の初動の速さと正確さを見るに、蛇は生きている。地下へ潜った蛇に、今の影たちでは手が出せない。

 影の原型を作ったのは、シグ家前当主のモンドラゴン・フォン・シグ。豪龍公と呼ばれた猛将にして、情報戦にも長けた智将だった。影はそのモンドラゴンに拾われた。ゆえに彼への忠義は厚いが、その子アブトマットに対しては同じ重さを持てない。潮時かもしれない。そう思いながら、影は短い眠りに落ちた。



「そろそろ脱落者が出る頃だね」


 アナはゾーンの街を歩きつつ、隣のクスシに言った。


「セルゲイは数十万が集まると言ったが、多く見積もっても五万だ」


「えー、そんなに集まる?」


「多く見積もって、と言った」


「今のうちに臨時政府へ寝返らせるのがいいかもね」


「寝返り先は、必ずしも臨時政府とは限らん」


「……ベルテルバルク家か」


「『真の王家』という言葉を何度も聞いた。もし真なら」


「……臨時政府のトップを狙う」


「根拠は知らんが、その旗で団結が強まっているのは確かだ」


「根拠はあるんでしょう。でも、それだけで玉座を取ろうなんて、私たちは許さない」


「カルカノ様が玉座を望まないのは確かだ」


「あの御方は望まない。だからこそ、あれほどの御仁なんだよ」


「……いつも思うが、お前の言い方は抽象的すぎる」


「でも、言いたいことは分かるでしょ?」


「だから余計に腹が立つ」


「なにそれ」


 アナは笑いながら屋台の商人へ話しかけた。


「おじさん、新鮮な肉はある?」


「山羊ばっかりだよ。ここ最近多くてねぇ。鹿が減ってるよ」


「山羊かぁ、大変だね」


「安くしとくよ?」


「また今度ね」


 アナは屋台から離れた。外聞に聞こえるのは、ただの世間話だ。しかし、暗号表では『越境者増加』と『穏健派逃走済み』を意味する合言葉だ。


 アナとクスシがゾーンにいる理由は一つ。アナの言う「脱落者」の回収である。

 その名簿(リスト)には、影の名もあった

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ハイファンタジー 戦記 シリアス 王族 貴族 内政 陰謀 魔王 男主人公 群像劇 幼馴染 成り上がり 策謀 裏切り 教会 騎士団
― 新着の感想 ―
 最新話、拝読させていただきました。 「何故、こうなった……」  アブトマットは、この期に及んでまだ、何を間違ったのかが分からないのですね。ここまでくると、もはや少し憐れみさえ覚えます。  そしてそ…
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