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王国玄冬記 ―勇者なき世界で、王殺しから始まる王国の動乱―  作者: Soh.Su-K
Ⅱ 血塗られた剣 王都大暴動

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Ⅱ-36 捨石

「アブトマットを取り逃がしただと?使えん蛇だ!」


 クーガーは葡萄酒(ワイン)のグラスを壁に投げつけた。赤が花のように弾け、絹のタペストリを汚す。床に散った破片が靴裏で小さく鳴った。


「城に潜入した三名、いずれも死体で発見――とのことです」


「全く……予定が狂ったではないか!」


 作戦は簡潔だった。潜入させた蛇がアブトマットとヴィルを葬り、市民デモの陰に紛れた二万の兵でスプリングフィールド城を占拠。そこへ()()()()()の血を引く自らが入城して戴冠――。

 だが、アブトマットもヴィルも消息不明の上に、王都の実権は審議会のウィンチェスターと臨時相談役として舞い戻ったカルカノの手に落ちた。城を占拠する者は「逆賊」と指名され、既に王城の包囲は完成している。王都からの早馬がベレッタ城へ届いたのは、暴動の翌日、陽が傾く頃だった。


「さすがはカルカノ、抜け目がないわね」


「褒めている場合ですか、母上」


「焦るでない、クーガー。(いくさ)は急いた方が負ける。アブトマットとウィリアムを王都から摘まみ出せた。まずは一歩前進ではないか」


「……城の兵はどうしますか?」


「捨て置きなさい。ベルテルブルグ家の礎となるのだ、誇りとして死ぬだろう」


 ブレダは赤い液面を揺らし、涼しく笑んだ。


「しかし二万を丸ごと失うのは惜しい気が……」


「ならば、デモの群れを前線に立たせ、主力は隠し通路で退かせるが良い」


「なるほど、すぐに早馬を!」


 伝令は夜を裂いて走る。

 指令がスプリングフィールド城に届いたのは翌晩だ。反逆軍を束ねる男は、直ちにデモ隊をエントラス広場へ集める。臨時政府側に先手を取られる訳にはいかなかった。ベルテルブルグの私兵は既に地下の通路へ消え始めている。デモ隊にすらそれを気付かれてはならない。


「我々は今や反逆者の汚名を着せられ、この城に閉じ込められている!国を想って行動を起こした我々へ、この様な仕打ちが許されてたまるか!」


 拳がいっせいに掲げられる。夜気に荒い息が混じり、瞳がどれも熱に濁っていた。


「見ろ!この戦いの中で、無念にも死んでいった幹部達の姿を!」


 布に包まれた遺体が担ぎ出される。馬屋で消息を絶った二人も混じっていた。市民団体の幹部はすでに全滅。事務方まで根こそぎベルテルブルグの手に落ち、デモ隊はただの傀儡でしかない。

 そして今も、本体主力の脱出を誤魔化す為に使い潰されようとしている。しかし誰もそれに気づかない。


「生き残った我々が、彼らの意志を継がなくてはならない!」


 熱はじわじわと狂気に形を変える。背中を支えているのが誰の手か、もはや見もしない。


「武器を取れ!民の声を踏みにじる王国へ、正義の鉄槌を!」


 掲げられたのは粗末な槍、鉈、鎚、鍬。結果は火を見るより明らかだ。だが門は開き、咆哮が夜に噴き上がった。


 矢が降る。二の矢、三の矢。最前列が崩れ、後列が踏み越え、血が石畳を塗る。それでも止まらない。先頭が聖徒騎士団の盾列にぶつかった。大盾タワーシールドが並び、城門前に壁が築かれる。槍の穂先が黒く光り、踏み込む足をひとつ、またひとつ止めた。


「クソ!俺は正教徒なのに!」


 隣で叫んだ若者は、胸に突き立った槍を見下ろし、何かを言いかけて倒れた。背を押したのは、さっきまで「同志」と呼んだ手だ。踏まれた指が折れ、悲鳴が別の悲鳴をかき消す。


(違う。俺たちは“声”を上げに来ただけだ)


 男は自分の手に握られた鍬の柄を見た。木が汗で滑る。目の前の騎士の兜に、自分の顔が小さく歪んで映った。

 男は敬虔な正教徒だった。何故自分が聖徒騎士団と戦っているのか、分かる者などいなかった。

 ただ目の前の兵士を殺さなければ、自分が殺される。


 平和的に解決したかったのではないだろうか。何故、神の使者とされる聖徒騎士団の槍に貫かれているのか。いつから自分は神敵になってしまったのか。

 次の瞬間、盾の縁が彼の頬を掠め、世界が裏返る。石の冷たさ、鉄と脂の匂い、誰かの体温。耳の奥で太鼓のような音が鳴り、遠くで角笛が応える。彼は無意識に左手を伸ばした。指先に触れたのは、誰かの衣の裾――そこで指は力を失った。


 前へ、前へ。押す力と退けない恐怖。祈りの言葉は喉で絡まり、息だけが白く飛んだ。騎士は寡黙で、命令だけが短く飛ぶ。

 そのたびに、黒い波が白い石へ砕けては消える。盾の裏で騎士の若い目が一瞬だけ揺れ、すぐに固く結ばれる。槍の柄に力がこもり、人体が確かに“重さ”として腕に伝わった。


「怯むな!」


 誰かが喉を裂いて叫ぶ。だが、前にも死、後ろにも死。群衆は狭間に押し潰されていく。転んだ者の上を別の足が走り、雪崩の下で動きを失った手が震え、やがて止まる。矢羽根が頬を掠め、熱い筋が頬に残る。涙だと思ったら、それは血だった。


 戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的で、それは虐殺に近かった。門外に溢れ出た暴徒は、一時間と持たずに沈黙した。数、およそ三千。


 城内の掃討も速やかだった。だが不思議なほど、主力と目された武装集団の姿が一切ない。捜索に走った兵が報告する。


()()()()に繋がる証拠も一切残っていません」


「……やられたな。物証がなければ追求も出来ない」


 兜を脱ぎながら溜息とともにルインが呟いた。

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― 新着の感想 ―
 最新話、拝読させていただきました。  狂乱に呑まれゆく暴徒の成れの果てを、名もなき民に焦点を当てて描写されていたのが印象的でした。正教徒でありながら聖徒騎士団の手によって殺され、神の敵となってしま…
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