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王国玄冬記 ―勇者なき世界で、王殺しから始まる王国の動乱―  作者: Soh.Su-K
Ⅱ 血塗られた剣 王都大暴動

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Ⅱ-35 戦城

「しばらくは安全かと思いますが、引き続き門は閉ざしておいてください」


 教会本部の地下にある、蛇のみが知る隠し通路。その奥から現れたのはアナを先頭にした数名の蛇だった。彼らは食糧を背負い、黙々と搬入を続けている。麻袋から漂う小麦粉と干し肉の匂いが、湿った石造りの空気に混ざる。濡れた靴底が石床で微かに鳴り、松脂の甘い香りが短く尾を引いた。


「助かります、アナ」


 カルカノが声をかけると、アナは片眉を上げ、唇をわずかに吊り上げた。


「それと、ご報告が」


 彼女は周囲を見渡すと、さっと身を寄せてカルカノに耳打ちする。声は囁きに近いが、その言葉の内容は重く鋭い。


「ベルテルブルグを探るために接触させた蛇の数名が、あちら側の手伝いをしているようです」


「……やはり、そうなりましたか」


 カルカノの表情は揺るがなかったが、目の奥がかすかに光った。


「作戦の詳細まではまだ掴めていません。ただ……」


「予想はつきます」


「ベルテルブルグの作戦であれば、アブトマットを王都から引き摺り出すことはできるでしょう。ですがその後に楔を打ち込まなければ、玉座にはクーガーが座ることになります」


「――そこで私や丞相殿が上手く立ち回れ、ということですね」


「その通り。奴らの作戦を利用してください。派手には動けませんが、私たちも裏から援護します」


 アナはそれだけ言うと、仲間を促して闇に消えていった。残されたのは食糧の山と、カルカノの胸中に広がる重苦しい予感だけだった。


「……痛みは避けられぬ、ですか」


 カルカノは深く吐息を漏らすと、食糧の分配を聖徒騎士団に任せ、自らは執務室へ戻る。講堂では、薄いスープの鍋が湯気を立て、切り分けられた黒パンが木盆の上に積まれていく。泣き止んだ乳児の寝息、祈りの囁き――生と不安が同じ器に盛られていた。



 夜の王都は静かだった。第二城壁の内側は「安全宣言」が出されたが、人々は戸口を閉ざしたまま外に出ようとしない。誰もが知っている。外ではまだ反逆者と王国軍の戦闘が続いており、いつ再燃するか分からないと。風は冷たく、路地の犬さえ吠えない。


 その沈黙を裂くように、三つの影が動いていた。ベルテルブルグに与している蛇の三人である。彼らは塊となって夜の路地を疾走し、目的の一点――スプリングフィールド城を目指していた。


「陛下の確保は無理だ。三人でアブトマットを狙う」


 リーダー格の男が低く告げる。呼ばれた名はクスシ。蛇の中でも冷徹さと執念で知られ、アナに次ぐ実力の持ち主だった。声に迷いはない。


「最初に見つけた者が殺す。他は後方支援に回れ」


「ああ、それでいこう」


「了解」


「よし、散れ!」


 三人は闇に溶け、別々の道を取った。安全宣言が出されたとはいえ、王国軍の兵は巡回を怠らない。すれ違うことは許されない。だが彼らは迷いなく影に潜り、兵士の視界を縫うように進んでいく。石段の擦れ、湿った壁の冷たさ、角を曲がるたびに変わる匂い――彼らはそれらすべてを味方に変えた。


 クスシの取ったルートは最も遠回りだった。だが彼の眼差しは冷静そのもの。第一城壁を迂回する際には、巡回の兵たちの会話すら耳に入ってきた。


「兵器を持ち込んだのはホントに市民団体か?」


 城内を巡回している兵士達も雑談をしていた。


「分からん。だが、あの団体も終わりだな。逆賊に指定されて、幹部達は捕まり次第斬首だろ」


「しかし、それで王都は平和になるんかね……?」


「おい、そういう事言うな!下手に誰かに聞かれたら、お前だけじゃなくて俺まで首が飛ぶ!」


「物理的な意味でな」


「笑えねーよ……」


 少なくとも、兵士の中にもアブトマット政権への不満は募っているようだ。


「しっかし、たかが市民団体が大弩(バリスタ)なんて用意できると思うか?」


「閣下を目の敵にしてる貴族が提供したんじゃねーの?」


「また粛清か……」


「だから、そういうのは一人の時に言えよ!」


「一人で喋ってたら別の意味でヤベェ奴になっちまうだろうが!」


「それこそ俺には関係ない」


 くだけたやり取り。しかし、その裏に潜むのは不満と恐怖。アブトマットの圧政が兵たちの士気を蝕んでいるのは明らかだった。


「……これだけの神経を、政治に使えればな」


 クスシは小さく吐き捨てる。だが表情は凍り付いたまま、彼は足を止めなかった。堀に沿う影を拾い、苔むした石の継ぎ目に指をかける。息を潜めて身を引き上げ、見張り台の死角を滑るように跨ぐ。


 やがてスプリングフィールド城に到達する。警備は厳しいが、戦場が城外に移ったため、内部は一見落ち着いていた。廊下を巡回する兵士たちの足音が響く。その中に紛れるように、クスシはアブトマットの私室へと近づいていった。燭台の炎が壁に揺らぎを作り、緊張は目に見えぬ波となって走る。


「閣下、ご報告があります!」


 兵士の声色を真似て扉を叩く。


「入室を許可する」


 中から低い声。クスシは扉を押し開け、一歩踏み入れた。


「失礼します!」


「報告とは何だ?」


 アブトマットは窓辺に立ち、外の闇を見据えていた。その背に向けて、クスシは一瞬の隙を逃さなかった。手の中の小剣(ナイフ)が閃き、一直線に飛ぶ。


 しかし――。


 甲高い金属音が室内に響いた。何処からともなく現れた影の一人が小剣を投げ、クスシの刃を弾き飛ばしていた。火花が散り、床に転がった刃が鈍く回転する。


「何だ!?」


 振り返ったアブトマットの眼に、空の室内が映る。クスシは既に姿を消していた。床に残るのは足音の気配だけ。


「暗殺です!」


 影が叫ぶ。次の瞬間、第一城壁の上で爆炎が弾けた。火の手が夜空を染め、設置された投石機が爆散する。炎の帯が空を裂き、熱風が窓の隙間から舌のように入り込んだ。


「何事だ!」


「敵襲です!お逃げを!」


 混乱の声が廊下に響く。アブトマットの眉間に深い皺が刻まれた。


「逃げる……この城からか?」


「既にこの城は敵の手中の可能性が高いのです!」


「だが今、玉座を離れればヴィルが座る!」


「では陛下も連れてお逃げください!」


 兵たちが殺到するが、暗闇から次々と飛んでくる小剣の刃は毒を帯び、掠っただけで絶命した。叫びと血飛沫が石壁を濡らす。靴が滑り、鉄の匂いが濃くなる。


「何が起きているんですか!」


 ヴィルが自室から飛び出す。寝間着の裾がたなびき、裸足が冷たい石に跳ねた。アブトマットは彼を小脇に抱え、走り出した。


「黙れ!敵襲だ、逃げるぞ!」


 第一城壁は既に突破されていた。上がっているはずの跳ね橋は全て降ろされ、総板金鎧フルプレートアーマーをまとった謎の武装兵が扉を破壊し、斧と鎚で城門を叩き割ろうとしている。誰も叫ばない。整然とした打撃音だけが規則正しく、石の骨を折っていく。


 スプリングフィールド城は、瞬く間に混沌の渦へと飲み込まれた。


「地下道をお進みください!」


 影が叫び、アブトマットとヴィルを先へと走らせる。自らは廊下に残り、迫る暗殺者たちと対峙した。石壁が冷え、呼気が白くほどける。


「姿を見せろ。蛇か!」


 暗がりから現れたのは覆面を纏った男たち。声は低く、冷たい。


「蛇ではない」


「この城に忍び込めるのは蛇しかいないはずだ!」


「我らは()()()()()の使徒。簒奪者を討ち、玉座を真へと戻す」


 剣戟が火花を散らす。影は押しとどめながらも、その言葉の意味に引っかかりを覚えていた。真なる王家とは何か。バーテルバーグ王家を仮初めと呼ぶのは何者か。相手の呼吸は祈祷のように一定で、斬り結ぶ合間にも低い詠唱の残響めいたものが耳に残る。


「誰の差し金だ」


 覆面の目は読めない。返答の代わりに、刃が答えた。三手、四手、間合いを切り、闇に消える。靴音は最初からなかったかのように、すぐ無音にほどけた。


 影は舌打ちし、唇の血を拭うと、再びアブトマットの後を追う。



 一方その頃、別の廊下でクスシが仲間と合流していた。外套の裾に、爆ぜた煤が斑点のように付いている。


「見逃して良かったのか、クスシ」


「構わん。アブトマットを玉座から遠ざければ十分だ。我らは影に討たれたことにすればいい。死体を適当に作れ」


「了解。その後は?」


「本体に合流する。ここから先は政治力の問題だ」


「結局、猊下頼みか」


「そういうことだ」


 クスシは冷淡に答える。



 夜明け。スプリングフィールド城は市民団体と謎の武装集団によって占拠された。彼らは「革命」を宣言し、旗を掲げる。縁を黒で縫い、中央に赤い記章――見慣れぬ意匠。鐘が鳴り、狼煙が上がる。だがその声に呼応する群衆はなく、ただ遠巻きに怯えた瞳が見つめるだけだった。窓から覗く母親の手が、子の口をそっと塞ぐ。


 アブトマットとヴィルは消息を絶ち、城の指揮権は消えた。噂だけが枝を増やす。

 誰かが見たという。

 誰も見ていないという。


 教会本部での臨時審議会にて、カルカノと丞相ウィンチェスターは即座に決断を下した。城を占拠する者たちを()()と断じ、徹底討伐を命ずる。カルカノの執務室、ペン先の擦れる音さえ硬い。


「即時武装解除と城の明け渡しを要求します。猶予は明日まで。それを拒めば討伐軍を編成します」


 カルカノの声は揺るぎなかった。だが、その心の奥では焦燥が静かに広がっていた。ヴィルが拉致されていることに、誰もまだ気づいていなかったからだ。


「猊下、本当に――」


 ウィンチェスターが低く問う。カルカノは短く頷くのみ。


「必要です。王国には“秩序の線”が要る」


「……承知しました。私も線のこちら側に立ちます」


 丞相の声は静かだが、伏せた睫毛が震えた。二人は視線を交わし、互いに言葉を飲み込む。誰かが血を浴びる役を担わねばならない。その自覚が、執務室の空気に沈んでいた。


 夕刻、城側から返答があった。徹底抗戦。短い文面に、硬い意思だけが刺さっていた。


 翌明朝、王都に残っていた王国軍と聖徒騎士団による城攻めが開始されたのであった。


 誰も知らぬままに、ヴィルは――アブトマットの腕に抱えられ、王都の外を彷徨う。

 主と囚われの境目が曖昧なまま、朝靄の中へと消えていく。

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ハイファンタジー 戦記 シリアス 王族 貴族 内政 陰謀 魔王 男主人公 群像劇 幼馴染 成り上がり 策謀 裏切り 教会 騎士団
― 新着の感想 ―
 最新話、拝読させていただきました。 「……これだけの神経を、政治に使えればな」  アブトマットの評は本当に、クスシのこの一言にすべてが詰まっているなと感じました。  もっとも、何もかも遅すぎた話…
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