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王国玄冬記 ―勇者なき世界で、王殺しから始まる王国の動乱―  作者: Soh.Su-K
Ⅱ 血塗られた剣 王都大暴動

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Ⅱ-34 工作

「ご無事でしたか、丞相殿」


「猊下も……安心しました。私の屋敷は戦仕様になっておりませんので、猊下の申し出がどれほど有り難かったか」


 教会本部の正面、小門をくぐってウィンチェスターが中へ入る。後ろに連なる屋敷の使用人たちも、ようやく囲いの内側で息を吐いた。


「お前たちは避難民だが、貴族の使用人でもある。聖徒騎士団の手伝いを」


「承知しております」


「我々も助かる。まずは別棟へ」


 ルインが短く指示し、使用人たちを列にして連れていく。誰もが疲労で顔色は悪いが、秩序は保たれていた。


「猊下」


 ウィンチェスターの声色は沈んでいた。


「丞相殿、まずは中へ」


 カルカノはいつものように穏やかな笑みで手を差し伸べる。だが瞳の奥に走る緊張は、普段のそれとは異なる鋭さだった。二人は人気の少ない廊下を抜け、執務室へ向かう。


「蛇は、どうしていますか」


 足音だけが石床に吸い込まれる通路で、ウィンチェスターが低く問う。


「私の手からは離れましたが、地下に潜り活動中です」


「……やはり。安心しました」


「蛇からの報告があります」


 執務室に入ると、カルカノは扉を閉め、窓の閂を確かめ、香炉に火を落とした。灰に混ぜた匂い薬が微かに甘い。


「今回の暴動、やはり糸を引く者がいます」


「……貴族の誰かですか」


「ええ。ベルテルブルグ家」


「ベルテルブルグ……バーテルバーグの分家」


「政から距離を置いたとはいえ、有力な血統です。武官も文官も育つ土壌がある」


 カルカノの視線は机上の燭台ではなく、虚空の一点を見ている。


「しかし、何故この時期に」


「狙いは玉座でしょう」


「取って代わるつもりですか」


「摂政殿が国の実権を握って以降、王都は荒廃しました。暴動の責を摂政殿に負わせ、ヴィル陛下共々、法の名の下に()()。――そういう筋書きが立ちます」


「暴動鎮圧の功を掲げ、玉座へ至る……。ですが、暴動は萎み始めました」


「恐らく陽動です。前線が第二城壁の外へ下がることは織り込み済み。むしろ、これからが本命でしょう」


 沈黙が落ちる。廊下を走る靴音が遠くに一度だけ響き、すぐに消えた。


「……猊下は、どうされるおつもりで」


「残念ですが、ヴィル陛下を救うことは――」


「理解しております。だから、私をお呼びになったのでしょう?」


 ウィンチェスターは椅子の背から手を放し、姿勢を正した。


「やはり、丞相殿が頼りです」


「“何があっても最期まで丞相の座にしがみつけ”――そう仰ったのは猊下でしょう」


「一番苦い役目を、あなたに」


「いえ、これから一番大変なのは猊下です」


 ふっと、カルカノの頬が緩む。だが笑みはすぐに消えた。その一瞬で、互いが互いを理解していることだけが確かになった。


「よろしくお願いいたします」


「頭を下げるのはこちらです、猊下。……それにしても、ヴィル陛下が不憫でなりません」


「蛇が動けばあるいは――そう思わなくもないが、アナの判断は動かずでしょう」


「正しい。猊下が身を挺して蛇を()()()()()にした。その意味を無駄にはできません」


「大后殿下のご様子は」


 カルカノの問いに、ウィンチェスターは重く目を伏せた。


「まだ……。――アブトマットに毒を盛られ、眠ったままです。身体は生きていますが、意識は戻らないだろう、と」


「……そこまで」


 喉の奥に苦味が広がる。カルカノは掌を握り、爪が食い込む痛みで思考を繋ぎ留めた。


「すでに手にかけた可能性もあります。王城は地獄です」


「――貴方を呼んだのは、間違いではなかった。必ずお守りします」


「この騒動の間、お世話になります。その後の仕事に備えましょう」


「その通りです」


 二人は立ち上がり、固く握手を交わした。掌と掌が触れ合った一瞬、事後の王都を立て直すための、見えない地図が共有された。


 しばらくは、暴動の行く末を見届けるしかない。次の一手を打つべき正確な刻限は、まだ地中に潜っている。


 その頃。第二城壁の外は混乱のただ中にあった。第一城壁の前で粉砕された暴徒の残滓、暴動とは無関係の一般市民、身元を洗い出す王国軍の巡回。外出禁止令下、通りにいるだけで反逆者の烙印を押される。教会本部へ避難しようとして捕らわれる者も少なくなかった。


「クソッ、これじゃ動けねえ」


「声を落とせ。……潮目を見ろ、まだいける」


 とある裏通り。鍵の壊れた扉から忍び込んだ小屋は、馬屋だったはずだが、馬の匂いは薄い。

 中は藁が散らばり、乾いたパンの欠片、中には馬屋には似つかわしくない妙な金属パーツも落ちていた。確かに誰かが寝泊まりしていた気配はある。

 ……だが不思議と、生活の()()が感じられない。食べかけを残したまま、ぱたりと姿を消したような空虚さだった。

 扉の鍵が壊れていたことも妙だった。外出禁止令が出ている今、普通なら戸締まりを固めるはずなのだが。「運が良かった」と一人が呟いた。だが、その言葉はどこか軽く、空気に馴染まなかった。

 ここに身を潜めるのは、市民団体の幹部二人。組織は大きかったが、その半数以上が第一城壁で死んだ。前線に立っていた者ほど、もう戻らない。残るのは、帳簿とスローガンを握っていた手だ。


「しばらく、ここに」


「……それにしても、誰だよ。あんな兵器、いつの間に持ち込んだ。俺たちは“声を上げる”だけのはずだった」


「利用された。今は逃げるしかない」


「リーダーは」


「……油だ。煮えたぎったやつが、降った。顔が……顔が無かった」


 沈黙。息が藁を揺らし、埃が鼻を刺す。二人は自分の指の汚れに気づき、こすっても落ちないことに気づく。


 ――軋む音。


「誰かいるのか?」


 戸口の向こうから、男の声。二人は目を合わせ、身を縮めた。


「おい、どうする」


「静かにしろ」


「誰か、いるんだろう?」


 足音が近づく。鎧の擦れる金属音はしない。革靴の乾いた音だ。


「兵士じゃない、か……」


「出る。交渉しよう」


 二人が身を起こすと、粗末な服の中年男が立っていた。

 皺の刻まれた顔。手には鉄の農具。彼は驚いたように目を丸くし、次に、疲れた表情でため息をつく。


「誰だ、お前ら」


「すみません。王国軍が怖くて……少しだけ、匿ってくれませんか」


「短い時間でいいんです、お願いします」


 男は二人を見比べ、眉間に皺を寄せた。


「デモの連中か」


「はい。……非暴力のつもりでした。武器なんて、知らなくて」


「兵器が紛れ込んでいたことも、知らなかった」


「……大変だったな。王国軍は西へ動いた。今のうちに来い、うちで隠れろ。騒ぎが収まるまでの間だ」


 二人は互いに頷き、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「恩は忘れません」


「いいから急げ」


 裏戸から出る。夕闇が街に降り始め、石畳の隙間に溜まった血が黒ずんで見える。遠くで角笛が鳴り、犬の吠える声がそれに被さった。男は足音を殺し、先を歩く。二人は肩をすぼめ、その背を追う。


「……あなた、名前は」


「名乗る必要はない。お前らも名乗るな」


 もっともだ、と二人は黙る。だが、抑えきれないものが胸を突く。


「俺たちは、間違っていたのか」


「間違ってはいない。……やり方を、間違えたのさ」


 男は振り返らない。路地から路地へ、壁の影から影へと、迷いなく進む。まるで、この一帯の暗渠の流れを知っているかのように。

 幹部の一人はこの男を疑い始めた。

 何故こんなにも歩くのだ?小屋の主ならば、家は隣にあるのではないか?


「アンタら、市民団体の幹部だろ」


 ぽつり、と男が言った。二人はわずかに足を止める。


「ええ。『摂政政治に声を上げる会』の者です」


「王都の人たちに申し訳ない。見抜けなかった。変なのが混じってたのに」


「次は……もっとまっとうにやる。人を集めるだけじゃなくて、逃がす手も考える。助ける仕組みを先に作る」


 男は小さく笑った。だがその笑いは、夕闇の中に溶け、すぐに形を失った。


「そうか。やっぱり、そうだったか」


「え?」


 空気の温度が、半歩だけ下がった気がした。

 次の瞬間、後ろから鈍い音。もう一人の体が崩れた。頭蓋を打つ重たい音が、石壁に鈍く反響する。


「な……」


 振り返ると、大柄の男が影から現れていた。棍棒――いや、砂を詰めた革袋、軟棍棒(サップ)だ。振り下ろされたそれが、今しがた仲間の後頭部を打ったのだ。


「動くな」


 大男の声は乾いていた。もうひとりは膝から崩れ落ち、指をわずかに痙攣させている。


「ビンゴだな」


 先導していたオッサンが、ようやく振り返った。さっきまでの疲れた市井の顔が剥がれ落ち、冷たい表情が浮かぶ。


「こいつらの首には、まだ利用価値がある」


 大男が肩をすくめ、倒れた一人の腕を靴で押さえつける。呻きが漏れ、すぐに喉の奥で掻き消えた。


「殺しはしない。今はな」


 オッサンは淡々と告げ、革紐を取り出す。手首を束ねる動きは素早いが、軍人のような洗練はなく、あくまで“用意してきた手順”といったぎこちなさがあった。


「な、なんで……俺たちは……非暴力で……」


「非暴力?だから狙われたんだ」


 二人を押さえ込む工作員の目には、感情の光はなかった。ただ任務を遂行する者の色だけが、そこにあった。

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ハイファンタジー 戦記 シリアス 王族 貴族 内政 陰謀 魔王 男主人公 群像劇 幼馴染 成り上がり 策謀 裏切り 教会 騎士団
― 新着の感想 ―
 最新話、拝読させていただきました。  カルカノさんとウィンチェスターさん、とりあえず合流できたようで一安心です。しかし避難した先でただ客人にならず、使用人たちもそれを当然だと考えているところにウィ…
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