Ⅱ-32 軍隊
群衆の中には、ぼう長剣を隠し持つ者がいた。
彼は王都の市民ではない。クーガー・デュ・ベルテルブルグが金で雇い、暴動を悪化させるために潜入させた間者であった。
「摂政を殺せ!」
「これが民の怒りだ!」
煽る声が飛び交い、ただ抗議のために集まっただけの者たちの顔にも、次第に狂気が浮かび始める。
「殺せ!」
城門を守る衛兵は殴り倒され、血に染まった死体を踏み越えて群衆が門を打ち叩いた。
「構わん!撃て!」
城壁の兵士が矢を浴びせる。だが群衆は近隣の家屋から扉を剥ぎ取り、即席の楯として掲げて進んでくる。
「来い!」
後列の一人が叫び、手招きした。現れた六人の男たちは、肩に太縄を掛けて鉄張りの丸太を吊り下げている。
――破城槌。小型ではあるが十分に脅威だった。
「城門突きだ!」
「奴らを狙え!」
矢が集中するが、前列は丸盾を掲げて防ぎながら前進する。
しかも狙いは正門ではなく、その脇にある小門だった。
「小門だ!奴ら、小門を狙っている!」
「補強は済んでいます!石で塞いであります!」
「よし!とにかく射殺せ!これは反逆だ!」
指揮官が怒鳴った瞬間――
ゴウン、と重い弦鳴り。
矢というより槍に近い巨大な矢が飛来し、指揮官の胸を貫いた。
血飛沫を撒き散らし、残骸と化した体が城壁の内側へ叩きつけられる。
「なっ……!?」
群衆の後方には矢避けの楯列が並び、その隙間から大弩が構えられていた。
「大弩だ!奴ら、大弩を持ち込んでやがる!」
小型とはいえ城壁上の兵を殺すには十分な威力。返す矢は楯に阻まれ、届かない。
これは偶発ではない。緻密に計画された攻城戦だった。
「怯むな!」
鋭い声が戦場を裂く。甲冑も着けず、抜刀のまま現れたのはアブトマットだった。
「貴様ら、王都暮らしで腕を鈍らせたか!思い出せ、貴様らはシグ家に連なる武家でろう!南部で魔王軍を退け続けた兵ではかったか!」
その檄に兵たちの目が変わる。相手が王国民であろうと、敵と見なせば怯まぬ。歴戦の猛者たちはこの暴動を戦闘として受け止めた。
「この城壁は王国一堅牢だ。焦らず磨り潰せ。――影!」
「ここに」
「敵後方を撹乱しろ。大弩を潰せ。それと扇動している首を洗い出せ」
「承知」
矢継ぎ早に飛ぶ命令に、兵たちは秩序を取り戻していく。
「住民など他所から移せばよい。歯向かう者は全員斬れ」
「了解」
「謁見の間を本陣とする。逐次情報を上げろ」
そう言い残し、アブトマットは城内へ戻った。
†
謁見の間はすでに作戦本部へと変わっていた。
中央の卓にはスプリングフィールド城の俯瞰図。壁際の長机には情報部員が詰め、伝令が駆け込んでは報告を置き、怒号と筆音が飛び交う。
アブトマットが入室すると、参謀たちは一斉に立ち上がり敬礼した。
「作業を続けろ」
短く命じられ、全員が席に戻る。アブトマットは玉座に腰を下ろした。
「扇動している者がいます。マンリヒャー残党に否定的だった貴族筋か、あるいは外国勢力の可能性も」
「蛇の関与は?」
「痕跡はまったくありません。存在しているかも怪しいほどです」
「蛇が本気なら、我々を欺くなど造作もない。だがここまで沈黙しているなら、今回は関与していないと見ていいだろう」
「同感です。装備の整った者もいましたが、王国内製の安物でした」
「国外勢力の線は薄い。背後はやはり貴族の誰かだな」
アブトマットは頷いた。
「特定作業は続けろ。だが先決は戦を終わらせることだ。――各城門の状況は?」
参謀と伝令が次々に応答し、兵の配備や交代、矢や武器の分配まで即決されていく。戦慣れした指揮系統に無駄はなかった。
「食糧は半年分以上あります。ただし矢は圧倒的に不足しています。ここで戦になるなど想定していませんでしたので」
「……油は?」
「そこそこ残っています」
「なら火油だ。惜しまず使え。その間に矢を確保させろ」
「了解!」
命令が飛び、参謀が走る。
「この城が落ちることはない」
アブトマットの言葉は静かだったが、確信に満ちていた。




