Ⅱ-30 孤立
「カルカノ」
玉座に腰かけたアブトマットが声を発した。
「私に何の御用でしょうか、閣下」
カルカノは頭を垂れたまま応じた。玉座にふんぞり返るその姿は、まるで自らが王であるかのようだ。
ヴィルは依然として自室に籠もり、大后シャルロットも軟禁同然。
審議会もいまやウィンチェスター以外、すべてがアブトマットの掌中にある。
「一つだけ、確かめたいことがある」
「何でしょう」
「――蛇は本当に消えたのか?」
カルカノはしばし沈黙した。
「……なくなりました。私がそう申しているのですから、間違いはありません」
「戯言を!」
アブトマットは声を荒げる。
「あの地下に転がっていた死体は、多く見積もっても百。だが実際に“蛇”として動いていた者は、世界中合わせれば一万を下らんはずだ!まだ残っているのだろう!」
カルカノは溜息をつき、静かに顔を上げた。
「閣下、諜報とは四つに分けられます。情報の収集と管理、分析と補佐、工作、そして軍事工作。さて、この中で最も重要なものは何だと思われますか」
「……工作だろう」
「いいえ。情報の収集と管理です」
カルカノはきっぱりと告げた。
「剣を振るう者も、爆薬を仕掛ける者も、すべては情報を基に動くのです。情報を集め、整理し、使える形に仕上げられなければ、工作も軍事行動も成り立ちません。根を断てば枝葉は枯れる――そういうものです」
「……!」
アブトマットの顔が引きつる。
「私は自らの手で、その“根”を担う者たちを葬りました。だから“蛇”はもう存在しません」
「だが、実働の者たちは残っているのだろう!」
「閣下が仰るのは“蛇が使った駒”に過ぎません。駒は駒。指し手を失った時点で、盤上の石ころに等しい」
言葉を切り捨てるようにカルカノは言った。
アブトマットはなお食い下がる。
「では影を殺したのは誰だ!影の暗殺が立て続けに起きている!」
「……その影、本当に影ですか?」
妙に含みのある言い方だった。
「新人ではあったが、間違いなく影だ」
「ならば仕方ありません。閣下は王都の現状をご覧になっていますか?大粛清で閣下の名は地に落ちました。閣下の部下である、それだけで恨みを買うのです」
「私のせいだと言いたいのか!」
「ええ、自業自得でしょう」
アブトマットは憤怒のまま立ち上がり、剣を抜いた。
だがカルカノに切っ先が届くより早く、フリッツらが前に立ちはだかる。
「閣下、今ここで猊下に手を出せば、この王都は完全に崩壊します。王国だけでなく、世界中を敵に回すことになります」
その通りだった。捌神正教の長に手をかけるなど、王国史そのものを滅ぼす行為だ。
アブトマットは荒い呼吸を抑え、渋々剣を収めた。
「……力を借りたい」
か細い声で吐き出された願い。
しかしカルカノは、あっさりと首を振った。
「閣下、私はもはや何の力も持ちません。影がお手元にいるではありませんか。彼らの力があればなんとか出来ましょう」
「そのなんとかが分からぬから呼んだのだ!」
「ならば、影に意見を求めるのが筋でしょう。私に残されたものは祈りだけです」
そう言ってカルカノは深く一礼し、静かに退室した。
扉が閉じられた後、アブトマットは噛みしめるように呟いた。
「自業自得……」
大后と若き王は軟禁、カルカノも去り、ウィンチェスターは沈黙した。
王国のすべてを掌握したはずなのに、治安は崩れ、財政は崩壊しつつある。
掴んだはずの権力は、砂の城のように指の間から崩れ落ちていく。
アブトマットは、完全に行き詰まっていた。
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次回から次節『王都大暴動』が始まります。
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