Ⅱ-23 出陣
ヘンリーの行方はいまだ掴めなかった。
苛立ったアブトマットは、責任を押しつけるように反社会組織の構成員数十人の首を刎ね、さらにカルカノへも探索を命じた。だがプフの反乱鎮圧に人員を割かれており、動ける蛇は三名ほどに過ぎないという。
「閣下、カルカノ自身が怪しいのでは?」
「そうも思ったが、ヘンリーが貧民窟にいたことすら知らなかったらしい。私の下男としてシグ家にいると思い込んでいたようだ」
「ほぉ……」
「激昂していたぞ。シグ家に預けたはずが、反社に売り飛ばしたのだからな」
アブトマットは葡萄酒を口に含み、冷たく吐き捨てる。
「閣下の行動は間違っておりません。あのガキは庶民に落ちた。手厚く保護する必要などありません。ただ利用される可能性がある。ならば――地下に沈めるのが賢最良かと」
「我が意を理解するのはお前だけだな」
短いやり取りを残し、男は姿を消した。
マンリヒャー残党によるプフ占領から二か月。
町の食糧は底をつきつつあった。そこへ、アブトマット自らが率いる本隊三万が今日出陣する。すでに先発の四万と合わせて七万、さらに後発の一万を順次送れば総勢八万の大軍となる。
「閣下、全軍準備整っております!」
「うむ」
兵の数は十分なはずだった。しかしアブトマットは不満げに眉をひそめる。二十万は集まると踏んでいたのだ。
出兵要請に応じた貴族たちは、渋々わずかな兵を差し出しただけだった。
理由は明白だ。世論の大勢はアブトマットを支持していない。
ツェリスカの処刑を政府が行わず、反乱軍が代わりに執行した――それが「政府の無能を反乱軍が尻拭いした」と解釈されていた。
「何が好き勝手だ……ガーランドもそうしていただろう!」
忌々しげに呟く。
だがアブトマットには、治世というものの意味が理解できていなかった。ただ国王が幼いのをいいことに、我欲のまま権力を振り回しているに過ぎない。
その背を見送りながら、カルカノは深く息を吐いた。
「大将軍不在の間に、情勢を整理すべきです」
背後のルインが静かに告げる。摂政が戦に出れば、王都の政治権限は国王ヴィルの手に戻る。
「まずは私刑禁止法の停止を。反乱勃発以降、連続暴行殺人は途絶えています。すでに無価値です」
「御意。午後より審議会を開きましょう」
すぐに審議会が開催され、法は停止され、全兵士に与えられていた逮捕権も憲兵へと戻された。
翌日には王国全土に布告され、アブトマットの耳にも届く。
「……奴ら、すぐに動いたか」
表向きは平静を装ったが、内心では舌打ちする。
だが民衆は目に見える変化を敏感に感じ取り、王都の治安は回復し、経済も動き始めた。アブトマットが足を引っ張っていた事実が露見し、ついには審議会から「摂政を排除せよ」との声まで上がるようになった。
「馬鹿が王都を離れた途端に、都は正常に戻りつつあるか……」
ベルテルブルグの居城・ベレッタ城。
当主クーガーは、訓練に励む兵を見下ろしながら低く呟いた。
「このまま静観するのですか、クーガー」
隣に立つ母ブレダが問う。
「しばらくは。正常に戻ったといっても、負がゼロに戻っただけ。本当に必要なのは正当な王の即位に変わりはありません」
満足げに頷くブレダ。
「古き家臣団も次々と戻ってきています。しっかり鍛え上げなさい」
「承知しております」
すでに五万の兵が集い、挙兵の準備は整っていた。
だが今動けば王都に気取られ、プフを包囲するアブトマット軍が矛先を向ける恐れがある。
だからまだ、息を潜めるしかない。
それでもクーガーの心は晴れやかだった。
眼下の兵士たちを見ながら、自らが玉座に座す未来をありありと思い描いていた。