Ⅱ-19 正当
プフから王都へ早馬が戻った。携えていたのは、使者の首。
予想通りすぎて、アブトマットは逆に興ざめしていた。
「……これで交渉の余地は断たれた」
審議会の面々に驚きも悲しみもない。ただ淡々と事態を処理する空気だけが漂っていた。
「では、プフ城に立て籠もる武装集団を反逆軍に指定し、討伐作戦の開始を宣言します」
ウィンチェスターが事務的に告げる。
使者の命など最初から織り込み済みだ。誰もが「死にに行った」と分かっていた。
彼が携えてきた文には――プフ城からの即時撤退、ツェリスカの解放、街の開放――そんな要求が記されていた。
聞き入れるつもりは毛頭ない。だが、この“儀式”を経なければ法的に反逆と断じることができず、軍も動かせない。
要は、大義名分が必要なのだ。
「摂政、どのように攻めるおつもりか」
シャルロットの声音は厳しかった。
「先発として一万で包囲します」
「総攻めは、いつになる」
「……総攻めなど致しません」
「なに?」
シャルロットは目を見開いた。
「所詮は有象無象の賊ども。王国軍に犠牲を出す必要はありません。包囲して干上げる――それでよい。見せしめにもなる」
「では、囚われているツェリスカ殿はどうなる!」
「ツェリスカはもはや庶民。力はありません。むしろ彼女が死ねば、国民の怒りもいくらか静まるでしょう」
――やはり駄目だ。
シャルロットは痛感した。
そんなものは一時の鎮痛剤にすぎない。根本は変わらず、国民の不満は再び積み重なる。
それを理解できていない。
「摂政殿……それで本当に国民は怒りを収めるのでしょうか」
不意に、ヴィルが口を開いた。
アブトマットは耳を疑った。小僧が、自分を諫めるとでもいうのか。
「陛下、民とは単純なものです。王都の治安が乱れた原因はツェリスカの不貞。処罰されなかったから反逆が起きた。ツェリスカが死に、反逆が鎮圧されれば平和は戻るのです」
嫌味を込めて言い放つアブトマット。その説明を聞きながら、ヴィルは首を傾げた。
「……私には、そうは思えないのです。何か、大きな何かを見落としている気がしてなりません」
わざとらしく大きな溜息をつくアブトマット。
「よろしいですか陛下。国政に関わってまだ日が浅い。特に軍事は素人同然。ここは私にお任せいただかねば」
「……」
ヴィルは黙したまま、真剣な面持ちで考え込んでいる。
アブトマットは小さく舌打ちした。室内の空気が凍りつく――が、当のヴィルだけは気にせず言葉を継いだ。
「ツェリスカ様は庶民に落とされ、修道院で懺悔の日々を送っていました。それは十分な罰だったのでは? 国民の怒りの原因は彼女個人ではなく、王都の治安悪化そのものにあったのではないでしょうか」
「馬鹿な!治安を悪化させたのは反逆軍の暗躍だ!」
「違います」
ヴィルははっきりと言い切った。
「国民は我々に怒っていたのではありませんか?治安の悪化を放置した――それこそが最大の原因です」
「だからこそ私刑禁止法を施行し、警備を強化したではありませんか!」
「ですが、結果は改善されなかった。陛下はそう仰りたいのでしょう」
カルカノが静かに頷いた。
「その通りです。結局、我々は治安を立て直せなかった。国民がそれを忘れるとは思えません」
「国民などすぐに忘れる!今は反逆軍の件で上書きされている。誰も覚えてなどおらん!」
「いいえ、必ず思い出す。あの時、政府は何もしなかった、と」
「陛下の仰る通り。国民も愚かではない」
カルカノの言葉に、ヴィルは真剣な眼差しを向けた。
「私は父――前王ガーランドがどのように国を治めていたのか、学びたいと思います。猊下、どうかお教えいただけますか」
アブトマットの顔が赤く染まった。
摂政である自分を差し置いて、カルカノに教えを乞うだと。ふざけるな。
「陛下!それはどういう意味ですか!」
「どういう意味もありません。ただ、猊下から学びたいと思っただけです。大僧正は政治に一定の距離を置きながら、王国の中心を見てこられた。その客観から父王の治世を学びたい――それだけです」
理路整然とした言葉は、アブトマットを鋭く貫いた。
沈黙する審議会。破ったのはシャルロットだった。
「陛下、あまり摂政を困らせてはなりません。立場上は陛下の右腕なのです」
「蔑ろになどしていません。軍事については摂政殿から学びたいと考えています」
ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえた。
アブトマットは必死に怒りを押し殺し、心に刻んだ。
――成人する前に、この小僧を必ず葬る。
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