Ⅰ-4 我儘
「……何を馬鹿なことを仰っているのですか!?」
翌朝の審議会は冒頭から荒れていた。無理もない。国王暗殺の噂が渦巻く中で、その張本人がよりにもよって南部戦線を視察に行くと言い出したのだ。荒れない方がおかしい。
丞相ウィンチェスターは顔を紅潮させて立ち上がり、大蔵大臣ラハティは椅子にもたれて天井を仰ぐ。大僧正カルカノに至っては、手元の葡萄酒をそっと置き、両手で頭を押さえていた。
「落ち着け、ウィンチェスター」
「落ち着いていられるわけがないでしょう、陛下!」
ウィンチェスターの声は裏返り気味だ。年若い丞相にしては珍しく、感情を露わにしていた。
「……丞相、これは既に決定事項だ」
「どうして今、この時期に、そんな愚行を!?」
「とにかく、詳しい話は大将軍から聞いてくれ」
ガーランドの静かな声に促され、ウィンチェスターは不承不承椅子に腰を下ろす。手元のグラスを持ち上げようとするが、その指はわずかに震え、液面が波立った。
「陛下からのご命令により、南部戦線への慰問を実施します。日程は再来週から一ヵ月間を予定。護衛計画は私が起案、丞相には陛下が不在の間の政務整理、大蔵大臣には慰問に必要な資金の――」
「……待て。今、我々が聞きたいのはそういうことではない」
ラハティが、静かにだが鋭く言葉を遮った。その目は鋭い光を宿している。
「なぜ、この時期に慰問を強行するのか? 理由を聞かせてもらおう」
慰問を独断で決め、その上で金を出せとは――。
無駄を何よりも嫌うラハティにとって、今回の命令は許容できるものではなかった。第一に、前線は現状維持が可能と考えている。第二に、王都の民衆の多くは、既に戦争を忘れたかのような生活を送っている。平和ボケという言葉がぴたりと当てはまった。
だが、それを生み出したのがガーランド自身の手腕であるという皮肉が、今は裏目となっていた。
「私の考えを話そう。聞いてくれるか、大蔵大臣」
ようやくガーランドが口を開く。真剣な中にも、どこか悪戯を企む少年のような気配が滲む。
「……お聞かせ願いましょう、陛下」
「まず、『国王暗殺』の噂が広まっているのは、宮中内のみだ。これは、私が確認した情報でもある」
「つまり……首謀者は、宮中に潜んでいると?」
カルカノがグラスを傾けながら静かに口を挟んだ。
「その可能性が高い。そして、大僧正には調査を依頼しているが、未だ尻尾は掴めていない。それだけ慎重な人物が仕掛けているのだろう」
「誠に、申し訳なく……」
「いや、責めているわけではない。むしろ――その慎重さを逆手に取る」
ガーランドの言葉に、ウィンチェスターとラハティが同時に目を細めた。
「……どういう意味でしょうか、陛下?」
「これだけ慎重な相手ならば、綿密な暗殺計画を立てている筈だ。だが、その計画は“玉座にいる私”を想定して練られている。急に私が南部へ出向けば、奴らの計画は狂う」
つまり、混乱した敵の反応を逆に利用しようということだ。 昨晩、アブトマットと話し合ったのは――自らを囮とし、宮中から敵を炙り出す策だった。
「なるほど……。とはいえ、納得はできませんな。急に資金を出せと言われても」
「ほほう? 大蔵大臣には強力な後ろ盾がいたと記憶しておりますが……その企業、倒産でもされましたかな?」
アブトマットの嫌味が刺さる。ラハティの後ろ盾、ユマーラ会のことだ。 もはや、ガーランドとアブトマットが裏で話を進めていたのは明らかだった。
この国王が企業の貸し付けを容認する――。 今までなら絶対に考えられなかったことだ。そこまでしてこの計画を実行するという覚悟。ラハティはグラスを静かに置いた。
「……本気なのですね?」
「私は、命を懸けて国政に臨む」
しばしの静寂。ラハティとガーランドが互いの目をじっと見据え合う。 そして、ラハティは小さく笑った。
「分かりました。ユマーラから資金を出します。利息は要りません……ただし――」
「うん?」
「必ず、生きて帰ってきてください。それが貸し付けの条件です」
「努力しよう」
「必ず、です。もしお約束を破られた場合は――利息として、ユマーラはこのラハティを頂戴します」
その言葉に、ガーランドは一瞬目を丸くし、そして笑い声を上げた。
「冗談ではありませんよ?」
「分かっておるとも。だが、お前にそこまで慕われていたとはな。私も、捨てたものではないな」
「陛下のお陰で、他では得られぬ商売の経験ができました。これは私にとって、人生最大の財産です」
こうして、ラハティの同意が取り付けられた。
ウィンチェスターはすでに書類を手にしており、諦めたような笑みを浮かべている。
「一度言い出したらテコでも動かないのが、陛下の長所であり――短所でもありますね」
「ウィンチェスター?」
「出発までに政務を整理しておきます。明日からは寝る時間を削って頂きますよ、陛下」
「それも国王の務めだな」
「……私たちも、陛下の我儘には慣れていますから」
最後に、ガーランドはカルカノの方へ視線を向けた。
「大僧正、我が南部へ向かう際は――あなたの騎士団にも、護衛任務をお願いしたい」
「もちろんです、陛下。命に代えても、お守り致します」
「大将軍、聖徒騎士団を含めた護衛計画の再策定を頼む」
「御意」
こうして、王の気まぐれとも見えた慰問計画は、誰も止められぬ本気の布陣として、確固たるものとなっていった。