Ⅱ-17 牢獄
プフの街は奇妙な熱気に包まれていた。
プフ城を占拠した旧マンリヒャー家の反乱軍は、ツェリスカを奪った直後に一方的に独立を宣言し、王政府に対して宣戦を布告した。
街に残っているのは筋金入りのマンリヒャー信奉者ばかり。
牢の外から響く喚声は、彼らの歓喜なのだろう。
ツェリスカは薄暗い牢の中で、ひたすら神に祈っていた。
「祈ったところで助かりはしねえさ、悪魔め」
看守が吐き捨てるように言う。
それでもツェリスカは祈りを止めなかった。
自分が近く処刑されることなど、とうに覚悟している。
ただ一つ、心残りがある――息子ヘンリーの安否だった。
今、彼はどこにいるのか。無事なのか。食事は取れているのか。
修道院に収容されて以来、外界から完全に遮断され、ツェリスカには知るすべもない。
ガーランドの実子ではなくとも、紛れもなく己の腹を痛めて産んだ子だ。心配しないはずがなかった。
「ツェリスカ」
聞き覚えのある声に祈りを止めて振り返る。
そこにいたのは、かつてマンリヒャー家当主ヨーゼフの妻であり、アルメの母――ステア・マンリヒャーであった。
「夫人……」
「ヘンリーのことを思っておるのでしょう?」
ステアは椅子を運ばせ、鉄格子の前に腰掛けた。
「久しぶりね、ツェリスカ。随分と痩せましたね」
「ステア様も……」
「ええ、貴女のお陰でね」
言葉尻は冷たく、氷のように硬い。
張りつめた空気に、看守は居たたまれず背を向け、その場を去った。
──扉が閉じられた瞬間。
「……度胸のない男」
ツェリスカは吐き捨てるように言った。
「度胸だけの貴女が仰ると、説得力がございますね」
「ご冗談を。――それで、処刑を待つ女に何の用です?」
ツェリスカの問いに、ステアは手招きした。
鉄格子越しに刃を突き立てるつもりなのかと訝しむツェリスカに、ステアは小さくため息を吐く。
「ここで殺しても意味はありません。近くへ」
促され、ツェリスカは鉄格子のそばへ歩み寄る。
ステアは声を潜めた。
「心配には及びません。あの子は生きております。亡き夫ヨーゼフと私にとっても初孫ですから、手を下すような真似はしません」
ステアの声は先程までとはうってかわって、慈愛に満ちていた。
「恨んでいないと言えば嘘になります。だが……助けたい気持ちもある。けれど、もう私にはどうにもできない。カルカノの配下でも不可能でしょう。――貴女の命は尽きます」
「……承知しています」
「顔を見れば分かります。だが心残りは、ヘンリーなのでしょう?」
「……はい」
「ヘンリーのことは私に任せなさい。孫まで処刑台に送られるなど、私にも耐えられません」
「……しかし、方法が」
「まだ王都にいるはずです。夫ヨーゼフを慕う者が各地で騒ぎを起こしたのも、実はヘンリーを探すためでした。ですが未だに捕まってはいない」
ツェリスカは胸をなで下ろす。
だがステアは続ける。
「いずれ捕まれば、確実に貴女と同じ末路を辿る。私はそれを阻止したい」
「お願いします、ステア様!ヘンリーだけは……罪のないあの子だけは!」
「承知しました。義母として、祖母として、私が采配します。任せてくれますね?」
「……はい。今の私には、貴女しか……」
ツェリスカは涙をこぼし、深々と頭を下げた。
ステアはそれを見てしっかりと頷いた。
「断頭台に上がるその日まで泣いているがいい!」
ステアはわざと大声で言い放ち、立ち去る。
看守が戻ってきて、ニヤつきながら椅子を元に戻した。
「今さら泣いても遅いんだよ、売女が」
だがツェリスカは意に介さず、再び祈りに没頭した。
†
「奥様……」
牢を出たステアを、侍女が待っていた。
ステアは黙って頷き、そのまま自室へ向かう。
「段取りは?」
「恙なく」
「よろしい。接触後は街を離れなさい」
「私は最後までお傍におります」
「私はもう一介の市民。貴女は別の奉公先を見つけるべきよ」
「いいえ、私がお仕えするのは奥様だけ」
「……頑固ね」
「奥様ほどでは」
「ふふ、此奴め」
笑みを交わしながら部屋へ入る。
「城下で蛇と接触せよ。絶対に気取られるでない」
「御意」
ステアはカルカノを頼ろうとしていた。
ツェリスカを一時的にでも保護した前例があり、アブトマットの監視を掻い潜っての行動は彼にしかできまい。
ヘンリーを最も早く、確実に保護できるのはカルカノしかいなかった。
「既に城下には影も潜んでいるはず。決して気を許すな」
「心得ております」
アブトマットの目を避け、反乱軍にも見つからずに“蛇”と繋がる――困難極まる任務。
それでもステアには、もう祈ることしかできなかった。