Ⅱ-16 総力
【2節『マンリヒャーの反乱』開始時の人物相関図】
「すぐに討伐軍を編成せよ! マンリヒャーの残党どもを根絶やしにする!」
大将軍アブトマットの声は、どこか昂揚していた。
カルカノが保護していたツェリスカが、マンリヒャー家の残党によって拉致されたのだ。
旧臣団はプフ城に集結し、立て籠もっている。
アブトマットはこの事態を“天の与えた好機”と見なしていた。
近ごろ政府への不満が高まり、その責を問われているのは他ならぬアブトマット自身である。
だが、この反乱を迅速に鎮圧できれば、汚名を雪ぐどころか支持率の回復に繋がる。彼はそう信じて疑わなかった。
しかし、カルカノには事態がそう単純には運ばぬことが分かっていた。
討伐軍を遠征させれば、当然アブトマット自身が指揮を執り前線に出る。
王都から彼が離れるのは好都合だが、問題は戦がどれほどの長期戦になるか、見通しが立たないことだった。
しかもプフにはなお多くの市民が残っている。拙い城攻めは、むしろ世論の強い反発を呼ぶだろう。
「厄介なことばかり起きますね……」
「プフの街に、蛇の者は何人潜入しています?」
「今のところ十四人」
自室で頭を抱えるカルカノの机に、アナが腰掛けていた。
「街の空気は?」
「元々マンリヒャーのお膝元よ。城に籠った残党に、市民も同調してる。反対派はもう逃げ出したみたい」
「……地獄ですね」
「プフの街ごと“国賊”扱いで粛清されるわけだ」
カルカノが口にせずにいた言葉を、アナは楽しげに吐き出した。
「ツェリスカ殿の安否は?」
「プフ城に監禁されてるって話までは掴んだけど、本当にそこにいるかは怪しい」
「処刑も時間の問題でしょう」
ツェリスカはマンリヒャー家の恨みを一身に背負っていた。
アルメとの密通は彼女からの一方的なものだったにもかかわらず、断罪されたのはアルメだけで、家は断絶。
残された一族が、彼女を吊るしたくて仕方がないのは明白だった。
「言っとくけど、さすがに奪還は私でも無理よ?」
“蛇”は反乱勃発以来、プフには入り込めない。
潜伏していた者たちも、アルメの処刑後に消息を絶った。消されたと見るのが自然だ。
「……承知しています」
討伐軍の編成には一月はかかる。
隠密行動も正攻法も通じぬ以上、ツェリスカを救い出す術はなかった。
「討伐軍に聖徒騎士団は?」
「参加は不可能。アブトマットは信頼する部下だけで軍を固めるつもり」
「何が何でも自分の手柄にしたいわけですか」
「ツェリスカを処刑し、プフを制圧すれば支持率が上がる――彼はそう考えている」
「実際は?」
「政治はそこまで単純ではありません」
カルカノは深いため息をついた。
支持とは、真の実績の上に築かれるものだ。
アブトマットの行いは、自らの失策を自ら収めているだけに過ぎない。
事態をマイナスへと落とし、それをゼロに戻す――それでは再び不満が噴出するのは必定。
彼はその責任を他者に押し付け、粛清や処断で解決したように見せかける。
だが、それは茶番でしかない。
剛皇帝と呼ばれる蔡嘴は、その底の浅さを見抜き、一切接触を避けている。
それに気づかず、討伐軍の編成に歓喜している今のアブトマットは、道化師に等しかった。
「……既に我らの手に余る事態です。アナ、プフの蛇を使って市民を脱出させなさい。犠牲を減らすのです」
「士気が高いから骨は折れるけど……まあ、やってみる」
アナが机から飛び降りると同時に、扉がノックされた。
「ルインです。入室してよろしいでしょうか」
聖徒騎士団長ルインだった。
「許可します」
「失礼します」
入室したルインが敬礼する。
「大将軍の様子は?」
「プフを攻め落とすと息巻いています。既に二万を召集。さらに増員中」
「その気になれば五十万も集められる」
「だが編成に半年はかかるでしょう。実際は五万規模での出撃が妥当かと」
「プフは中核都市、人口二十万。減ったとしても十万は残っているはず」
「全員が籠城に加わるわけではありませんが……民兵は城外壁に配され、城そのものは干上げられるでしょう」
「干上げる、か……」
ルインの顔に嫌悪の影が走った。
包囲戦が意味するもの――水と食糧の枯渇、そして食人。
彼はそれを少年時代に体験していた。
西方密林に生まれたルインの民族は、わずか百人の小集団。
ある日、数千の大集団に包囲され、ひと月もの地獄を味わった。
その中で彼は血も肉も口にした。死を覚悟した少年を救ったのは、剛皇帝蔡嘴の偶然の気まぐれであり、そしてカルカノの慈悲だった。
あの味と絶望は今なお舌に残る。
「ルイン、落ち着きなさい。我らは可能な限り市民を避難させる必要があります」
「承知しております」
「アナに市民の心理を揺さぶらせ、騎士団は脱出者を保護せよ。目立たぬように動きなさい」
「御意」
ルインは敬礼し、退室した。
だが、彼が長くカルカノの傍を離れれば、アブトマットの疑念を招く。
当面は“蛇”の一人に影武者を務めさせるしかない。
「……最悪のシナリオへ進んでいる気がしますね」
独り残された部屋で、カルカノは幾度目かの深い溜息を吐いた。
面白いと思っていただけたら、ぜひブクマやリアクションで応援していただけると嬉しいです。