Ⅱ-13 干渉
「我が国の中でも、ずいぶんと這い回ってくれているようだな」
部屋に入るなり、蔡嘴がそう言い放った。
「ご冗談を、剛皇帝殿」
カルカノは静かに微笑む。
「協力関係にある故、文句を言っているのではない。息災か、カルカノ」
蔡嘴はにっかりと笑い、カルカノと親しげに抱擁を交わした。
二人は旧知の間柄である。共和国内で蛇の活動を黙認する代わりに、蔡嘴は情報提供を受けていた。諜報に関しては、共和国の組織も蛇には及ばず、ときに直接依頼をすることすらある。
「殿もご壮健そうで何よりです」
「当然だ。それよりも――おぬし、あの男も呼んでおったとは、気が利くな」
蔡嘴の視線の先には、ウィンチェスターがいた。
「宴の最中、殿が絶えず視線を送っておられたので。余計なお節介でしたかな?」
「いや、よう気を利かせた。大儀大儀」
蔡嘴が笑ったその直後、目元の笑みが消える。
「……もう一人、呼んでおるのではないか?」
カルカノは目を細め、口元をほころばせた。
「流石ですな、殿。しかし、人数をお間違えです」
「なんだと?」
「あと、二人です」
奥の扉が静かに開かれる。姿を現したのは――シャルロット太后と、元大蔵大臣ラハティ。
「やはり分かっておるな、カルカノ」
「殿の憂いは、我々すべての憂いですから」
「ならば話は早い」
蔡嘴は椅子に腰を下ろし、目の色を鋭く変えた。
「して、お前たちは王国をどう導く?このままでは、あの馬鹿のせいで歴史から消えるぞ」
誰もが、それが真実であることを疑わなかった。
「太后殿、初対面だが……馬鹿な女でなかったと分かり、少し安心した」
「私はただの下女。偶然太后の座に押し上げられただけの者です。しかし――この国は先王ガーランド陛下が命を懸けて守った国。私にも、それを守る義務があります」
「……なるほど、ヴィル王に光るものを感じたのは、そなたの影響か。惜しいな、真に賢王となる可能性があっただけに」
蔡嘴はため息まじりに言い、ふいに一同へ告げる。
「そなたら、全員――共和国に来ないか?」
大胆な申し出だった。だがこの場にいる者たちは驚きもしない。
蔡嘴という男が、常識を捻じ曲げる存在であることを、全員がよく知っていた。
「お言葉は光栄ですが、我々はまだ――王国を見捨ててはおりません」
シャルロットが静かに言った。
「確かに、このままでは沈みます。けれど、民を捨てて隣国へ逃げるような真似は、私にはできません」
「私もです」
カルカノが続く。
「宗教の総本山たるこの地を離れることは、信仰そのものの放棄になります。私はここに在らねばなりません」
「私も、まだやるべきことがあります」
ウィンチェスターは自嘲気味に笑った。
「私は凡庸ですが……それでも、やらずに去るのは性に合いません」
蔡嘴は何も言わず、それぞれをじっと見つめた。
どれも偽りなき言葉であり、だからこそ惜しかった。
「……剛皇帝、儂を引き取ってはもらえまいか?」
ふいに口を開いたのはラハティだった。
「ほう?」
「儂は審議会を辞してから、行き場がなくてな。ユマーラ会に戻れば、アブトマットとの対立で迷惑をかけかねん」
ラハティは唇の端を上げ、いたずらっ子のように笑う。
「一商人として、共和国で新たに商いをやらせてもらえれば、それはそれで面白い」
蔡嘴はその言葉に腹から笑った。
「よかろう! ラハティ・ヴァン・ユマーラ、共和国はお前を歓迎するぞ!」
「重役なんぞにはなる気はありませんぞ。自由にやらせてもらう」
「好きにせい。腕のある商人なら、共和国の商人たちも歓迎するだろう」
こうして、一人の元高官の亡命が、笑い話のように決まった。
「……さて、そろそろ本題に入りましょうか、殿」
カルカノが仕切り直す。
本当の目的――それは、共和国による王国への内政干渉をどこまで許容するか、その線引きを交わすことだった。
アブトマットの暴走は、もはや王国の内部では止めようがない。
「……アブトマットは、怒り狂うだろうな」
蔡嘴が笑みを浮かべた。
「それでも構いません。今はもう、背に腹は代えられないのです」
カルカノが頭を垂れると、他の者たちも静かにそれに倣った。
「我々も王国が崩れるのは望んでおらぬ。できる限りの協力はしよう。場合によっては――」
蔡嘴の言葉が途切れる。カルカノがその意を読み取り、わずかに首を垂れた。
誰もが知っていた。今の王国は、他国の干渉すら頼らねばならぬ瀬戸際なのだ。
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