Ⅱ-12 真意
「共和国大統領、蔡嘴である。急な来訪への対応、痛み入る」
蔡嘴はヴィルの前で軽く頭を下げた。
「第四六代国王、ヴィル・バーテルバーグです。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」
対してヴィルは深々と頭を下げる。貴族らしい立礼ではあるが、アブトマットから見れば頭を下げ過ぎだった。
蔡嘴とヴィルは互いに国を治める長であり、対等な立場のはず。それが、これでは傍目から見て蔡嘴のほうが上に見えてしまう。外交において体面は重要であり、ヴィルの一挙手一投足が情勢を左右しかねない。
アブトマットは内心で激しく舌打ちした。
「ヴィル国王、そんなに頭を下げる必要はない。我々は友好関係にある国同士、上も下もない」
「いえ、そんな事はありません。国を治める国家元首の先輩である蔡嘴殿に対し、敬意を持つのは自然なことかと思います」
この言葉に、蔡嘴は少し目を見開いた。
庶子の王。政権を握る大将軍の傀儡に過ぎぬと思っていたが、意外にも芯がある子供のようだ。政治の手腕は未知数だが、誠実な信念を持とうとしているのかもしれない。
正しく導く者さえいれば、王として育つ素地はある。
蔡嘴はそう思いつつ、アブトマットへと目をやった。
表情には出ていないが、ヴィルの存在を鬱陶しく思っているのは明白だった。
「ガハハ、剛皇帝などと呼ばれる暴君である我に敬意とは、ヴィル国王はなかなか奇特な御仁だ」
「蔡嘴殿は在位四十年を超えていらっしゃる。その間、共和国は国力を高め、安定を保ち続けてきたと伺っています。これは蔡嘴殿が優れた国家元首であることの証左です。優秀な者が疎まれるのは世の常、異名はその証かと」
蔡嘴に物怖じせずに穏やかに話すヴィルの姿に、アブトマットも目を細める。
蔡嘴は思った。もしこの子が庶子でなかったら。もし正嫡としてしっかり教育を受けていたら。王国は今のような混乱に陥らずに済んだのではないか――。
しかし現実はそうではなかった。運命に弄ばれた弱王の姿が、どこまでも哀れだった。
「立ち話も何です。宴の準備が整っております。どうぞお楽しみください」
アブトマットが割って入った。
蔡嘴の目的がヴィルの人となりを見極めることなのは明白だ。
だがアブトマットの目的は異なる。
自分こそが王国の実権を握っていると蔡嘴に誇示すること。
ヴィルと蔡嘴が親しくなるのは困る――そんな意図が透けて見えた。
蔡嘴は不快を感じた。嫌悪の感情が胸を占める。
馬鹿が嫌いなわけではない。だが、身の程を弁えぬ馬鹿は、どうしても受け入れられない。
自分を非凡と信じ込み、失敗すれば他人のせい、成功すれば手柄を横取り――。
蔡嘴の目から見て、アブトマットはまさにその類の凡人だった。
軍人としての才はあるのかもしれない。だが、国を治める器ではない。
王国は荒れるだろう。
問題は、静観するか、介入するか。
アブトマットが存在する限り、介入は不可能だ。
敵対とみなされ、王国は即座に戦闘状態へ突入する。
それを避けるためには、静観と備えが必要だ。
王国が魔王軍の進行を食い止めている間はいい。
だが、もしその防波堤が崩れれば、魔王軍は共和国や連邦国へと分散して押し寄せてくる。
その時に備えて、軍備の見直しと、有識者の確保が急務となる。
蔡嘴の視線は、宴の席で終始ある二人の男に向けられていた。
二人はその視線に気づき、静かに頷いた。
密会の誘いに応じるつもりだろう。
だが、本当に会うべき者は別にいる。
この場にはいない。
蔡嘴の予想では、密会を申し込む必要はない。
本当に重要な人物であれば、向こうから接触してくるはずなのだ。
それがないなら、それまでのこと。
「蔡嘴殿、王国の葡萄酒はお口に合いませんか?」
アブトマットが顔を覗き込んで尋ねてくる。
鬱陶しい。
だが蔡嘴は、表情を崩さず笑みを浮かべる。
「まさか。むしろ王国の葡萄酒がここまで旨いとは、驚いていたところ。我も貴国と交易を結んでおるが、これほどのものは初めてだ」
「それは良かった!この葡萄酒は特別でして、国外はおろか、市場にも出回っていないものでして」
「なるほど、良いものを持っておるの。少量でも良い、分けて欲しいものだ」
蔡嘴は豪快に笑った。
その目が笑っていないことに、アブトマットだけが気づかなかった。
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