Ⅱ-9 劇場
「国王陛下にお伺い致します」
金髪に碧眼、整った顔立ちの耳長人が立ち上がって言った。緊急召集された王国評議会の席である。
評議会とは、多くの貴族が参加する大会議であり、審議会が上院に当たるならば、こちらは下院に相当する場だ。
各州の領主が一堂に会するこの会議は、通常、年に数回のみ開催される。しかし、審議会で可決された内容に異議が出た場合に限り、緊急で招集が可能となる。その際、出席権を有する貴族の三分の一以上の賛成が必要とされる。
今回の議題は、「摂政が提出した私刑禁止法案が審議会で否決された件」について。
発言したのは、『聖三族』の一角である耳長人筆頭ファイノー族の現族長、フェリークス・ロシュ・フリオ・ファイノー。
齢六百を超える長老にして、若き人間のような外見を保つ知恵者である。
「フェリークス族長、発言は挙手を通してお願いいたします」
「そのような儀礼を重んじている場合ではなかろう、丞相殿」
若輩者を諫めるような鋭い視線をウィンチェスターに向け、フェリークスは一気に言葉を畳みかけた。
「どのようなご判断で否決されたのかは存じませんが、今現在、王都をはじめとした各地で娼婦を狙った殺人が続いております。摂政殿がこの現状を打破すべく法案を提出されたのではなかったのですか。なぜ、それを退けられたのです、陛下!」
議場内に「その通りだ!」と賛同の声が広がる。
アブトマットが裏で仕組んだ工作の成果だろう。軍と繋がりのある貴族を誘導し、評議会を開かせたのだ。
評議会は審議会とは異なり、その議論内容が一般に公開される。市民の見学も認められており、場内にはすでに野次が飛び交っていた。
これも全て、アブトマットによる人気取りの演出でしかない。
「静粛に!」
ウィンチェスターの制止の声は、市民の怒号にかき消される。
「静かに!」
アブトマットの声が響いた。凛としたその声には、流石に全員が一瞬たじろぎ、場内はぴたりと静まり返る。
「陛下は、国民を想われた末のご判断であった。私刑禁止法を施行すれば、王都のみならず、各都市の治安がかえって悪化しかねないと、ご懸念されたのだ。それは王国の未来、民の生活を案じてのご英断。我々は、そのお心に感謝こそすれ、非難すべきではない!」
場内の雰囲気が揺らぐ。民衆の一部は涙を流し、貴族の中にも感銘を受けたように頷く者まで現れた。
完璧な演出だ。
「……陛下に対し、軽率な発言をしてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
フェリークスは頭を下げつつも、なおも食い下がる。
「しかしながら、市民の不安が拡大しているのは事実。何かしらの対策を講じなければ、いずれ治安は崩壊の一途を辿るでしょう」
彼の言葉に民衆が再び沸き立つ。支持の波が高まっていた。
もしこの法案が可決されれば、軍の一兵卒であっても市民に対して逮捕権を行使できることになる。
アブトマットの狙いは、事件の解決ではない。
王国軍による直接的な民衆掌握、つまり恐怖による統治権の獲得。
この評議会は、最初からその劇場として仕組まれていたのだ。
「……民衆に理性を求めても無駄だ」
ふと、ラハティのかつての言葉がカルカノの脳裏に甦る。
損得だけで動く現実主義者と批判されながらも、国益のためには誰よりも冷静で的確な判断を下していた男。
「貴方がいなくなったのは、やはり王国にとって大きな損失だった……」
空席となった大蔵大臣の椅子を見つめ、カルカノは呟いた。
『私刑禁止法』は、このままでは可決されるだろう。
それに対し、有効な対抗手段はない。
下手に動けば、自身が“反逆者”として告発されかねない。
この法案の恐ろしさは、実際に施行されてからでは遅すぎるという点にある。
カルカノは肩を落としながら、ただ一つの決断を胸に秘めた。
――王国を守るために。
歓声と拍手に満ちた劇場の中、蛇の長は静かに、その身を引き締めていた。
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