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Ⅰ-3 直覚

「陛下、よろしいでしょうか」


 重厚な扉の向こうから、大将軍の低く通る声が響いた。夜も更け、王宮の廊下にはもう誰の気配もない。

 王の私室に詰める従者が振り返ると、中から静かに声が返る。


「大将軍か。入れ」


 扉がゆっくりと開かれ、軍服に身を包んだ男が一礼する。


「アブトマット・フォン・シグ、入室致します」


 重々しく一礼しながらも、どこか砕けた動作に、形式ばらない親しみが滲む。

 ガーランドは首を軽く振り、傍に控えていた従者へ一言。


「二人きりで話したい。外してくれるか」

「はい」


 従者が頭を下げ、静かに扉を閉じる。足音が遠ざかるのを確認して、アブトマットが肩の力を抜くように息を吐いた。


「南部戦線の慰問についてですが……」

「俺とお前の仲だ。畏まるな。とりあえず、座れ」


 ガーランドが手でソファを示すと、アブトマットはそれに従い、革張りの椅子に腰を落とす。

 互いに幼少より知る仲。誰もいないこの場では、二人の言葉遣いも自然と昔のままだ。


「……兵士たちを思えば、慰問は必要だ。だが、今は時機が悪すぎる」

「暗殺の件か」

「うむ。カルカノにも探らせてはいるが、尻尾すら掴めん。……どうだ、一杯」


 ガーランドは卓の上に置かれたボトルを持ち上げ、アブトマットにグラスを示す。

 彼は頷くと、グラスを受け取りながらぼそりと呟いた。


「夜も更けている。もう大将軍の肩書きも休ませてやりたいところだな」


 グラスに注がれる琥珀色の蒸留酒。香りは強いが、不思議と落ち着きを与える。


「……ただの噂、という線は?」


 酒を注ぎながら、ガーランドが尋ねる。


「その可能性も否定はできん。だが、ここまで広まれば、最初は冗談半分でも、本気でやる馬鹿が出てきてもおかしくない。カルカノはそう言っていた」

「原型なき模倣犯、か」


 アブトマットは一口飲んだ。喉に落ちていく熱が、妙に刺々しく感じられる。

 蒸留酒は好きでも嫌いでもない。ただこの夜は、少し苦すぎた。


「……お前のところでは、どこまで掴んでいる?」


 ガーランドはもう二杯目に手を伸ばしている。


「ほとんど変わらん。うちの諜報部も全力を尽くしてはいるが……カルカノの持つ情報網とは桁が違う。国内の動きがやっとだ」


 アブトマットは肩を竦めるように呟いた。

 軍直属の秘密部隊でさえ、いまだ確かな情報を得られていない。それだけ、敵は慎重か、あるいは内部に潜んでいる。


「……ガーランド。首謀者がカルカノである可能性も考えておいた方がいいかもしれん」

「――何?」


 一瞬、国王の顔から血の気が引いたように見えた。

 だがすぐに、静かな湖面のような冷静さを取り戻す。まさしく思考の切り替えが異常なまでに早い男だった。


「宮中の貴族は、誰も信じるな」


 アブトマットの声音には、滲むような警戒があった。


「……一理ある。もう一ヶ月は探らせているが、これほど尻尾が出ないとなると、情報元そのものがカルカノの意志で流された可能性も否定できん」

「分からんのが一番厄介だな。誰が味方で、誰が敵なのか」


 ガーランドはゆっくりと酒を飲み干し、少し笑う。


「……だが、皮肉なものだ。考えようによっては、王都にいるよりも、慰問に出た方が安全かもしれんな」

「は?」


 アブトマットはまばたきをしたまま、しばらく言葉が出なかった。


「暗殺の噂は、地方までは広まっていない。カルカノも、お前の部隊もそう報告していたな」

「ああ……確かに、中央、特に宮中でしか話題になっていない」

「ということは、逆に考えれば……この噂の出処も、実行者も、宮中にいるということだ」


 ガーランドはアブトマットの空いたグラスに酒を注ぎ足す。


「だから、王都を離れることで、敵の目を逸らすということか?」

「その通りだ」

「……だが、暗殺されて得をする者が見当たらん。仮にお前が死んでも、王位はお前の子に移るだけ。何も変わらん」

「ならば、なぜこの噂が広まっている?――誰かが、この国の流れを根本から変えようとしているのかもしれん」


 アブトマットはしばらく黙っていたが、やがて苦笑した。


「……らしいな、お前らしい。どこまでも先を読む。それでいて、己の手柄を誇らん。だから人がついてくるんだ、王というのは」

「私一人で築いたものではない。お前を始め、皆の力あっての王国だ」

「今は世辞を言っている暇はないぞ。……命が掛かっているんだ」

「分かっている。しかし、だからこそ――宮中にいては埒が明かん。地方に出れば、少なくとも、噂の網の外に出られる」


 ガーランドの瞳は静かに燃えていた。

 ただ逃げたいのではない。敵を炙り出すための、一手だった。


「……だが、王たる者がホイホイと王都を離れていいものか?」

「南部慰問はお前が言った通り、必要だ。私が姿を見せれば、兵士たちの士気も戻る。お前の部隊が動きやすくなる時間も稼げるだろう?」

「その間に、私が王都で動くと?」

「そういうことだ。……まあ、護衛は頼りにしているぞ? 大将軍閣下」


 ガーランドはいたずらっぽく笑い、グラスを掲げる。

 アブトマットは呆れたように頭を振ると、空を見上げた。


「……命に代えても、陛下をお守りしますよ、国王陛下」


 二人は同時にふっと吹き出した。

 その笑いの奥に、不安と覚悟が静かに揺れていた。

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