Ⅱ-8 亀裂
「全く減少の気配がありません」
カルカノは審議会の場でそう言い放った。娼婦を狙った連続暴行殺人事件は、未だ毎晩のように新たな犠牲者を出し続けていた。
街の警備を強化しても焼け石に水。遺体の損傷は日に日に酷さを増しており、事態は沈静化するどころか、悪化している。
初期の犯行は路上での偶発的なものと見られていたが、今では娼婦を組織的に誘拐し、どこかに監禁した上で暴行・殺害し、遺体を人目につく場所へ遺棄するという手口に変わっていた。現場には血痕もなく、目撃証言や争った痕跡すら存在しない。
つまり、当初は烏合の衆と思われた犯人集団が、すでに明確な意図と手段を備えた、統率の取れた組織へと変貌している。
「民の間にも噂が広まりつつあります。新王体制への不満も募っており、反体制の機運が一気に高まる恐れがあります」
カルカノの報告に、審議会の空気は冷たく張り詰める。
反政府組織は王都のみならず、五大都市すべてに支部のようなものを持つまでに拡大している可能性がある。
さらに警備強化の動きを事前に察知していた点から、中央政府内に内通者が存在する懸念も拭えない。
「どうにかならんのか、大僧正」
アブトマットが苛立ちを隠さず、手元の資料を荒々しくめくった。
「蛇は既に潜入させておりますが、組織の全容は未だ掴めておりません。規模があまりにも大きく、慎重な対応が求められます」
「反乱でも起こす気か?そのために蛇がいるのではないのか」
アブトマットの刺すような視線を受けながらも、カルカノは一歩も引かずに答える。
「蛇は情報の収集と操作には長けておりますが、民衆の感情そのものを抑えることはできません。もし可能であれば、歴史に反乱など起こることはありませんでした」
「ずいぶんと弱気だな、大僧正ともあろう者が」
カルカノは深く息を吐いた。
「情報は確かに力になりますが、得られるのは優位性のみ。それも、たった一つの情報で簡単に覆される脆いものです。現在の我々は、彼らに対して何の優位性も持っておらず、政府内部に間者がいる以上、むしろ不利な立場にあります」
アブトマットの舌打ちが、審議会の沈黙を裂いた。
「ならばもっと集めろと言っているのだ!なぜそれが分からん!」
「それに努めております。ただ、政府不信がここまで拡大しているとは、摂政ご自身も予想されていなかったのでは?」
「……私を責めているのか?」
「責めてはおりません。政府とはこの場にいる全員を指します。私もその一員です」
「あのぉ……」
沈黙を破ったのは、ヴィルだった。
「今は喧嘩をしている場合ではありません。皆でこの事件をどうやって止めるか、考えるべきだと思います……」
怯えた様子ながらも、芯のある言葉だった。
「街の皆さんも事件のことは知っているのですよね?」
「はい。表立って語られてはいませんが、確実に広まっています」
「ならば、ちゃんと公表すべきです。そして、みんなが安心して暮らせるようにする手段を示さなければ。不信が広がるばかりです」
ヴィルの言葉に、カルカノは深く頷いた。
「仰る通りです、陛下」
「今さら何を発表しても、もう遅いでしょうな」
アブトマットが鼻で笑うように言う。
「いいえ、変わります。街の人々は不安なのです。その不安の矛先が僕たちに向けられている。僕たちが何もしていないように見えるからです」
「陛下のご意見に賛同します。政府としての動きが必要です」
そのとき、アブトマットが不気味な笑みを浮かべた。
「ならば新法を作ろう。私刑禁止法とでも呼ぶか」
カルカノは息を呑んだ。
準備もなくその法を通せば、間違いなく民の反発を招く。
「臨時法扱いにすれば、審議会で可決すれば即日施行可能なはずだ」
「待たれよ、大将軍」
その一言が、室内の空気を変えた。
ラハティが静かに、だが確固たる意志を持って口を開いた。
「どう考えてもそれは悪手だ。お主は状況を見誤っている」
「見誤っているのは大蔵大臣の方だ。法さえあれば軍を動かせる。これ以上の抑止力はない。これで事件は終わる」
アブトマットが書類を投げ捨てた瞬間、ラハティが立ち上がった。
机に手をつき、怒りに震える声で言い放つ。
「……貴様、それでもこの王国を背負う覚悟があるつもりか」
沈黙が、重く降りた。
「我が身も財も知も、すべてガーランド陛下に託した。あの理想家は真に王たる器だった。だが貴様は、ただの簒奪者。愚かな暴君に堕ちた」
アブトマットの表情が微かに揺れる。
「儂はもう、貴様に仕える気はない」
ラハティはヴィルの方へと視線を向けた。
「……子供には荷が重すぎる。だが他に託せる者がいない。せめて、あの男の志だけは、どうか踏みにじってくれるなよ」
誰にも止められぬまま、ラハティは審議会室を後にした。
重い扉が閉まる音だけが残る。
カルカノはその空席を、何も言わずに見つめていた。
「他に議題がないのであれば、私は失礼する」
アブトマットが短く言い残して立ち去る。
ヴィルは、思わずシャルロットの顔を見た。
「本当に……大丈夫なのでしょうか……?」
「彼は、もはや国のことなど考えていない。権力に酔い、理性を失いつつある」
「あのような法は、民の神経を逆撫でするだけだ。あそこまで愚かとは……」
「私も同感です。制定は見送るべきでしょう」
シャルロットは深く頷き、ヴィルに向き直った。
「ヴィル。あの法案は却下しましょう。あなたと私の名で」
「はい、僕もその方がいいと思います」
この日、私刑禁止法案は否決・先送りとなった。
しかし——それにより、アブトマットの暴走は、いよいよ止められない領域へと踏み出すことになる。
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