Ⅱ-7 家督
王国の東部最大の都市、ベレッタ。
通称「東都」とも呼ばれるこの街を治めるのは、バーテルバーグ家の分家にして筆頭家臣のひとつ、ベルテルブルグ家である。
「光あれ」の標語と、一角獣の紋章を掲げるこの家系は、最古三家には属さぬものの、長らく大きな権威を保持してきた。
かつては丞相や大将軍もこの家系から選ばれるのが慣例だったが、第四五代国王ガーランドが即位の際にその伝統を廃した。
この決断は、ベルテルブルグ家――とりわけ現当主ブレダに深い怨嗟を植え付けた。
ブレダはガーランドに公然と反発し、主従の形式こそ保ちながらも常に批判的な態度を取ってきた。
そして今、戴冠式にも当主ブレダは姿を見せず、代わりに息子のクーガーを代理として派遣していた。
バーテルバーグ家との確執は、依然として根深い。
「無礼極まりないガーランドの次が、下賤の王だと? 王国も地に堕ちたものね」
ワインのグラスを弄びながら、ブレダが吐き捨てる。
齢五十を越えてなお、その美貌は衰えを知らない。
若き日には「王国三大美女」の一角と称された艶やかな黒髪、黒い瞳、透き通る白い肌。
その妖艶な容貌は魔女の異名すら取るほどだ。
「愚息はまだ戻らぬの?」
「今日明日中には帰還されるかと」
侍従長の報告に、ブレダは再びワインを煽った。
「民ごときが王など笑止千万。まだピダーセンの方が遥かにマシというもの」
「大将軍のアブトマットが摂政に就任したそうです」
「それも気に入らない。あの筋肉馬鹿が政を仕切るなど、世も末だわ。戦場で血に塗れていればよいものを……」
立ち上がったブレダは、怒りの余韻をグラスごと侍女に預けた。
「貴族の本分もわからぬ者が、政治を弄ぶなど。そもそもガーランドが即位したこと自体が間違いだったのよ。あの気取った餓鬼、務めも果たせずあっさり殺されて……」
主家分家の関係上、ガーランドを幼少期から見てきた。
才知こそ認めていたが、貴族としての矜持も距離も持たず、使用人にすら笑顔を向けるその姿を、ブレダは“恥”と断じていた。
だからこそ、息子・クーガーを「誇りある貴族」として育て上げた。
気品、教養、そして非情な決断力。
クーガーは見事にその期待に応えていた。
「母上、戻りました」
そこへ、ちょうどクーガーが帰邸する。
「おや、早かったわね。何かあったの?」
「はい、母上。――いまこそ、真の王家が立つべき時です」
その言葉に、ブレダの胸が熱くなる。
だが、焦りは禁物。なぜそう思ったのか、その動機を見極めねばならない。
「どうしてそう思うのか、理由を聞かせて」
「王都は外から見るほど平穏ではありません。あれは圧政の空気です」
クーガーは娼婦連続殺人の存在や、王都に渦巻く不穏な噂――政権に対する民の反感を母に語った。
どうやら独自に調査も進めていたらしい。
「母上、同じような事件が、我がベレッタでも起きていませんか?」
「……侍従長!」
「はっ」
「ベレッタで起きている不審な事件を洗い出し、至急報告せよ」
「御意に」
侍従長が退出し、ブレダは息子に向き直る。
「ただの下賤の争いならば無視して構わない。だが、意図ある徒党の仕業であれば話は別。王都は荒れるでしょう」
「ええ。愚民の王など容認できません。――母上のお言葉通り、正当な王が即位しなければ国は荒れます」
ブレダは深く頷き、真剣な眼差しでクーガーを見据えた。
「クーガー・デュ・ベルテルブルグ。時は満ちました。明日、家督継承の儀を執り行います」
「……母上」
「あなたは立派に成長しました。もはや誰にも見劣りしない。――ベルテルブルグの名のもとに、家臣を導きなさい」
「はい!」
ヴィルの戴冠から五日。
ベルテルブルグ家は、王家の許可を得ぬまま、クーガー・デュ・ベルテルブルグへの家督継承を強行した。
形式上、これは明白な規約違反だったが、審議会の混乱と事務的な処理の不備により、事後承諾の形で許可が下りてしまう。
この継承に対して、アブトマットは何ら疑念を抱くことなく、単にブレダが引退を決めた程度の認識に留まっていた。
この判断が、後に致命的な誤算であったと知る者は、まだいない。
唯一、カルカノだけが「何かおかしい」と感じていたが、王都を揺るがす反政府組織の調査に追われ、それ以上踏み込む余力はなかった。
「なろうにしては重い」とよく言われますが……それでも応援してくださる方は、ぜひブクマやリアクションをお願いします。