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Ⅱ-5 信頼

「猊下、お願いがあるのです」


 寝台(ベッド)に身を預けたまま、上体をわずかに起こしたニニオがカルカノを見やった。

 ニニオの自室に呼び出されるなど、カルカノにとっても滅多にないことだ。

 王妃の私室に入れるのは、原則として国王とその親族のみ。正当な理由がなければ、近づくことすら許されない。

 特にニニオは、ツェリスカの毒によって身体が不自由となって以来、警備が厳重を極めていた。

 王妃の護衛を務める王妃専属近衛隊(クイーンズシールド)は、シグ家家臣の中でも最も忠実かつ腕利きの騎士たちで構成されている。

 もちろん、その多くはアブトマットと直に通じている。護衛であると同時に、監視でもあるのだ。

 ニニオは聡明だ。下手をすれば兄アブトマットをも上回ると、カルカノは密かに評価していた。

 だが、それゆえに扱いづらい。支配欲の強いアブトマットにとって、思い通りに動かぬ妹は障害に他ならなかった。

 あの毒も、もしかすると――兄が自ら見逃したのではないか。

 妹を都合よく使うため、敢えて無力化したのではないか。そう疑いたくなるほど、彼は冷徹な男だった。

 目的のためなら妹に毒を盛り、親友であり主君でもあった王をも殺す。――それがアブトマットという人間だ。

 今回の呼び出しについて、カルカノはその目的をある程度、察していた。

 アブトマットが摂政に就任し、さらにシャルロットが太后として審議会に参加した――ニニオがこの情報を耳にしているのは間違いない。

 だからこそ、今この部屋には二人きりなのだ。

 言葉の一つ一つが兄に漏れぬよう、周到な準備がなされている。


「殿下、お言葉を頂かずとも意図は承っております」


「猊下は話が早くて助かります」


 ニニオの望み――それは、シャルロットの命を守ることだ。

 本来であれば、自らが摂政として全権を握るはずだったアブトマット。その目論見を、太后の登場が覆した。

 かつては摂政就任の切り札だったシャルロットが、今や最も邪魔な存在となっている。

 遅かれ早かれ、アブトマットはシャルロットを――殺す、あるいはそれに近いかたちで“壊す”だろう。


「ただ……王妃の御部屋に張られた警戒を思えば、私の手が及びにくいのもまた事実です。本来であれば、殿下がこのようなご状態になられたのも、我々の不徳の致すところ……」


「違います。それは私の未熟さです。もっと愚かに振る舞えていれば、あのようなことには……」


「いえ、殿下は幼少のころから聡明でいらっしゃいました。それを隠す方が無理というものでしょう」


 ニニオは小さく息を吐き、窓の外に視線を向けた。


「何故……何故こんなことに。兄が野心を抱いていることは、ずっと分かっておりました。止められるのは私だけだったはずなのに……気づけば、ここまで……」


「ですが、殿下は要所で楔を打たれました。太后殿下に、審議会への参加を促されたのでしょう?」


 ニニオの目が見開かれた。

 シャルロットと会ったのは、彼女が王都入りした翌日、ニニオの部屋を表敬訪問したその一度きり。

 その場で伝えた言葉を、カルカノは見抜いていた。

 情報網を駆使しても掴めぬような密談を、彼は状況から推理してみせたのだ。

 驚きと共に、ニニオの中でカルカノへの信頼が静かに深まっていく。


「私は……太后殿下を死地に送り出しました。少しでも兄の邪魔になればと。彼女は聡い方です。審議会に出ることが、命を懸けることだと分かっているはずです。それでも、彼女が死ねば――それは、私が殺したも同じ。彼女を、私のようにはしたくない」


「お察しいたします。我々にできたのは、ほんの僅かな時間稼ぎだけ――殿下の一手に、どれほど救われたか」


 ウィンチェスターが言及した『他国からの抗議』。

 あれは、カルカノが国外の蛇を使い、各国に巧妙に仕掛けたものだった。

 実際、各国が王国の軍事力に懸念を抱いていたのは事実だ。

 だが、人類の盾たる王国に対し、正面から抗議を申し入れることは避けられてきた。

 それを逆手に取り、蛇を通じて各国外務省を唆し、抗議文を王国へ送るよう誘導した。

 結果的には時間を稼ぐにとどまったが、即決を避けるには十分だった。


「抗議文がなければ、あの場で摂政が即決されていたでしょう。これは……軍事クーデターに近い事態です。そのことに気づいている者など、私を含めてもごく僅か。逆らえば即、処刑されてもおかしくありません」


「それゆえ、殿下もどうかご自重を。王宮内は影の庭――我々もできうる限りお守りしますが、目立たぬよう……」


「ありがとう、猊下。けれど、まずは太后殿下を。彼女に何かあれば……兄の暴走を止められる術は、もう尽きてしまいます」


「御意に……」


 ――「ニニオが男に生まれていれば」


 かつてモンドラゴン・フォン・シグが、カルカノの前でたった一度だけ口にした言葉だ。

 その想いが、今ならよく分かる。

 ニニオには野心がない。ただ王国を憂え、そのために冷酷な決断を下すだけの胆力を持っている。

 もし兵法や戦術を学んでいたなら、アブトマットをも凌ぐ名将となったかもしれない。

 そう――()()()()()()()()()

 惜しいと、カルカノもまた思っていた。


「殿下……このようなことを申すのは本来、不敬にあたりますが……」


「何でしょう?」


()()()()()()()()()()は、殿下こそが当主となられるべきです。そのときは、私が全力でお支えいたします」


 ニニオは驚いたものの、すぐに言葉の意味を理解し、真剣な表情に変わった。


「猊下が王国と民のことを真に案じ、行動されていると知り、心から嬉しく思います。どうか、力をお貸しください」


 深々と頭を下げるニニオ。

 カルカノは思わず跪き、(こうべ)を垂れた。


「ニニオ殿下……殿下こそ、王宮の最後の砦となられましょう。私も、我が配下も、命を賭してお支えいたします」


 それ以上、二人は言葉を交わさなかった。

 互いにまだ秘していることがあるのは分かっていた。

 だが、それを今伝えるべきではないということも、また理解していた。

 ――それは、信じていないからではない。

 信じるに足る者と、互いに認め合っているからこそだった。

 この密会は、後にも先にもただ一度。

 文を交わすこともなければ、使者を出すこともなかった。

 だが歴史には一行たりとも記されぬ、この密談が。

 後にアブトマットを追い詰め、王国の崩壊を防ぐ礎となる。

 それは、まだ遠い未来の話である――。

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