Ⅱ-4 摂政
カルカノの手により、ヴィルの頭上に王冠が戴かれた。
その瞬間、万雷の拍手が広がり、盛大な楽曲が鳴り響く。
第四六代国王、ウィリアム・フォン・バーテルバーグの誕生である。
国賊指定という脅しが功を奏したのか、ほとんどの諸侯が式典に間に合っていた。
とはいえ、五つの家門はなお遅れており、今ごろ中央の処分を案じて震えているに違いない。
宴も無事に進み、王都の街も新王の即位を祝って浮き立っていた。
「問題は、ここからだな」
アブトマットは足早に廊下を進みながら呟いた。後ろには影の隊長が控えている。
「閣下が摂政に就任されれば、王国は安泰かと存じます」
「そう思わぬ者もいる。遅参した家の中には、マンリヒャーと通じている者どももある。動向を探れ」
「既に手の者を潜り込ませております。何かあれば即時に報告が上がるはずです」
「何も起きぬのが最善だ。頼むぞ」
「御意に」
審議会の会議室前に着いた時には、影の隊長の姿はもうなかった。
扉を開けると、すでに全員が揃っており、ヴィルの姿もある。
「お待たせしたな」
「それでは始めましょう」
いつも通り、進行はウィンチェスターだ。
「まずは、陛下のご即位を心よりお祝い申し上げます」
それに合わせて、全員が立ち上がり、ヴィルにひざまずいて頭を垂れた。
「あっ、その、ありがとうございます……」
戸惑いながら頭を下げ返すヴィルは、まだ即位に慣れていない様子で、椅子に座ったままモジモジしている。
「陛下、まずは大事なご決定をいただかねばなりません」
頭を下げたままアブトマットが口を開く。ヴィルは緊張した面持ちでうなずいた。
「はいっ」
「その前に、我々も席に着いてよろしいでしょうか」
「あ、すみません!皆さん、お座りください!」
「御意」
席に着いた面々に、ウィンチェスターがそっと告げる。
「陛下、『すみません』は今後、お控えください」
「あ……はい……」
慌てて言葉を飲み込むヴィル。王としての礼儀も威厳も、まだ身に付いていない。
無理もない。つい数日前まで馬小屋の下働きだった少年なのだ。
だからこそ、摂政が必要である。
アブトマットは事前に、摂政には自分が適任だとヴィルに吹き込んでいた。
そもそもヴィルが面識を持っている審議会の大人は、ほとんどアブトマットだけだ。言い含めるまでもなかったかもしれない。
「その……僕には、馬の世話くらいしか経験がありません。政治とか、よく分からないので……。アブトマットさんに、お願いしたいと思っています……」
おずおずとした言葉に、ラハティがすっと手を上げた。
「陛下、よろしいでしょうか」
「は、はい。どうぞ」
ラハティは静かに口を開いた。
「王国は、軍事・経済・政務・宗教の四分野を、それぞれ専門の長が統べる体制を取っております。大将軍たるアブトマット閣下が摂政を兼ねるとなれば、軍の指揮に支障が出るのではありませんか?」
それは、軍事偏重への懸念でもあった。
ガーランド前王とアブトマットは幼少の頃からの旧知であり、軍備拡張に力を注いできた。
その結果、南部戦線は安定し、経済活動も好調だった。しかしラハティは警鐘を鳴らしていた。
魔王軍との戦が終結すれば、この膨れ上がった軍事力が、周辺諸国にとって第二の脅威となる可能性があるのだ。
「ご心配には及びません、大蔵大臣。私には優秀な部下たちが揃っておりますゆえ、軍の運営に問題は生じません」
「明確に申し上げよう。貴殿が摂政に就くことは、王国が軍事国家であると世界に宣言するのも同じだ」
「だが我が国は今、人類の先頭に立って魔王軍と戦っているのですぞ。それを支える王国が、強大であることはむしろ誇らしいではありませんか」
「軍事力を手放しで歓迎する国など、あるものか。あるとすれば、その国は愚か者だ」
ラハティの言葉に、アブトマットの目が鋭く光る。
「お言葉ですが、我が軍が今の戦線を支えているのは事実。その戦力があればこそ、敵の進軍を抑えているのです」
「それに、摂政の話をしているのだ。軍の話ではない」
「ならば、好戦的な者が摂政になるのは筋が通らぬ。必要以上の軍備など、王国に災いを招く」
議論が白熱し、空気が張り詰めたその時。ウィンチェスターが間に入った。
「両名とも、少々お言葉を……。実際、他国も王国の軍事力拡大に神経を尖らせております。前王の時代から、外交筋にはすでに苦情めいた申し入れがありました」
その言葉に、アブトマットの表情がわずかに動いた。
そんな報告は彼の耳には入っていなかった。――つまり、ガーランドは大将軍に対して、それを隠していたのだ。
アブトマットは内心で舌打ちしたが、表情を崩さず、あくまで毅然と口を開いた。
「だとしても、我らが魔王軍の脅威を退けねばならぬことに変わりはない。予言では、次の勇者の出現は二百年後。戦力を蓄えねば、南部の防衛線など一夜にして崩れ去る」
「だが、情報網もある。魔王軍に異変があれば、大僧正の手で察知できよう」
「はい。潜入している者は多くありませんが、兆候があれば早急に報告されます」
「ならば、必要以上に恐れることはない。王国軍は、守勢に回るだけなら今の戦力で足りている」
アブトマットがついに怒りを顕にして立ち上がろうとした、その時
――バン!
扉が勢いよく開かれた。
「誰だ、今この時に!」
全員の視線が扉へと向く。そこに立っていたのは――
「太后殿下……」
第二王妃、シャルロットだった。
「国王陛下の保護者として、この審議会に同席する権利が私にはあるはずですが、違いますか?」
その一言で場の空気が一変する。堂々たる姿に、誰もが息を呑んだ。
カルカノだけが冷静に頭を下げる。
「仰る通りです、太后殿下。我々にとっても、ご参加いただけるのは心強い限り」
アブトマットは鋭くカルカノを睨んだが、王族の意を拒めばそれは不敬罪だ。黙って頭を垂れる。
「摂政について話していたのでしょう?」
「左様にございます……」
シャルロットはアブトマットをまっすぐ見据えて告げた。
「アブトマット、貴殿が摂政を務めよ」
「な……!?」
驚愕の声があがる中、シャルロットはさらに言葉を重ねた。
「ただし、あらゆる政務判断は、ヴィル陛下と私の両方の同意を得たうえで可決とすること。これで、ラハティやウィンチェスターの懸念も、いくぶん和らぐであろう?」
「――御意!」
全員が一斉に頭を垂れる中、アブトマットは顔を上げぬまま、苦々しい表情を隠していた。