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Ⅱ-3 密事

「猊下──お耳に入れておきたいことがございます」


 カルカノの私室に、静かに一人の女が現れた。

 その女は、かつてツェリスカの命乞いをした侍女。

 今は名を変え、ボアとして蛇の一員に加わっている。

 もとは王都の娼館を基盤とした独自の情報網を持っていたが、

 カルカノの命により、わずか一週間で東都・西都・南都・北都の娼婦界隈を掌握してみせた。

 王国全土の娼館から情報を吸い上げるのも、時間の問題だろう。

 あまりの手腕に、慎重なカルカノすら舌を巻いた。

 その働きを評価し、彼女には十名ほどの部下が与えられている。

 もとより、娼婦を通じて情報を得ていた者たちを選抜した結果、

 ネットワーク構築は驚異的な速度で進んだ。


「何があったのです?」


「──事件です。一人の娼婦が、暴行の末に殺されました」


 ボアは羊皮紙の切れ端を差し出した。

 報告の文字は簡潔だったが、現場の無残な有様が容易に想像できた。


「……そう来ましたか」


 カルカノはすぐに理解した。

 ツェリスカへの憤怒を無理やり戴冠式ムードで押し流した反動──その捌け口として、娼婦が選ばれたのだ。

 こうした行為は、怒りの連鎖であり、抑え込まねば次が起こる。


「犯人を捕らえるより、まずは警備の強化だ。──捕まえても終わらぬ類の連中だろう」


「はい。複数人での犯行と見られ、同じ思想背景を持っていた可能性が高いです」


「では蛇を潜らせましょう。貴女は娼婦たちに、単独行動を禁ずるよう徹底を」


「承知しました。王都以外にも通達しておきます」


「頼みましたよ、ボア」


「はい」


 女が静かに去っていく。

 ──たとえヴィルが戴冠しても、この国の不安は消えはしない。

 いや、むしろ今こそ芽吹いている。

 そもそも、ガーランドを殺したのが過ちだったのだ。

 アブトマットは、この王国を過小評価しすぎている。

 彼は確実に視野を狭めている。今や権力の絶頂にあるが、それは一歩間違えば奈落への片足に過ぎない。

 軽視された“娼婦殺し”一つが、足を掬う切っ掛けになるかもしれない。

 それが数ヶ月後か、数年後かは分からない。

 だがその時のために、カルカノは備えておかねばならない。

 現在、蛇と影は共に動いているが、それも永遠ではない。

 万が一アブトマットが蛇の存在を公にすれば、捌神正教そのものの信用が揺らぎかねない。

 そしてその男なら──やりかねない。


「……暗殺を阻止できなかった私の、責任ですね」


 手は打っていた。目星もつけていた。

 だが確証が得られず、踏み切れなかった。

 あの時、強行すべきだったのかもしれない──そう思えば思うほど、後悔ばかりが胸を焼く。


「──猊下。悔やんでも、仕方ありませんよ?」


 愛嬌のある声が、背後から届く。

 誰もいないはずの室内。だが振り向けば、そこに立つ者がいた。


「アナ……戻ったのですね」


「只今戻りました。猊下、そんな顔なさらずに。物証を揃えられなかった私たちの不手際でもあるのですから」


 アナと呼ばれた女は勝手にワインのデカンタから杯を取り、勢いよく飲み干した。


「やっぱり、王宮の葡萄酒は美味しいですね」


「……で、魔王軍の様子は?」


 アナは“蛇”の中でも特殊な存在だ。

 魔術師(ストライゴン)

 今や魔術は世界共通の禁忌であり、使える者がいれば即刻拘束・処刑される時代だ。

 アナはその素質を幼少時から持っていた。

 その存在に気づいたカルカノが、王国の目から隠すように死を偽装し、蛇として引き取った。

 魔術の鍛錬を積ませ、今では高位の術者として行動できるほどの力を持つ。

 それを武器に、アナは魔王軍への()()()として潜入していた。

 定期的に王都に戻り、カルカノへ報告を上げる。


「国王の死は、魔王軍にも広まってる。“今が攻め時だ”って声も上がってるし、そのうち本当に大攻勢があるかも」


「やはり、そうですか……」


「ガーランド王って、向こうもかなり手を焼いてたみたい。死んだことで、前線の士気が上がってるって。南壁はまだ堅いけど、油断はできないよ」


「……前線の兵士たちには、本当に苦労ばかりかけてしまっている」


「ちなみに、ガーランドを殺したのは“俺だ”って名乗り出る魔族も続出中。全部嘘だけどね」


「やはり……犯人は魔王軍ではなく、大将軍でしょう」


「証拠、欲しいよね。……でもごめん、私じゃ無理。フェム襲撃で出てきた暗黒種族も、どうせどこかの前線で捕らえた連中でしょ?私じゃそこまで掘れない」


「そこはこちらでやります。ルインを噛ませておいたのは正解でした」


 事件当夜の護衛計画の全容は、すでに把握済みだ。

 だが物証がない。それが決定的な壁だった。

 ──だからこそ、()()の手は、慎重に選ばねばならない。


「猊下、話は変わるんですけど──ガーランド王の落胤、何人くらい把握してます?」


「落胤……? いいえ。私は把握できていません。今回のヴィル王子も、事前に情報はありませんでした。前王は比較的真面目な方で、娼婦などとは関係を持っておられなかったはずです」


「使用人に手ぇ出してる時点で、真面目じゃないでしょ?」


 アナは肩をすくめて笑った。

 正直、カルカノもそこに引っ掛かりを覚えている。

 あの生真面目なガーランドが本当に使用人へ手を出したのか。

 ──下手をすると、今後も新たな落胤が現れる可能性がある、ということだ。


「……その線も、調べる必要がありそうですね」


「私が気になるのは、ニニオ妃のこと」


「ニニオ様が……?」


「王と正式に結婚しながら、子を授かっていない。ツェリスカの毒で体が弱った、って話だけど──それ以前は、ずいぶん元気だったって話も聞く」


 カルカノはアナを見据える。

 彼女の中で、何かの“形”が見えつつあるのかもしれない。


「何が言いたいのです?」


「女の勘、ってやつ。調べたいことがあるの」


「……好きにしなさい。ただし、魔王軍の情報は忘れずに」


「はいはい、わかってますよ。それじゃ──」


 カルカノが瞬きをした刹那。

 アナの姿は、部屋から掻き消えていた。

 不穏は、着実に膨らんでいる。

 ──この王国の底が、静かに、軋みを上げていた。

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