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Ⅱ-2 前日

「マンリヒャーの子倅が処刑か……憐れなもんじゃのう」


 馬車の中で陽を浴びながら、太った男が他人事のように呟いた。

 感情のこもらぬその言葉は、まるで空気を押し流すだけの風音のようだった。

 男の名はウェルロッド・ジウ。

 王国西端の小領、ビュロー城を治める地方領主である。

 ジウ家はかつて、審議会の一角を担う名門武家として名を馳せていた。

 その血筋と格式は、最古三家や勲三家に次ぐものとされていたが──

 争いの時代が長引くなかで、戦功と実利に長けた武家たちが急激に台頭し、

 野心も政略も持たぬ穏やかな家風のジウ家は、徐々に中央から疎まれるようになった。

 最終的にガーランドの治世下では、審議会からも除外され、

 形式的な名誉だけを残して、辺境のビュロー城へ()()()()転封された。

 それでもウェルロッドは、中央への恨みなど持っていなかった。

 政も名声も出世も、どうでもよい。ただ、地元の民と収穫を祝い、酒を嗜む日々を愛していた。

 今回の戴冠式への出席も、「どうせなら温泉地にでも」と冗談を言いながら、しぶしぶ腰を上げたものだ。


「……まったく、ビュローからじゃ王都は遠すぎるわい」


 そう嘆いた直後、馬車の外から声が飛び込んできた。


「ウェルロッド様!王都より火急の知らせです!」


「どうせツェリスカの処遇じゃろ?今さら聞かんでよい。放っとけ」


 そう言いつつも、手渡された巻紙の封に見覚えのある王家の印を見つけた。

 訝しげに開いたその瞬間、彼の表情が一変する。


「……なんじゃと!?」


 思わず馬車から転がるように飛び降りると、馬に駆け寄る。

 一頭を選び、鞍も鐙もないまま、腹の肉を揺らしながらよじ登った。


「ウェルロッド様!一体どうなされたのです!?」


「これを読めいッ!」


 伝書を放り投げると、馬にぐいと拍車をかける。


「戴冠式が明日!?しかも遅れたら爵位と領地を没収、場合によっては国賊だとぉ!?たわけが!!」


「な、なんと……!」


「ここから昼夜ぶっ通しで進めば──間に合うかもしれん!ワシは先に行く!」


 馬がどすんと地を蹴る。

 太った男の身体を揺らしながら、猛然と街道を駆け出した。

 すぐさま従者も別の馬に飛び乗り、後を追う。


「ウェルロッド様!道中には交代用の馬をご用意しております!心置きなく急がれてください!」


「助かるぞ、いつもながら!」


「勿体なきお言葉!」


「お主はワシの一の従者じゃ!しっかり付いてこい!」


「御意!」


 こうして、二騎は王都を目指して駆けていった。



 王都の空気は、ようやく沈静の兆しを見せていた。

 明日の戴冠式を前に、各地の諸侯が続々と到着し、街は祝賀の準備に忙殺されていた。

 ツェリスカへの怒声も、次第に喧噪に紛れてかき消されつつある。


「……何とかなりそうだな」


 王城の上階から市街を見下ろしながら、アブトマットが呟いた。

 その背後には、静かに控えるカルカノの姿がある。


「蛇の働きには感謝している」


「閣下の英断あってこそです。戴冠式の報がなければ、どれほど密偵を動かしても民は沈まりませんでした」


 アブトマットはグラスを手にし、葡萄酒を傾けると、カルカノへ杯を差し出した。

 カルカノは丁重に、それを断った。


「──それで、ツェリスカの様子は?」


「日々、信仰に身を委ねておられます」


「カルカノ。あれはもうただの庶民だ。敬語など要らん」


「ですが、同じ神に仕える者としての礼を欠きたくありません」


「……まぁ、好きにするがいい」


 アブトマットは杯を揺らしながら、ふっと笑った。


「あの侍女が命を懸けて修道会に頼み込むとは……あの女には、過ぎた忠義だった」


 だが、それは偽りだ。

 侍女は生きている。

 “蛇”によって偽の死が演出され、今はカルカノの配下に置かれている。

 もし表に出ていれば、アブトマットの命で始末されていたに違いない。


「惜しい逸材です。侍女の鑑として、丁重に葬儀を営みました」


「ツェリスカも出席できず、身内もおらん。憐れな最期だな」


「彼女は今も祈りを捧げておられます。きっと救われましょう」


 話題を転じるように、カルカノが問いかける。


「──ところで。諸侯の集まり具合は?」


「現在、半数以上が到着済み。戴冠式には三分の二は揃うはずだ」


「残る三分の一について、国賊指定などという話は……?」


 カルカノの声には、わずかな棘が含まれていた。

 諸侯たちの中に芽生えつつある不信──アブトマットはまだ、その実感が薄い。


「式は慶事だ。罰をちらつかせる場ではない。……遅れた者には、軽口の一つでも飛ばしてやればよかろう」


「それが賢明かと存じます」


「カルカノはつくづく慈悲深いな」


「聖職者ゆえに。諸侯も民も、神の御前では皆等しき子です」


「──それを慈悲というのだよ」


 アブトマットは笑った。

 だがカルカノの顔には、微笑すら浮かばなかった。

 ──この王国が、どこへ向かっているのか。

 それを誰よりも敏感に感じ取っているのは、ほかならぬカルカノであった。

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