Ⅰ-2 牙剥
朝の光がまだ弱い頃、王宮に重い空気が流れていた。
王はついに、噂を口にした──自らの暗殺を巡る疑念を。
その言葉に、誰も反論せず、誰も笑わなかった。
見えぬ牙は、すでに剥かれていた。
翌朝。
まだ朝日が昇り切る前、王宮の奥深くにある「審議の間」には、既に錚々たる顔ぶれが揃っていた。
威厳ある赤絨毯の敷かれた長方形の会議室。その奥には王の玉座。その前方には馬蹄形に並んだ漆黒の椅子。
国家の中枢を担う者たちが、そこに鎮座していた。
そして、重々しい扉が開き、彼が現れる。
「陛下、ご臨席!」
号令と共に全員が起立する。
ガーランドはゆったりと歩み寄り、玉座に腰掛けた。
「……座ってくれ。時間が惜しい」
王の一言で全員が着席する。
そして、沈黙の幕が下りた。
最初に口火を切ったのは、若き宰相――
「まず、本日の議題は王都近郊で流布している“噂”について、です」
ウィンチェスター・フォン・フローコード宰相。
まだ三十にも満たぬ若さながら、鋭い頭脳と実行力を武器に王の信任を得ている。
「……一部では“国王の暗殺”とまで囁かれております」
その場に冷たい空気が流れる。
次いで、太い声が響いた。
「流言に踊らされるほど、この国の民も愚かではあるまい」
アブトマット大将軍。
豪放磊落な軍人であり、国防の柱でもある男。その一言には、威圧と苛立ちが滲む。
「とはいえ、これだけ広まっている以上、何らかの組織的意図がある可能性は否定できません」
理性的に反論したのは、ラハティ大蔵大臣。
慎重で用意周到な彼の言葉には、重みがある。
「仮に王の命が狙われるとしたら、内側――この審議会内部からの漏洩も疑わねばならん」
部屋が、さらに静まり返る。
誰もが互いの顔を見ようとしなかった。
「陛下。私から提案があります」
声を上げたのは、僧衣を纏った男――カルカノ・ヴァン・ルーインバンク大僧正。
宗教界の頂点にして、民衆の声を聴く者。
「このような流言が王都に蔓延する背景には、“不安”がございます。民は知らぬ間に怯えております。陛下直々に、何かしら声明をお出しになるのが宜しいかと」
ガーランドはゆっくりと目を閉じた。
噂を否定することは簡単だ。
だが、それは火に油を注ぐ危険も孕んでいる。
「……声明については、検討しよう。だが、それ以上に重要なのは、誰がこの流言を流したのかだ」
王の言葉に、一同は緊張を強めた。
「犯人が判明し次第、即刻処罰を下す。例えそれが、我らの中にいたとしてもだ」
重い沈黙。
ガーランドは、ひとりひとりの顔をゆっくりと見渡す。
その目は、王としての覚悟と怒りを帯びていた。
「以上だ。審議は続行するが、本件については最優先事項として捜査を命じる。よいな?」
「はっ、陛下のご命令とあらば」
全員が口を揃えて応じる。
だが――その声の裏に、それぞれが秘めた思惑があった。
王の命を狙う“噂”。
それは本当にただの噂か?
それとも、すでに“何か”が動き出しているのか?
この日、審議の間には見えない火花が飛び交っていた。
やがて、王国の運命を揺るがす嵐の前触れのように――。
沈黙の向こうに、気配があった。
諂いも忠誠も、すべては仮面にすぎない。
王の問いに、誰も“否”を返さなかった。
この国の真の敵は、まだ名を持たないまま、王座の足元にいた。