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Ⅰ-26 謀策

「何たる無様……っ!」


 ツェリスカは怒声と共に手元のグラスを思い切り壁に投げつけた。真紅の葡萄酒(ワイン)が飛沫を上げ、砕けたガラス片と共に室内に降り注ぐ。滴る酒が絨毯に濃い染みを刻み、破片が陽光を反射して、きらめいた。

 ここは王妃の私室──かつては華やかに飾られ、王宮でも最も高貴な空間と謳われた部屋。しかし今は、締め切られた窓と人払いされた静寂がその威厳を奪っている。

 侍女が一人、床に跪きガラス片を片付ける。だがその動作は慣れている様子だった。幾度となく繰り返されてきた激情の後始末。


「……ツェリスカ様」


 控えめな声に、ツェリスカは振り向くと、その瞳に怒気を灯した。


「あなた、何故こんな事態を防げなかったの!」


 激情に任せた叫びが部屋の壁に反響する。

 ツェリスカは今、自室に軟禁されていた。侍女と二人きりで、外との接触を一切断たれた状態。実家であるファイファー家とも連絡がつかず、頼みの綱はこの侍女のみとなっていた。

 アブトマットの策だった。彼女が築いた情報網、その中枢を事前に察知し、寸断したのだ。


「申し訳ありません……」


 侍女が平伏する。彼女に責任はない。それはツェリスカ自身もわかっていた。それでも、怒りの矛先を見つけずにはいられなかった。


「魔王軍の襲撃で陛下が亡くなったというのなら、本来は護衛していたアブトマットが責を負うべきでしょう?何故、あの男が主導者として振る舞っているのよ!」


 彼女の言葉は正論だった。崩御直後、世論は確かにアブトマットら王国軍の失態を糾弾する気配を見せた。


 だが──“不貞の子・ヘンリー”の話が広がるや否や、国民の憤りはすべてツェリスカへと転じた。


 これは、明確な意図をもった情報操作。ツェリスカはすぐに気づいた。扇動しているのは恐らく大僧正。その配下──蛇。

 それにしても、完璧だった。


「……私が、国王を殺したですって?戯言も甚だしいわ」


 まことしやかに囁かれる陰謀論。「摂政の座を得るために魔王軍と通じ、国王を謀殺した」とまで言われている。信じがたい作り話が、国中を覆い始めていた。


「ツェリスカ様、いま脱出すれば、民衆の手にかかる可能性が高い。軟禁状態の方が、逆に安全なのです」


 侍女の冷静な声に、ツェリスカは肩を震わせた。


「私は王妃よ……この国で最も高貴な立場の……っ。どうして逃げるなどと……!」


 誇りが、軋んでいた。

 しかし、誇りなど何の盾にもならない。

 すでに審議会では、アルメ・マンリヒャーの打首が決定していた。ヘンリーの本当の出自に関しては調査すら進んでいない。つまり、最初から「王妃の不貞」が真実として処理されている。

 ツェリスカが第一王妃の座を追われるのは時間の問題。

 庶民に落とされ、王宮から追い出されれば、ツェリスカを恨む民によって私刑(リンチ)される可能性もある。

 何があってもそれだけは避けなければならない。

 床のガラス片を見つめる。その目には、涙ではなく、怒りと、計算が宿っていた。

 侍女はその横顔を見つめ、意を決した表情で口を結ぶ。


 一方その頃。


「蛇の腕前……想像以上だな」


 アブトマットは王城内の私室。だが室内には、彼以外にも“誰か”がいた。


「まさかここまで国民の心を掌握するとは。やはり只者ではない」


「お疑いでしたか?」


 空間を震わすような声。音の主は、陰に潜む兵士──名前を持たぬ諜報員。


「表向きは魔王軍の手にかかったとされているが……蛇は真実を知っている可能性が高い。いや、あれは私がガーランドを殺した事を、最初から知っているな」


「それでも動かぬのは、何か“交換条件”でもあるのでは?」


 アブトマットは小さく頷いた。


「裏があるな。これだけの力があれば、世論を逆に私へ向ける事も出来ただろうに。今は従っている……が、いつ牙を剥くか分からん」


「いかがいたしますか」


「会ってみるさ。今のうちに腹を探っておかねば、いずれ飲まれる」


「冗談のつもりでしたが……承知しました」


 アブトマットは立ち上がり、部屋を出る。通りすがりの兵士に短く命じた。


「カルカノ大僧正に会いたい。至急伝えよ」


「ハッ!」


 兵士が駆け去り、アブトマットは廊下を歩き出す。後ろには影の兵士が、足音すら立てずに続く。


「……我々が思っていた以上に、この国の“裏側”は根が深いな」


「その中枢に蛇がいるというのなら……」


「味方に引き込めれば最強。敵に回れば最悪。わかっている」


 アブトマットは不敵に笑った。


「さて、毒蛇の牙の鋭さ……拝見するとしよう」

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