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Ⅰ-25 上洛

「ここが……王都……」


 少年は、目の前にそびえる巨大な城門を見上げた。

 その高さ、分厚さ、荘厳さ──何もかもが彼の知る世界とは桁違いだった。ザウエル城の堅牢な石壁すらも、ここでは取るに足らないものに思えた。

 王都・スプリングフィールド。

 王国の心臓部にして、すべての富と権力と欲望が渦巻く場所。

 ヴィルにとっては、絵本や噂話の中でしか知らぬ幻想の都であり、自分とはまったく関わりのない、遠く隔てられた世界だった。


 ──それが今、目の前にある。


 その事実に、まだ心が追いついていなかった。

 旅の道中、兵士たちは常に馬車を護衛し、人々は道を開け、通り過ぎるたびに頭を垂れた。自分はただの下男であったはずなのに、誰もがヴィル()と呼んだ。食卓には見たこともない料理が並び、衣服は金糸の刺繍が施された正装となった。

 着替えの際、浴場で身体を洗ってくれた女中たちは皆、俯き、目を合わせなかった。

 母も同じだった。終始無言で、沈黙と覚悟をその身に纏っていた。


「ヴィル様、シャルロット様、まもなく王宮に到着いたします」


 御者の声で馬車が揺れ、母が顔を上げた。

 その瞳には、かつての洗濯女中としての影はなく、貴族に相応しい威厳と覚悟が宿っていた。

 その変化に、ヴィルは何かを悟った。

 扉が開き、母の促しでヴィルは馬車から降り立った。

 目の前に広がるのは、天を衝くような石造りの城と、その前に広がる広場。そして、整列した数十名の兵士たちが、彼の到着にあわせて膝を折った。


「お待ちしておりました、ヴィル王子」


 最前列で跪く一人の男が、深く頭を垂れながらそう告げた。


「わ、王子……?」


 ヴィルは目を瞬かせた。

 その男は威圧感ある鋭い眼差しを持ち、銀髪に武人の風格を漂わせていた。

 名乗るまでもなく、その名は知れていた。


「私は王国軍大将軍、アブトマット・シグであります」


 その名は、城中に轟く勇名だった。

 国境を守り、幾度も魔王軍を退けた、伝説の男。


「こ、こちらこそ……」


 何を言ってよいか分からず、声が裏返る。

 戸惑うヴィルの隣で、母が一歩前に出た。


「ご苦労様です、閣下。皆、立ちなさい」


 その一言で、整列していた兵士たちは一斉に立ち上がった。

 かつて洗濯女中としてへつらっていた母の姿は、もうどこにもなかった。

 堂々とした態度、揺るがぬ口調、誇り高い瞳。

 まるで、ずっとこの場に立つべくして生まれたかのようだった。

 そしてヴィルは、知らぬうちに城の中へと導かれていった。


「まだ混乱されておられるようですね。無理もありません」


 城内へ入ってすぐ、アブトマットは歩調を合わせながら口を開いた。


「少し、事情をご説明いたしましょう」


 その声には鉄のような硬さと、どこか温もりがあった。


 ──国王、ガーランドの急逝。

 ──その遺言により、ヴィルが王位継承者と定められたこと。

 ──これまで世を忍び、モーゼル家の庇護のもとで生き延びてきたこと。

 ──かつて母・シャルロットが王の寵愛を受け、ヴィルを身ごもったこと。

 ──現王妃ツェリスカの策謀と、不義によって生まれたヘンリー王子の廃嫡。


「……にわかには信じ難いかもしれませんが、すべて事実です」


 アブトマットはそう言って、立ち止まった。

 広々とした回廊の窓から、王都の街並みが遠くに見えた。

 朝靄が差し込む光の中で、ヴィルの横顔に影が落ちる。


「でも、ぼくは……字も読めないし、数も数えられない……」


 しばしの沈黙ののち、ヴィルがぽつりと呟いた。


「王なんて、無理です……」


 その声は、恐怖とも戸惑いともつかぬ響きだった。

 アブトマットはしばし無言でヴィルを見つめ、そして微笑んだ。


「知識は学べばよい。王の器は、血にこそ宿るのです。私はあなたの傍におります。いかなる困難も、我々が支えます」


 言葉は優しいが、その瞳の奥に燃える野心は隠しようがなかった。


「……そう、ですか」


 ヴィルの声は、まだ不安を拭えぬ少年そのものだった。

 だが、何かを決意するように拳を握りしめると、はっきりとアブトマットを見た。


「ぼく、がんばります」


 その幼い宣言に、大将軍は深々と頷いた。


「頼もしいお言葉です、王子。では、まずはお部屋へ。今日は長旅でお疲れでしょう。明日からは、王としての務めが始まります」


 歩き出そうとするヴィルの背に、シャルロットの声が届いた。


「ヴィル」


 振り返ると、母が静かに頷いていた。


「何があっても、自分を恥じてはいけません。あなたは、ガーランド陛下の息子。立派な王子なのだから」


 母の声には微かに震えが混じっていたが、それでも毅然としていた。

 シャルロットはその場に立ち尽くしながら、ゆっくりとアブトマットとヴィルの背中を見送った。

 そして──その笑顔の奥にある底知れぬ黒さを、シャルロットだけが、静かに見ていた。

「なろうにしては重い」とよく言われますが……それでも応援してくださる方は、ぜひブクマやリアクションをお願いします。

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