Ⅰ-24 不義
「ここは王国の行く末を定める審議の場だ。無関係の者に騒がれては困るな」
アブトマットは眉間に皺を寄せ、あからさまな嫌悪を滲ませた声で言った。
「私はバーテルバーグ家の人間だぞ。貴様に出入りを咎められる謂れはない、シグの小僧」
「四十を過ぎた今、“小僧”と呼ばれるとは……これは光栄に存じますよ、ピダーセン殿」
皮肉を交えたアブトマットの返答に、ピダーセンは鼻を鳴らして無視した。
「私はガーランドの遺志を伝えに来ただけだ。余計な詮索は無用。――カルカノ、これを」
ピダーセンは国王印の封蝋が施された上質な羊皮紙を、静かにカルカノへ差し出す。
「……よろしいですね?」
カルカノは周囲を見回した。沈黙の中に頷きが重なると、彼は封を割り、ゆっくりと読み上げた。
これが叔父の手に渡ったということは、私――ガーランド・フォン・バーテルバーグ・ツー・スプリングフィールドは、既にこの世にいないのだろう。
皆には多大なる迷惑を掛けている事と存じる。心より詫びる。
この文を残す意味は一つ。王位継承についてだ。
王位は我が子、ヘンリー・フォン・バーテルバーグに譲る。だがヘンリーは未成年ゆえ、叔父であるピダーセン・フォン・バーテルバーグ・ツー・アーモリーを摂政とし、成人の日まで国を託す。
詳しいことは審議会の裁量に委ねる。以上。
「……という訳だ」
ピダーセンは満足げに笑みを浮かべ、堂々と玉座へ歩を進める。
「お待ちを、ピダーセン殿」
アブトマットの低く、しかし鋭い声が空気を裂いた。
「大将軍よ。これより摂政とお呼び願おうか」
「いいえ――あなたを摂政とは認められません」
アブトマットは静かに、だが明確に言い放った。
「なに……?」
「先ほど協議していたところですが、ヘンリー殿下は前王の実子ではございません。よって、王位継承権を有しない。摂政の任命も無効となります」
その言葉と共に、彼はカルカノの手から羊皮紙を抜き取り、ためらいなく暖炉の炎へと放り込んだ。
「――な、なにをする! 貴様……!」
怒声を上げるピダーセン。
「遺言とはいえ、継承権なき者を王座に据える訳にはまいりません。王家の血統を守ることは、我ら審議会の責務であります」
「ならば当然、次位の継承者である私が王位に就く。何も問題なかろう!」
ピダーセンの主張は筋が通っている。彼は前王の叔父、現王家最長老であり、継承順位は第二位――ヘンリーの権利が消えた今、彼が筆頭となる。
だがアブトマットは一歩も引かず、淡々と告げた。
「前王にはもう一人、私生児がございます。その子を新王とし、母を第二王妃として迎えます」
「なっ……!? 私生児を……!? 王にだと!?」
ピダーセンの拳がテーブルを叩き割らん勢いで落とされた。
「卑しき出自の者に、王冠を戴かせると……!? 正気か貴様!」
「正気ですとも。これは王家断絶を回避する、最善の策だ」
その言葉に部屋の空気が凍る。
「では、第一王妃の座にいるツェリスカ様はどうなるのですか?」
恐る恐るウィンチェスターが口を開いた。
「当然、処分する。不貞を働き、王位を欺いた罰だ」
アブトマットの声は冷えきっていた。
「彼女は庶民へと降格し、宮廷を去る。第一王妃はニニオ妃とし、空いた第二王妃の座に私生児の母――シャルロットを据える」
「……っ!」
誰も、何も返せなかった。
否、返せる者がいなかった。
アブトマットの理路整然とした説明と、支配するような威圧感に、言葉を挟む余地がなかったのだ。
彼は目線だけでカルカノに問う。
「宗教的・制度的に問題は?」
「……ツェリスカ様の不義が確定しているならば、閣下の仰る措置は成立します。ただ、護衛騎士アルメ殿への処罰を間違えれば、民衆の怒りは収まりませぬ」
「アルメは極刑とし、マンリヒャー家は断絶。見せしめとしては十分だろう」
吐き捨てるように言うと、アブトマットは再び全員を見渡す。
「明日、私生児は王宮に到着する。戴冠式の準備を進めよ。フローコード卿は法的手続きを。ラハティ卿は予算案を。カルカノ大僧正は宗教儀礼の整備を。それぞれの責務を果たせ」
命じ終えると、アブトマットは踵を返し、審議室を去った。
沈黙が落ちる。
その背を見送りながら、ピダーセンは呻くように呟いた。
「……まるで、奴が王そのものではないか……!」
ウィンチェスターはそっと席を立つ。
「わたしはこれにて失礼を。職務が山積みでして……」
ラハティもそれに続いた。
「誰が王になろうと、財政は回さねばならん……」
カルカノも静かに腰を上げ、しかし最後に意味深な言葉を落とす。
「シグ家が保護していた……そうですか。なるほど」
その言葉が、ピダーセンの脳裏に火を点けた。
シグ家。アブトマット。私生児の保護――。
「……まさか、シグ家が王家を乗っ取る気か……!」
ピダーセンは血の気の引いた顔で、カルカノの後を追うように部屋を飛び出していった。
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