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Ⅰ-23 刺客

 皮膚を破り、筋肉を引き裂きながら、小剣(ナイフ)が体内にねじ込まれる。

 焼けつくような激痛が、稲妻のように全身を駆け巡った。

 ガーランドは一歩、また一歩と後ずさる。

 目を見開き、腹部に手をやると、そこには血に濡れた小剣が深々と突き刺さっていた。

 見るも無残な、粗末な刃。

 柄には、どこから引きちぎってきたのか分からぬ革紐が無造作に巻きつけられている。

 王国の鍛冶師が打ったものではありえない。――暗黒種族の武器だ。


「アブ……トマット……まさか、貴様……」


 言葉は震え、視界は揺れる。

 刃は肝臓に届いていた。出血は止まらず、意識は急速に薄れていく。

 立っていようとする意思に反して、膝から力が抜けていく。


「陛下!しっかりなされませぬか!」


 部屋に響いたのは、アブトマットの叫び声。

 芝居がかったその声音が、ガーランドの耳を刺す。

 崩れ落ちる彼の身体を、アブトマットが慌てた様子で支える。

 そして、その声を聞きつけた国王専属近衛隊(キングズシールド)が部屋に飛び込んできた。


「……アブトマット……」


 血の気の引いた唇が、確かにその名を呼ぶ。

 伸ばしかけた手は、相手の首筋には届かず、空をつかむばかりだった。

 アブトマットは、微かに笑んでいた。

 それは安堵にも見えたし、満足にも見えた。

 ガーランドの胸中で、張り巡らされた違和感が一つに繋がる。

 蛇のように這い回りながらも、決して掴めなかった影の正体――それが、アブトマットその人だったのだ。


(……そうだ。奴自身が首謀者……だから、奴の指揮系統では何も掴めぬ……)


 たびたび王城に忍び込んでいた“蛇”の正体も、今なら分かる。

 ()()()()()()()()()

 “蛇”にとってすら、アブトマットの真意を掴むことはできていなかったのだ。


「刺客はどこだッ!」


 部屋に駆け込んだ近衛たちが周囲を見渡すと、倒れ伏した狗鬼(コボルド)の死体があった。

 胸にはアブトマットの剣が突き刺さっている。

 ――いつ出現したのか。

 ガーランドには、その死体が現れた瞬間の記憶がなかった。

 だが確かに、斬られるその刹那まで、部屋に異形などいなかった。

 仕込みである。

 入念に用意された()()

 そして、フェムへの襲撃そのものも――アブトマットの計画の一部なのだろう。


(南部視察を……自ら提案したのも、奴だ)


 あらゆることが繋がっていく。

 そして、最後に浮かんだのは――息子の顔だった。


「……ヘン……リー……」


 幼き王子の名を呼び、ガーランドの意識は暗転する。



 第四五代国王、ガーランド・フォン・バーテルバーグ・ツー・スプリングフィールド。

 フェム駐屯地にて、魔王軍の刺客による暗殺を受け、崩御。享年四五歳。

 ――これが、後に記された「フェム事件」の公式記録である。

 真実は闇に葬られた。

 アブトマットの名も、国王暗殺の噂も、記録には一切残っていない。

 忌み数――四五。

 それはこの事件を機に、王国全土で不吉とされるようになった。

 フェムへの襲撃は短時間で鎮圧され、暗黒種族の大半はその場で討たれ、生き残った者も全て処刑された。

 ガーランドの亡骸は、十日かけて来た道を、六日で王都へと戻された。

 王都の民は、無言の帰還を涙で迎えたという。

 翌日、壮麗な国葬が執り行われ、王国は七日間の喪に服した。

 その裏では、ガーランドの嫡子・ヘンリー・フォン・バーテルバーグの即位準備が進められていた。

 だが、事はそう簡単には運ばなかった。


 ――すべての始まりは、国葬の翌日に開かれた審議会の席である。


「ヘンリー様に、王位継承権がないだと!?」


 ウィンチェスターの叫びが、審議の間を揺るがした。

 驚愕に顔を曇らせる一同。だがその中で、ただ一人だけ――アブトマットは、微動だにしなかった。


「座れ、ウィンチェスター」


 静かに、そして冷たく言い放つ。

 おずおずと椅子へと腰を下ろす若き丞相を見据えながら、アブトマットは続けた。


「ヘンリーは、前王ガーランド様の御子ではない。それだけのことだ」


「それだけのこと、だと……?」


 ウィンチェスターの震える声に、ラハティとカルカノは黙していた。

 だが、その表情には、すでに事実を察した者の色が浮かんでいた。


「……マンリヒャーの小童か」


 そう呟いたのは、ラハティ。

 マンリヒャー家――バーテルバーグ家の名門分家。

 鷹の紋章と『仰ぎ見よ、我らを』の標語を掲げ、東部のプフ城を治める家系である。


 現当主はヨーゼフ・マンリヒャー。その一子、アルメ・マンリヒャー。

 齢三七、王妃専属近衛隊(クイーンズシールド)の長である。

 彼と王妃ツェリスカは、幼馴染として知られていた。

 そしてツェリスカが第一王妃として嫁いだ年、彼は二七歳にして異例の大抜擢を受けた。

 ――剣の才はある。だが、順当にいけば名前すら挙がらぬ立場であった。

 あの昇進の裏に、何かがあったのではないか――。

 そう噂された過去が、今になって鮮やかに甦る。


「確かに……ヘンリー様の容貌は、成長するにつれ、ガーランド様とかけ離れていったのぅ……」


 バーテルバーグ家の血を引く者は、代々黒髪と黒瞳。

 これは顕性遺伝であり、金髪の血を引こうとも、子は必ず黒髪となるはずだった。


 ――だが、ヘンリーの髪は、金。目も、明るい琥珀だった。


 それでも、誰も口には出さなかった。

 長く仕える者ほど、真実に触れぬまま沈黙していた。


「しかし、それを裏付ける証拠がなければ、王位はやはり……」


 ウィンチェスターの声が震える。

 混乱する王国において、王位の空白は許されない。

 だからこそ、慎重に、冷静に――。


「国家の一大事です。従って、ヘンリー殿下の出生を洗い直します。カルカノ殿、ご協力を」


「構いません」


 カルカノが頷いた、そのとき――

 審議の間の扉が、重々しく開いた。

 現れたのは、白髪を湛えた壮年の男。


「失礼。――亡きガーランドが生前に認めた遺言を持参した」


 武人の気配を湛えたその男の名は――

 ピダーセン・フォン・バーテルバーグ。

 ガーランドの叔父にして、現バーテルバーグ家の当主であった。

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