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Ⅰ-22 襲影

 宴は、まさにどんちゃん騒ぎとなっていた。

 国王ガーランドによる激励の言葉は、前線に生きる者たちの胸を強く打ち、目を潤ませる者までいた。

 集まった士官たちは皆、南部の地で幾多の命を見送り、幾度となく死と隣り合わせの任務に就いてきた者ばかりだ。

 そんな彼らにとって、国王直々の言葉は、何よりの栄誉であり、救いであった。

 料理と酒も、格別だった。

 前線での配給糧食とは比べものにならぬ高級食材と銘酒がふんだんに振る舞われていた。

 それらはすべて王都スプリングフィールドから運び込まれたもので、調理を担当する料理人すら王都から随伴してきたという徹底ぶり。

 ここが最前線に程近いフェムだということを忘れさせるほど、宴は貴族の晩餐会のような華やかさに包まれていた。


 ――ラハティがこれを見たら、どれほどの形相になるか。


 そんな想像に思わず微笑みながら、ガーランドは葡萄酒(ワイン)を口に運んだ。

 広間の外は、宴の喧噪とは対照的に、静まり返っていた。

 灯りがあるのは砦の中のみ。外はすでに深い夜の帳に沈んでおり、まるで世界に取り残されたかのような感覚すらあった。


「陛下、そろそろお休みになられたほうがよろしいかと」


 静かに声をかけてきたのは、聖徒騎士団の副長・ルインである。

 この広間の警備を担っているのは聖徒騎士団で、夜の催しということもあり、蛇の知識と戦技に通じた彼が警護責任者を任されていた。

 おそらく、これもアブトマットの采配だろう。的確で、手堅い布陣だった。


「明日からは、各前線への巡視が始まりますので」


 視察の目的は、兵士たちへの激励だ。

 王が前線へ赴き、命の現場で言葉をかける。

 それは、一兵士にとって一生に一度あるかないかの栄誉であり、国王にとっても、彼らの“士気”という無形の資源を高める何よりの手段であった。

 戦場において、最も壊れやすく、そして最も立て直しにくいもの――それが士気だ。


「そうだな。……アブトマットは?」


「明日の段取りに追われております。宴には参加されておりません」


 それを聞いて、ガーランドは静かに息を吐いた。

 ザウエルを出てから、アブトマットとは一度も顔を合わせていない。

 それだけ彼が忙しく動き回っているということだろう。

 強行軍による視察に伴う調整、補給の采配、人員の配置、そして安全確保。

 そのすべてを担う大将軍に、暇などあるはずがない。


「そうか……」


 グラスを卓に置きながら、ガーランドは立ち上がった。


「陛下、ご就寝である!」


 ルインの声が広間に響いたその瞬間、喧噪はぴたりと止んだ。

 右拳を胸に当て、全員が一斉に敬礼する。

 王命であれば、たとえ自らの心臓を刺すことも厭わぬ――そんな意味が込められた、王国伝統の敬礼である。

 酔いの回った者すら、刃のように静かに敬礼していた。

 ガーランドは、その光景に改めて誇りを感じた。


「すまんな、私は先に休む。皆は心ゆくまで楽しんでくれ」


 そう言い残し、彼はルイン率いる聖徒騎士団と共に広間を後にした。

 廊下はひっそりと静まり返っていた。

 足音だけが、硬い石の床を打つ。空気はやや湿り気を帯び、夜の冷気が肌を撫でていく。


「明日の予定は?」


「午前、先遣隊を出発させます。陛下のご出発はその後です。各前線基地への慰問と激励を短時間ずつ回っていただく形になります」


「護衛の構成は?」


「聖徒騎士団、国王専属近衛隊(キングズシールド)、合わせて三十名。指揮は大将軍閣下、フランキ近衛長、そして私の順です」


 その時だった。


 ――ゴオオオオオン……!


 砦の中に、いや、フェム全体にけたたましい鐘の音が響き渡った。

 警鐘。しかも、非常事態を知らせる最も重大なものだ。


「敵襲……だと?」


「警戒態勢!命に代えても、陛下をお守りしろ!」


 ルインの指示に、聖徒騎士団が即座に剣を抜き、陣形を整える。

 全員の動きに一分の迷いもない。まさに、精鋭中の精鋭。

 そこへ、廊下の奥から兵士が血相を変えて駆けてきた。


「伝令!敵、敵襲――ッ!」


 だが、その直後。

 その背後、闇に潜む何かが、四つ足で追いすがる。人間ではない。

 その影が飛びかかろうとした瞬間、ルインが黒刃の小剣(ナイフ)を放った。

 刃は闇を裂き、音もなく影を貫いた。

 その体は、ひしゃげるように崩れ落ちる。

 誰も声を上げず、誰も動揺を見せなかった。すべてが訓練された動きだった。


「数は?!」


「未確認!城壁各所で戦闘が発生中!種族も不明ですが、暗黒種族で間違いありません!」


「広間に戻るぞ。そこを司令部とする」


 戻った広間は、先程までの宴の名残を辛うじて残していた。

 が、中央のテーブルにはすでにフェム全体の地図が広げられており、料理や酒器は無造作に床へと払い落とされていた。

 酔っていた兵士たちも、今は完全武装。

 剣と甲冑をまとい、誰もが戦場の顔になっていた。


「全兵士を叩き起こせ!」


「すでに、完全武装にて展開中!」


 それは、鐘の鳴動と同時に判断し、動いた結果だ。

 恐ろしく迅速で正確。さすがは戦に生きる者たちだ。


「最初の目撃地点は?」


「北門前と、東側外郭です!」


 地図上に指を走らせる伝令の声を背に、アブトマットが広間へ入ってきた。

 完全武装。剣を腰に、兜を抱えている。


「陛下は護衛をつけてお部屋へ。万が一に備えます」


 入るなり発せられた冷静な声。

 すでに彼の頭の中では全ての対応が描かれていた。


「ルイン、侵入しやすい箇所には兵を?」


「配備済み。隠れた動線はすべて封じています」


「フランキ、陛下の護衛を」


「ハッ!」


 ガーランドはルインとフランキに守られながら部屋へと向かう。

 廊下には、血のついた直槍(スピア)を手に走る兵士の姿もある。すでに白兵戦は始まっている。


「気付かぬとは……」


「申し訳ありません。フェムへの奇襲など、想定外でした」


 アブトマットの顔には悔しさが浮かんでいた。

 だが、前線との距離、配置された監視拠点の数を考えれば、確かに奇襲は不可能に近い。

 にもかかわらず、彼らは“すでに中にいる”。


「……今は、どう侵入したかより、どう対応するかが先だ」


「敵の兵力は、おそらく砦を落とせる規模ではありません。すぐに収まるかと。ですが、万が一に備え、陛下は部屋にて待機を」


 ほどなく、王の部屋に到着した。砦の中央、最も防衛に適した場所だ。


「ここを固めろ」


 アブトマットは短く言い、剣を抜いた。


「先に私が入る。陛下は後から」


「分かった」


 部屋の中は、暖炉の炎だけがかすかに揺れていた。

 アブトマットが左手に持つ蝋燭で、照明の燭台に火を灯していく。

 少しずつ室内が明るくなっていき、ガーランドもようやく息を緩めた。


「……事が済むまで、じっと待てというのも酷な話だな、アブトマット」


 軽く肩をすくめてそう言ったとき、ふと、何かがおかしいと感じた。

 いつもと同じ姿。

 いつもと同じ声。

 だが、そこに確かに“何か”があった。


「待つ必要などない、ガーランド」


 ――その瞬間、アブトマットの姿が、真っ直ぐにガーランドへと飛び込んだ。

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