Ⅰ-19 城迎
【2節『フェム事件』開始時の人物相関図】
城と街を隔てる石造りの重厚な城壁――王国南部の守りの要、ザウエル州を象徴するその防壁の内側で、空気が張り詰めていた。
その広場にはモーゼル家の一同が整然と並び立ち、主君を迎える準備を整えていた。
ザウエル城の正門前、どっしりとした立ち姿で中央に立つのは、この地を治める領主ペッター・モーゼルその人である。
陽に焼けた鋼のような肌、二メートルを超える巨体。重ねた年輪に相応しく、威厳と包容力を併せ持つ大男だ。
その風格に違わぬ武勇もまた王国中に知られている。
かつて最前線での激戦において、巨躯の単眼鬼と一騎討ちとなり、その巨体を押し倒して首をねじ切った――そんな荒唐無稽な噂すら、兵士たちは本気で信じている。
だが、そんな逸話とは裏腹に、彼の性格は温和そのもの。豪快な笑い声と懐の深さで、兵からの人望は厚く、家臣にも領民にも“殿”として敬愛されている。
彼の背後には、妻エルマと息子フリッツをはじめとする家族、そして軍務を預かる腹心たちが控えていた。
緊張と誇りを同時にまとった一行の姿は、まさにザウエルの矜持を体現していた。
この城――ザウエル城は、王国建国初期に築かれた最初の外郭を起源とし、以来数度の増改築を経て今の姿となっている。
最も内側に残された旧城壁は、他のどの地方でも見られない重厚な石組みを残し、いまだ現役の城郭として機能している。
それはこの地が、千年王国と呼ばれるこの国のはじまりと、最も過酷な防衛線の記憶を同時に抱えてきた土地であることを物語っていた。
南部に広がるザウエル州は、魔王軍との戦いにおいて重要な意味を持つ。
前線に程近く、物資の供給・再分配を担う中継地点であり、全ての軍事物流は一度この城の城下を経由する。
各戦線からの要請は、前線司令部フェムで集約されたのちザウエル城へと送られ、ここで補給部隊が編成され、再び前線へと向かう。
そのため城下町には軍関係の施設が集中し、兵士の数も多い。加えて軍人相手に商売を営む商人や職人も多く、城下は常に活気に満ちている。
人口規模では、南都ゾーンに次ぐ南部第二の都市。だが、こと軍事の要衝という点では他の追随を許さぬ規模と機能を誇る。
この地を任されたモーゼル家の責任と誇りは重く、それ故にこそ、ペッターは今日この日の主賓を迎えるに際し、並々ならぬ覚悟をもって整列していた。
「閣下と会えたか?」
ペッターが隣に立つ息子、フリッツに問うた。
短く、だが声音には穏やかな期待が滲む。
「はい。叔父上のご計らいで、陛下への御目通りも果たせました」
フリッツは背筋を伸ばし、はっきりと答えた。
まだ十代半ば、あどけなさを残す表情ながら、その瞳は強い意志をたたえている。
「陛下の前で粗相などしなかったであろうな? ……それと、閣下を“叔父上”と呼ぶのはもうやめなさい」
穏やかだが、領主としての矜持を込めた声。
フリッツは口をつぐみ、一拍置いて答えた。
「粗相などしておりません。それに……叔父上はそのままで構わぬと仰ってくださいました」
「はぁ……だが、それでは他の諸侯に示しがつかん。礼節を重んじるのも騎士の務めだぞ」
「……はい」
頷きながらもどこか納得いかぬ様子で肩を落とすフリッツ。
その姿を見て、ペッターはふっと口元を緩めた。
ぶ厚く温かい手でフリッツの頭をわしわしと撫でる。
フリッツは顔をしかめるが、すぐに目を細めて笑った。
「もう少しで陛下がご到着なさるのよ? じっとなさい、見っともない」
鋭い小言が飛んできた。
声の主はペッターの妻エルマ。整った面立ちに気品を湛えた婦人であり、かつて南都ゾーンの名門ルドウィック家から嫁いできた。
厳格な貴婦人であるエルマは、夫にも息子にも容赦がない。
特にまだ少年らしさが抜けぬフリッツに対しては、時に姉のように、時に女王のように叱責を与える。
だが、それがモーゼル家という家を支える“芯”であることを、ペッターもフリッツもよく分かっていた。
「そろそろだぞ」
ペッターが小声で言うと、遠くから馬蹄の音が響いてきた。
騎兵に囲まれた一団が、徐々に城壁の門をくぐって姿を現す。
その中心にいるのは、青と金の王国紋章を胸に抱いた若き騎士。
国王――ガーランド・フォン・バーテルバーグ・ツー・スプリングフィールドの姿だ。
その瞬間、ザウエル城の広場に整列していた全員が一斉に膝をつき、深く頭を垂れた。
ガーランドはペッターの前で馬を止め、近衛兵が踏み台を差し出すよりも先に、軽やかに鞍を降りる。
「皆の者、頭を上げよ」
静かでありながら、よく通るその声に、兵たちは揃って立ち上がる。
「ようこそ、我がザウエル城へ――国王陛下」
ペッターが深く頭を下げ、堂々とした声で迎え入れる。
「久しいな、ペッター殿。十年ぶりか?」
「そうですな……戴冠式以来でしょうな」
ガーランドは微笑を浮かべると、腕を伸ばしてペッターと固い握手を交わした。
二人の間に言葉以上の信頼があることが、握り合う手の力強さからも感じられた。
「少し……太ったのでは?」
「ガハハハ! 年には勝てませぬよ」
二人は笑い合い、まるで旧知の戦友のように並んで城門の奥へと歩き出した。
その背を見送りながら、城の空気はふと、静かに熱を帯びはじめた。