Ⅰ-18 出立
「陛下! 折角馬車を用意したのですぞ!」
馬に跨ろうとするガーランドの背後で、フランキが慌ただしく駆けてきた。
日はすでに高く、ついに王が王城を発つ時が来たのだ。
行軍自体は予定通りに進んでいるが、この大規模な出立では、最後尾が城門を抜ける頃には夕暮れになっていることだろう。
「よい。私は皆と共に馬に乗りたいのだ」
「またそのような我儘を!」
「馬車の揺れはどうにも好かん。馬上の風の方が心地よい」
そう言って、ガーランドは愛馬に軽やかに跨った。
もはやこうなっては聞く耳を持たない。
フランキは困り顔でアブトマットを振り返る。
アブトマットは苦笑を浮かべて二度頷くと、フランキは溜息をついて自分の馬へ戻った。
「陛下、道中はご自重ください。丞相からも早いご帰還をと念を押されております」
アブトマットは王と並び、声を低くして忠告を投げる。
「分かっておる。私とて遊山のつもりではない」
「……そのお言葉を聞けて、安心いたしました」
アブトマットは手綱を握り直し、振り返って声を張る。
「出立する! 前進!」
四列の騎兵たちが、蹄の音も整然と、ゆっくりと動き出す。
†
南部戦線の司令部が置かれているのは、フェムという街だ。
とはいえ“街”とは名ばかりで、実際は前線基地である。
兵士たちの駐屯地であり、主に文官や伝令で構成される要地だ。
フェムの背後にはもはや防衛線らしい城壁はなく、ここが最終の防衛拠点となっている。
さらに七〇キロ南下した地点に点在する前哨の砦群が、実質的な最前線だ。
王都からフェムまでは四五〇キロ。行軍予定は九日間。
つまり、一日平均で五〇キロという早いペースで進まなければならない。
これを実現できるのは、行軍がほぼ全て騎兵によって構成されているからだ。
できる限り短期間で視察を終える。
それがガーランドの意向であり、同時に政務負担のための苦肉の策でもある。
加えて今回の行軍には、護衛だけでなく前線への補充兵も含まれている。
別途で補充部隊を送るよりも、王の行軍に便乗させた方が軍費が抑えられるからだ。
出立から三日目の今日、列の中ほどに一騎の騎馬が逆走してくる。
「叔父上!」
傷一つない光沢のある板金鎧を纏った若者が馬を操っている。
兜を鞍にかけているため、顔がすぐに見えた。
「……フリッツか」
「叔父上! どうどう……」
馬を落ち着かせながら、アブトマットの馬に並ぶ。
騎馬に不慣れな様子はあるが、思いのほかよく制している。
「大きくなったな。馬の扱いも上達している」
「ありがとうございます! 一日も早く前線へと志願できるよう、日々鍛錬しております!」
フリッツ・モーゼル。
ザウエル城主ペッター・モーゼルの嫡男にして、まだ十四歳の若者だ。
シグ家に仕える名門の家柄ではあるが、アブトマットとの血縁はない。
それでもフリッツがアブトマットを“叔父上”と呼ぶのは、慕いの証だ。
「今年で十四か。……前線に出るには、まだ少し早い気もするがな」
「いいえ! 十五になれば成人、すぐにでも志願する所存です!」
王国では十五歳で成人とみなされる。
貴族の子息であれば、成人の儀を経て長剣を贈られることが通例であり、帯刀の許可もそこからだ。
フリッツの鎧は誂えたばかりの板金鎧で、まだ身体にはやや大きい。
剣も帯びてはいない。今は、ただの少年に過ぎない。
「焦るな。戦は逃げはせん。勇者がいない以上、魔王軍が消えることもないのだから」
「だからこそ、です! 陛下の御前で、王国の為に戦いたいのです!」
その目に宿る決意は、まさに南部の青年そのものだった。
この地では貴族も平民も、戦場に出ることを当然とする文化がある。
成人即志願は常であり、時にそれは名誉でもあった。
「……ところで、陛下の受け入れ準備は整っておるか?」
「はい! 父上が万端、整えております!」
今日の宿はザウエル城。
ザウエルの城門内に全軍が収まるにはまだ数時間かかるが、夕方には揃う予定だ。
「お前も手伝わねばならんぞ。ペッターの跡を継ぐ者なのだから」
「その父上の命により、こうして先行して参りました!」
アブトマットは苦笑する。
フリッツを可愛がるペッターの姿が、目に浮かぶ。
「せっかく来たのだ、陛下に顔を見せてこい」
「本当ですか!?」
「あぁ。お前に嘘など言わん」
嬉しさに顔を赤く染めるフリッツと共に、アブトマットは隊列を少し離れた。
ガーランドがこの場所に来るまで、しばし道端で談笑するのであった。
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次回から次節『フェム事件』が始まります。
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