第一話 狐の神様
こんな妄想をしたことはないだろうか?
玄関の扉を開けたら、一人暮らしのはずなのに、自分好みの知らない人がいて、手料理が用意されていて。
「おかえり!」
と、声をかけてくれて。
混乱しながらも、それを受け入れて。
満員電車に揺られながら、桃宮 心はそんな非日常を脳内で描いていた。
今年20歳になる彼は、高校卒業と共に家を出て、会社で働く正社員である。
変わらない日常と、溜まっていく疲労。
彼の中にある幼い心は、非日常を求めていた。
(・・・でも、変わらないこの日々が、一番の幸せなんだろうなぁ)
と、心の片隅で思いながらも。
■
それは会社の最寄りの2、3つ前の駅で起きた。
(・・・気のせいかな、さっきからお尻に手が当たっているんだよな)
満員電車だから当たってしまっている、ではなく、あからさまにその手は尻を撫でていた。
ココロは白髪青目の男性だが、身長が平均より低く、またその体つきは細く、見た目も少し女性のような顔立ちをしている。
故に、度々女性と間違われることが多かったのだが・・・
(こんな形で間違われたくなかった・・・!)
概ね女性をつけ狙った犯行だろう、それに巻き込まれてしまったのである。
その手つきはエスカレートしていき、次第に揉みしだくような形になり、背中からは荒い吐息があふれているのが分かる。
(うぅ・・・気持ち悪い・・・)
早くこれが終わることを願いながら、駅に着くのを願いながらひたすらに待つ。
この閉鎖空間の中、彼は声を上げることもできない。
ふと、手の主らしき人物の顔が、耳元まで近づいてきた。
横を向くことが、できない。
その人物は耳元で囁いた。
「君のような男の子、僕はだぁいすきだよ・・・次の駅で、一緒に降りようね・・・」
「ヒッ!」
声にならない声を上げてしまう。
女性をつけ狙っていたのではない、僕のような男を傍から狙っていたのだ。
(こんな非日常は嫌だ・・・!)
ココロは心の中で叫んだ。
(誰か・・・助けて!)
■
バチィッ!
大きな静電気のような音が鳴り響き、手の主はその手を離した。
「いてぇっ!何すんだ、この!」
その時、電車はちょうど駅に着く。
ココロは手を挙げて勇気を振り絞る。
「この人!痴漢です!!」
■
深夜の電車の中、ココロは散々な一日について振り返っていた。
(痴漢とか初めてされた・・・最悪だよ。まさか自分がターゲットになる日が来るなんて・・・)
あの後、ココロと手の主は取り調べを受けることになり、会社には大幅な遅刻をすることに。
遅刻理由を話しても、上司には取り合ってもらえず、逆に怒鳴られる事態に。
そりゃあそうだ、男が男に痴漢されましただなんて信じてはもらえない。
(同僚がケアしてくれたからまだよかったけどさ・・・それにしても・・・)
取り調べの中、手の主は言っていた。
「こいつ!スタンガンを忍ばせてやがったんだ!確かに俺は痴漢したが、こいつはそれを逆手に俺にスタンガンで暴行したんだ!間違いない!電気のような大きな音も電車の中で鳴り響いていたぞ!」
もちろん、そんなものは持ち歩いていないので、身体検査をしてもらい、身の潔白を証明してもらうと、手の主は怒りと困惑半々といったところだった。
でも確かに、その電撃のような音をココロも聞いていた。
(静電気?それにしては大きすぎる音だったな。誰かが助けてくれた・・・?いや、誰も気づいていない様子だったし・・・)
そんなことを考えていると、最寄りの駅に着いた。
ココロは歩きながら、今日のことについて振り返っていた。
(結果的に残業することになったし・・・って、それはまぁいつものことだけど
転職も視野に入れるべきかな)
痴漢から転職へ、思考が移り変わる。
彼の悩みは尽きないのであった。
■
アパートの階段をのぼりながら、彼は一日の終わりに安堵する。
深夜0時、彼はこれから風呂に入り、手料理を作り、晩酌を楽しみ、週末を謳歌するのだ。
(会社から解放されるこの瞬間が、何よりも最高なんだよね)
そう思いながら、玄関の扉を開ける。
ガチャ
「おかえりなさい!」
数秒の沈黙の後、扉を閉める。
(間違えたかな)
部屋番号を確認するも、間違いなく202号室。
そもそも鍵が合致した時点で自分の部屋なのは間違いないだろう。
あれは誰だ?
耳の生えた、巫女服のような恰好をした、ココロよりもずっと身長の低い子供。
間違えて入り込んだ?警察を呼ぶべきか?
様々な思惑がココロの脳内を駆け巡る。
とにもかくにも、家の中に入らなければ話にならない。
恐らく、害にはならないだろう。
一日に二度も警察のお世話にはなりたくない。
ココロはそう思いながら、玄関の扉をまた開ける。
「ちょっと!なんで閉めるんですか!」
間違いなくそれはいた。
ココロと同じような白髪で、狐のような耳と尻尾を生やしている。
身長は小学4年生くらいだろうか?
赤と白を基調とした半袖の巫女服は、あばら骨のちょっと下あたりで途切れており、
大胆にもお腹を露出している。
袴は膝上あたりで途切れており、ズボン型だ。
そして間違いなく、その赤い目はココロを見つめていた。
「・・・君は、誰?」
ココロがそう言うと、彼?はハッとした顔をした。
「失礼しました!僕の名前はイナリです!
ずっとあなたを探していました!」
「ずっと、僕のことを・・・?」
イナリと名乗る少年?は続けて話す。
「はい!自己紹介が遅れてすみません!
改めて!僕は狐の神様、イナリです!
ずっとあなたのことを探していたのですが、今朝助けを求めるあなたの叫びに呼応して、
ようやく見つけることができたんです!」
神様を名乗るイナリは、尻尾を大きく振りながらしゃべる。
「・・・神様だなんだっていうけど、僕にはただのコスプレした子供にしか見えないよ?」
「そう思うのも無理はないですよね・・・
でも見ててください!」
イナリはそういうと、玄関に飾ってあったクマの置物を指さし、それに触れずに自在に動かし、破壊した。
そして、それをいともたやすく修復した。
「ちょっとは信じてもらえましたか?これが念動力ってやつです!」
「あ、ああ・・・」
目の前の非日常に、戸惑いを隠さずにはいられない。
「ここで話すのはなんですから、どうぞ中へ!
手料理も作ってありますからね!」
まるで他人の家に招かれるように、自室へと足を踏み入れた。