さよならのプロポーズ68
「その髪飾り、坊っちゃんがくれたんだっけ」
塞ぐ純鈴に、ヤブキが不意に髪飾りに目を留めて声を掛けた。
「…はい」
「今日は、ランタン祭りだって知ってた?」
「はい、崎元さんが教えてくれました。いい人ですよね、連絡くれたら迎えに行くって言ってくれましたよ」
「はは、言いそうだな、あの人」
それから、ヤブキは不意にそっと目を伏せた。
「本当に良いの?」
「…何がですか?」
「俺も、ヤチタカの人間だから分かるんだ。俺達は、普通の人とは普通の人生を歩めない。生きる時間の長さが圧倒的に違うから、住む場所を転々としなきゃいけなくなる。コウシさんや、迅の祖父さんの例は本当に稀だよ。きっと坊っちゃんは、純鈴ちゃんを大事にしたかったんだよ、幸せになってほしかったんだ」
その言葉に、スミレは拳をぎゅっと握った。
「大事なんて、側にいてくれなければ大事にされてるかどうかなんて、こっちは何も感じません。こんな人を苦しめておいて、一言もなしに隠れてるなんて、大事にしたいが聞いて呆れますよ!」
一気にまくし立てる純鈴に、ヤブキはきょとんとして、それからおかしそうに声をあげて笑った。
「坊っちゃんは愛されてるなー」
「…私の事、笑ってますか、あんなに嫌ってたのにって」
恐らくヤブキは、純鈴がランからのプロポーズを断り続けていた事を知ってる。そう思って言ったのだが、やはりその通りだったようだ。ヤブキは、いやいやと笑いながら首を振り、それから得意気に笑顔を見せた。
「愛しあってるなら、二人は一緒にいないとね」
ヤブキの肯定的な言葉に、純鈴はきょとんとしてヤブキを見上げ、それから恥ずかしいやら嬉しいやらで、焦って視線を彷徨わせた。
その様子を見て、ヤブキは軽やかに笑い声を上げた。
「今年も、一緒に飛ばそうね。崎元に言わなくても、俺が人数分のランタン用意しとくから」
「ヤブキさんは、願い事決まってるんですか?」
「勿論!来年も、我らが王子がランタンを飛ばせますようにってね」
おどけた言葉に笑って、純鈴は頷いた。この坂の上に、ランがいる。
ランに、会える。
車一台が通れるような山を登ってくれば、やがて広い敷地に出た。そこには、ガラス張りの二階建ての一軒家があり、デザイナーズ物件なのだろうか、山の中にあるには不釣り合いとも思えるお洒落な建物に、純鈴は暫しぽかんとしてしまった。
これを時谷の創業者が建てたのだろうか、だとしたら随分前衛的だ、もしかしたら一度建て直しているのかもしれない。
建物の横にはカーポートがあり、古いイタリアの車、アルファロメオが停まっていた。
「ここが?」
「そう、俺は昔からあちこち行ってたけど、坊っちゃんはそういうのがあまり…いや、敢えてしなかったのかもな。色々枷を背負ってたから、ずっと考え込みながら生きてたみたいだ」
「…そうだったんですね」
この山の中に閉じこもって、ずっとヤチタカを思って生きてきたのだろうか、自分の未来ではなく。
「屋上に上がると、遠くにヤチタカの島も見えるんだよ」
「…あの、他のヤチタカの人もここへ?」
「たまーにだね。最近はほとんどないよ。今は昔ほどヤチタカを追う人間もいなくなったから、全世界に転々としてる。裏のネットワークがあってさ、関係者に連絡取るのも結構大変なのよ」
「世界にも散ってるんですか?」
「うん、パスポートとか作るのも大変でさ。協力者と海を渡るにしても、身分証は必要でしょ?スパイとかこんな気分なのかなって、偽造する時はいつも思うよ」
もしかして、勝手に婚姻届を書いて出したのはヤブキだろうかと、純鈴は疑惑の眼差しをその背中に向けた。
「それに、ヤチタカの人間同士は、あまり一緒にいない方が良いからさ。お互いの安全の為、バレた時のリスクは少ない方が良い。確か…今は百人前後くらいいるんだったかな。それでも年々減ってきてるけどね」
「え、」
「死は俺らにもやって来る、当たり前の事だよ」
「…でも、語れる人が減ってるって事でしょ?」
ヤチタカの歴史を、ヤチタカがあった事を。そう言う純鈴に、ヤブキは目を丸くした。
「…君は優しいね」
それからヤブキは目を細め、少し寂しそうに微笑んだ。表向きは、ランの行動とヤブキ達の尽力で、ヤチタカの歴史は終わったのかもしれない。
いつかは消えていくヤチタカの血。その血を受け継ぐにも、ヤチタカの人間同士でなければ、純粋なヤチタカの体質は生まれない。更には、ヤチタカの木の実も高屋にしかない、島も焼け野原になれば、ヤチタカの体質はここで本当に途絶える事になる。
ヤチタカの真実は受け継がれない、真実を隠した伝説だけが、この後も囁かれ、もしかしたら、その歴史自体も失われてしまうのかもしれない。
そこに生きた人々も、非道な行いも、全て。
ヤチタカの全てが、初めからないものとされる。
「それが、ヤチタカの運命。それが、ランの決めた道だよ。誰も反対してない」
故郷を失い、辛いのはヤブキの方だろうに、ヤブキは純鈴を慰めるように優しく言った。その気遣いに、感謝と申し訳なさを感じながら、純鈴はそっと、その思いに今は蓋をした。
それからヤブキは、気を取り直すように、車の中からジャンパーとキャップを取り出すと、純鈴の頭に被せた。
「純鈴ちゃんには申し訳ないんだけど、これ着てくれる?」
言われてジャンパーを広げると、“たきみでんき”とロゴが入っている。時谷とは関係の無い、業者のユニフォームのようだ。
「…これは?」
尋ねると、ヤブキは工具箱を手にしている。
「電気修理の業者の振り。坊っちゃんには純鈴ちゃんが来る事言ってないからさ、いきなり会わないと、多分逃げると思うんだよ。だから、それ着て顔隠してついてきて」
「…あの、三神さんは?」
「大丈夫、迅はこっちの味方だよ。中に居ると思う、さっき連絡入れといたからさ」
ぽんと肩を叩かれ、純鈴は少しほっとした。迅相手に対峙しても、簡単に摘まみ出されておしまいだ。
そして、純鈴はいざ、時谷の別荘の内部へと足を踏み入れるのだった。




