さよならのプロポーズ67
「あの島にいた医者は、ヤチタカの人間を何人も診てる医者だ。坊っちゃんの体は、外も中も想像以上にぼろぼろで、五体満足だったのが不思議なくらいの外傷でさ、内臓の損傷も激しいみたいだった。とにかく出血を止めて、傷を縫ってって治療をしてくれたけど、ヤチタカの体の自己治癒は、普通の人間と違うから、下手に手を出すと、その治癒の邪魔になる可能性もあるんだ」
「じゃあ、…何も出来なかったの?」
「それでも、ヤチタカの専門医みたいな人だからね、出来る事をしてくれた。それでも、目を覚ますのに三ヶ月かかったんだ、こんなの初めてだよ。目を覚ましたから良かったけど、もし目を覚まさなかったら、坊っちゃんは寿命がくるまで眠り続けたかもしれない」
そんな状態だったとは思いもよらず、純鈴は戸惑いにシートに背中を預けた。命があれば良いと思っていたが、それだけで済む話ばかりではない。
「今は、大丈夫なんですか?普通に生活出来てるんですか?」
不安に尋ねる純鈴に、ヤブキは安心させるように頬を緩めた。
「元気だよ、体はね」
含みのある言い方が気になったが、ヤブキは言葉を続けた。
「本当はさ、坊っちゃんが目を覚ましたら純鈴ちゃんに言おうと思ってた。でも、あいつが言うんだ、純鈴ちゃんにも何も言うなって、このまま自分は死んだ事にしてくれって」
「どうして?そんなに私の事が、」
「違うよ、巻き込みたくないんだって。これ以上、傷つけたくないんだって」
「…それこそ今更じゃないですか」
何をそんな事と、純鈴が脱力したように言えば、ヤブキは苦笑いハンドルを緩やかに切った。
「まぁね。でも、目の前で怪我をして、それも自分を庇ってさ。その時思ったって。純鈴ちゃんは、何かあったらまた自分を庇うだろって、守ろうとするって。それに一度死んだ身なら、このまま消えた方が、純鈴ちゃんの為だって」
「そんな馬鹿な事言わないで下さい!」
憤慨して再びシートから体を起こした純鈴に、ヤブキは笑った。
「坊っちゃんに、それを言ってほしい。俺達が何を言っても聞かないんだ、それに怖くてさ。俺達が無理に何かしようとすれば、今度こそあいつがいなくなりそうで」
赤信号に差し掛かり、ヤブキは車を停止させると、「だからさ」と、純鈴を見つめた。
「頼むよ、ランを引き止めてほしい、この世界に」
まっすぐと切に願う瞳が、純鈴の胸を震わせた。何ができるか分からないが、ランが生きてる、それだけで未来は明るく染まる。
この道の先にランがいると思えば、きっとどんな事だって出来る気がする。
その為には、ランがいないと。
純鈴もヤブキも、このままでは明日なんて一生こない。
ランの手を今度こそ離さないと、純鈴は決意を持ってヤブキに頷いた。
車は進み、十字路に差し掛かった。右手を向くと、高台への坂道が見える。
「この坂の上にお屋敷があるんだ、坊っちゃんはそこにいる。俺と迅も、坊っちゃんが心配で、そこで寝泊まりしてるんだよ」
だから社員寮に帰らなかったのかと、純鈴は納得した。
「でも、連絡がつかないのは、どうしてだったんですか?」
「坊っちゃんが嫌がるんだよ、俺達が誰かに自分の事話してないかってさ。全く、信頼ないよな」
ヤブキは苦笑うが、ランは神経質になっているみたいだ。
それも仕方ないのかもしれない、故郷を自分の手で壊して、その上、最後のヤチタカとして触れ回っている自分が生きていたと知れたら、またヤチタカを暴こうとする人間が現れないとも限らない。
ランはまた、空気のない場所で息をして過ごす覚悟なのだろう。
坂道はやがて山道へと続いた。
お屋敷は山の上にあるらしく、車は細い山道を進んでいく。車一台ようやく通れるような道もあり、純鈴はひやりとしたが、ヤブキの運転は慣れたものだった。
「あの、お屋敷って、ランさんの持ち家なんですか?」
「いや、時谷の創業者のものだよ。別荘だったんだ」
「…こんな山奥に建てたんですか?」
自然や山が好きだったのだろうか。
「ヤチタカの人間を匿う為に建てたからね。昔は匿うのにも限界があってさ、ほら、今は誰もヤチタカを知らないけど、当時はまだ知ってる人も多かったから。だから、人目から避けるのも結構難しくてさ、それなら人目につかない山の中だって。あの人、山好きの変わり者って認識されてたから、周囲の人は誰も不思議に思わなかったんだよ」
ちょっと極端だよねと、ヤブキは笑った。
からかい口調だったが、時谷の創業者をあの人と呼ぶ声には、親しみがこもっている。
純鈴は頷いて聞きながらも、改めてヤチタカの人々の命の長さを目の当たりにした思いだった。
「前社長になってからは、ヤチタカの研究室として使ってたからさ。坊っちゃんが出入りしてもおかしくないように、ヤチタカの研究者って名乗って、暫くはそこで暮らしてたんだよ。前社長が亡くなるまでね。鍵はあったけど、さすがに家主がいないのに、出入りして怪しまれても困るしさ」
今は、ヤチタカの研究の為に再び使わせて欲しいと頼み、時谷の親族に断りを入れて使わせて貰っているという。信一が知らなかったのは、単純に信一が意識を向けなかったのもあるだろうが、別荘を管理していた親族には、黙っていてくれないかと頼んでいた。その親族も、ヤチタカには良い印象がなかったようで、別荘の管理から手を引けるなら、断る理由もなかったようだ。わざわざ信一に言う事もないというか、関わりたくもなかったのかもしれない。
「それからどこへ…?」
「その後は、大苑を頼ったり、ヤチタカの仲間に会いに行ってたけど、その間にコウシさんが亡くなって、信一がおかしくなってるって噂を聞いたんだ。だから、ヤチタカを守る為に時谷に戻って、信一に会いに行ったんだ。迅とは昔からの知り合いだったからさ、迅も協力してくれるって話だったから、暫くは三人で迅のマンションに住んでた。それで決めたんだ、ヤチタカの歴史を終わらそうってさ」
「簡単には答えが出せなかったけどね」と、顔を伏せた純鈴を気遣ってか、ヤブキは敢えて明るい口調で言った。
仲間の死に別れを告げる事も出来ず、今度は島を守る為に心を奮い立たせてなくてはならない。きっと辛かっただろうと、彼らを思うと純鈴は言葉が見つからなかった。




