さよならのプロポーズ62
そんな未来があったら、どんなに良いだろう。
一先ず試作品は、再検討となった。何もしないとまた塞ぎ込んでしまいそうなので、宿題があるくらいが丁度良いのかもしれない。
車で送るという深悠には断りを入れた。今日はゆっくり歩いて帰りたい気分だった。
「迎えに、か」
ひとりごち、何かが引っ掛かる気がして、純鈴は頭を悩ませながら少しだけ遠回りをした。向かったのは、あの公園だ。
ベンチを見れば、あのベンチで一人踞っていた時の事を思い出す。
深悠に失恋した夜と、家を飛び出した幼い頃。
“…迎えに来たよ”
二つの記憶、その口元が重なった気がして、純鈴はどっと胸を震わせた。
「…あれ?」
重なる筈がない、幼い頃、純鈴を迎えに来たのは深悠だし、ランとは出会ってもいない。
公園では子供達が駆け回り、楽しそうな笑い声で溢れている。その光景をぼんやり眺めながら、純鈴は騒がしい胸の予感に、落ち着かない思いを抱いていた。
出会っていないのだろうか。
義父のコウシはランの護衛をしていたし、大苑は古くからヤチタカを守ってきた家の一つだ。
あの時、幼い純鈴を迎えに来たのは、本当に深悠だったのだろうか。迎えに来てくれた事に安心から眠ってしまい、目を覚ました時、深悠が隣にいた。深悠も、迎えに来たのは自分だと言っていた。
でも、どうにも引っ掛かる。手を差し出してくれた時はどうだっただろう、思い出そうとしても、上手くその顔が思い出せない。
深悠に聞こうかと思いかけ、純鈴はその思いを止めた。
子供達の笑い声が風に乗り、見上げた空が茜色に染まっていく。どこからか風船が飛んできて、遠くの空に吸い込まれていった。
消えていく風船を見つめ、純鈴はランタンを飛ばした夜の事を思い出した。ランは、あのランタンに何を願ったのだろう。ヤブキからの願いを飛ばしたと言っていたが、その願いは届いたのだろうか。
「…あ、」
純鈴は突如沸き上がる思いに、ぎゅっと手を握りしめると、それから引きずる足を懸命に動かして、家路を急いだ。
深悠に真相を聞いたところで、何も解決しない事に気づいた。この思いは何も変わらない、ランに会わなくては前になんて進めない。
待ってるだけじゃない、自分からランに会いに行くんだと。その命がどうなっていたとしても、自分から会いに行かなくては何も進めない事に、ようやく気づいた。
そして店に帰ると、花純に相談を持ち掛けた。
次の店の休みに出掛けたい場所があると。
それを聞き、花純は心配そうな表情を浮かべた。
「…誰と行くの?まさか一人で行く気?それなら、母さんも着いて行く」
どこに、ではなく、誰とと聞く辺り、花純は純鈴が何を思っているのか検討がついているのだろうか。純鈴が行動を起こすとしたら、店の事かランの事しかない。
「大丈夫だよ、ヤブキさんか迅さんに連絡取ってみる」
「連絡取れるの?深悠君だって、今はこっちから連絡取れないって言ってるのよ?居場所だって教えないって言うし」
仕事場は分かっているが、ヤブキ達が住んでいる場所は、何故か教えたがらなかった。それが不思議ではあったが、純鈴もランへの思いでそれどころではなかったので、今まで考えもしなかった。
二人は、まだ何か隠しているのだろうか。
「駄目なら、時谷の社長に聞いてみる」
「え?」
「あの二人は一応、時谷の下で働いてるでしょ?もし何か口止めされてる事があっても、社長なら教えてくれると思う。ほら、負い目あるじゃん」
簡単に動かせない足を、純鈴はぽんと叩く。負い目があるなんて、ただの軽口だ。それでも、冗談が言えるまでになった。信一の弱味につけこんで追及しようなんて、ふてぶてしさも戻ってきた。
その先に、ランの姿が見えたからだ。また一つ、知りたいと思う事が増えて、それは出来ればランの口から聞きたい。例えランがこの世界に居なくても、それをこの目で確かめるまでは、諦めたくない。
純鈴は、あれ以来ヤチタカの島に行っていない。純鈴は、まだランの伴侶だというのに、勝手に諦めて落ち込んでいた。そうじゃないと否定しながらも、きっとこの世にランはいないんだと、勝手に絶望していた。確かめてもいないのに。
もしそうだとしても、遺骨の一つでも拾わなくては、それまでは、このまま前になんて進めないんだと。
気持ちを新たにした純鈴は、あの塞ぎ込んでいた日々が嘘のように、まっすぐと花純を見つめる。その瞳の強さに、花純は困った様子で眉を下げた。
「全く…逞しく…違うわね、純鈴は昔からそうだったね。でも、あの社長と話せる?」
「大丈夫だよ、あの人は怖くないから」
母を安心させようと、そっと表情を緩める純鈴に、花純はもどかしいように表情を歪め、純鈴の体をぎゅっと抱きしめた。
花純にとっては、信一はこの先ずっと信用ならない相手なのかもしれない。純鈴の足は、もうこれ以上良くならない。その傷を負わせたのは、理由がどうあれ信一で、それでも信一を許しているように見える純鈴が、母としては気持ちの整理がつかないのだろう。恐怖を抱いてもおかしくない、トラウマを抱えてもおかしくないのに。
それは、ヤチタカの島へ行くのも同じだ。あんなに遠い島で、また怖い目に遭ったら、傷つくような事があったら、すぐに駆けつける事は出来ない。それでも、純鈴は行くのだろう、守る腕から抜け出して。
それが、純鈴にとっては通らなくてはならない道でも、母は心配で不安でたまらないのだ。
「…母さんの方が怖くてしょうがないわ」
花純は鼻をすすりながら、それでもいつものように、せめて重く受け止められないようにと、可憐な少女のような口振りで言う。
純鈴を気負わせないように、母は毎日を変わりない姿で接してくれていた。花純が涙をこぼしたのは、病院で目を覚ました純鈴を抱きしめた時だけ。あれ以来、母の涙を見ていない。塞ぎ込んだ純鈴に変わって、花純は毎日店に立ち続けた。ころころと笑う声、花が咲くような笑顔で、純鈴に接していた。花純だって辛かっただろうに、それでも。
随分心配させて、迷惑を掛けてしまっていたと、純鈴は改めて思い知り目を伏せた。
「…ごめんね、こんな事になって」
自分はまた、勝手に行動しようとしている。だが、花純がそれを咎める事はなかった。
「ううん、純鈴に心配ばかりかけてたのは、母さんの方だった。母さんも強くなる、この店を守れるくらいにね。まだまだ歳には負けないわよ」
花純は笑って顔を起こすと、目の前の純鈴の涙を拭い、それから自分の頬を拭った。
「大丈夫。母さんだって、純鈴のレシピのおかげでコウシさんのあんこ作れるようになったし、店は母さん守ってるから、純鈴は何日かかってもいい、ちゃんと気持ち伝えてきなさい」
出掛ける場所も理由も話していないが、花純はやはりランに会いに行くと気づいていたようだ。そして、花純は気持ちを伝えてこいと言う、気持ちに整理をつけてこいでもなく、伝えてこいと。
ランがまだ生きてる可能性を否定しないでいてくれる母に、その心強さに、純鈴は泣きそうになりながら、ありがとうと頭を下げた。




