さよならのプロポーズ61
純鈴が気丈に振る舞えたのは、その時くらいだった。
家にこもり、ランから貰った髪飾りを取り出しては、時間が別れの時に巻き戻ってしまう。ランがいない事を認めようと思っても、心は反発して、それでも現実は変わらない。ヤブキ達に会う度にランの事を聞いては、何も情報が得られず顔を伏せる日々だった。
ヤチタカの島についてだが、近くの島のみならず本土にも火災は伝わった筈だが、ニュースにもならなかったようだ。降り続けた雨により徐々に火は鎮火され、島は一部を残し、ほとんどが焼け野原になったようだと、ヤブキからの連絡を受けて深悠が教えてくれた。
迅はヤチタカの島を出た後、本土には戻らず近くの島に残っていた。島の状況を確認出来たのは、ヤチタカを知る仲間が、ヘリコプターを飛ばしてくれたからだという。
政府が絡み、暗黙の了解が引かれたその島は、島一つ焼けても、ネットも新聞もテレビも触れない。近くの島民すら、未だに触れるのも憚られる神の島。
だが、全ての国民がヤチタカを知らない訳もなく、静清のような研究者もいる。暗黙の了解だって、破ろうとする者が出ないとも限らない。
ヤブキはランの指示通り、ヤチタカの島も生き残りと呼ばれる人間も全て消えたと、嘘の情報を流す事に奔走していたという。
自然発火は無理があるかもしれないが、疑惑を持ちながらも、それに対して口を突っ込む者はいないようだった。
またいつ、信一のような思いを持った人間が現れるか分からない。ヤブキの命も、その他のどこかに生きるヤチタカの生き残りの人々も、ランのおかげで、これで少しは安心して暮らせるようになるだろうか。
***
話は再び一年後、現在に戻る。
純鈴は足を引きずりながら、厨房に立っていた。医者が言っていたように、純鈴の足は、今まで通りに動かす事が出来なくなっていた。歩けない訳ではないが、常に片足を引きずる状態だったが、大分この生活にも慣れた。
花純もすっかり職人の姿が板につき、母子で変わらず高屋の営業を続けている。
先月、ヤブキから迅と共に島に上がったと連絡を受けた。そのほとんどが焼き尽くされ、あの美しい泉も干上がっていたというが、泉のあった場所からは若葉が芽吹いていたという。
迅は、撃たれた傷もすっかり癒え、ヤブキや時谷の社員と共に、ランタンを飛ばした港町で、表向きは観光業に携わりながら、ヤチタカの島を守る活動を行っている。信一は、純鈴との約束をしっかり果たしてくれていた。時谷の創設者と同じように、島も秘密も失われたが、それでも今度こそ誰も傷つかないようにと、あの島を恐れるのではなく、島がまた生きるのなら、その再生を純粋に見守りたいと思っているようだった。
信一の娘も、まだ命を取り留めている。娘の病気と再度向き合い、治療法を、少しでも共に生きられる道を探しているという。ヤチタカへの執着は、すっかり失くしているようだった。
高屋の経営が上向きなのには、その信一の尽力もあった。信一はせめてものお詫びにと、高屋の商品を、時谷が展開する店舗に置いてくれていた。
高屋の味を気に入り、最近は他店からも商品を使わせて欲しいと依頼を受ける事もある。
店の秘密が分かり、コウシの守ってきたものが分かった今、高屋は新しい道を歩き始めていた。定番のどら焼、そのあんこの味だけは変わらないが、新商品の開発にも力を入れている。純鈴は花純や深悠と共に、新たな挑戦をする事で、少しだけ前を向く事が出来るようになったようだ。
***
ある日、純鈴は大苑屋に試作品を持って行く事にした。この日は高屋が休みで、花純と共に商品開発に挑戦していたのだ。足が思うように動かせないので、自転車には乗らず、車の運転もまだ自信が持てないので徒歩だ。花純が持っていくと言ったが、たまにはしっかり歩いた方が良いと思い、穏やかな昼下がり、大苑屋への道をのんびりと歩いて向かった。
大苑屋は、一年たっても変わらない繁盛振りだ。その上、高屋まで手伝ってくれているのだから、深悠には頭が上がらない。
大苑屋に着くと、すぐに深悠が出迎えてくれた。先に連絡を入れていたから、玄関で待っていてくれたようだ。
「大丈夫か?疲れたろ、ちょっと休んでいきな」
「ありがとう」
優しく手を差し出す深悠に、純鈴は礼を言いながらその手に手を重ねた。
深悠の変わらず優しい手に、ふと感慨深い思いが巡る。この手に触れる度、どきどきしていた。大苑屋に来ては胸を高鳴らせていたのが、随分遠い日のように感じる。
こんな風に、何度も助けてくれたな。
頭の中で、深悠との思い出が甦る。その中で、幼い頃、家を飛び出した純鈴を迎えに来てくれた事を思い出した。
「そう言えば…」
言いかけて、あれ、と、言葉を止めた。あの時、純鈴を助けてくれた手が、記憶をまたいで、ランが公園に迎えに来てくれた時の記憶と重なった。
「どうした?足が痛む?」
固まる純鈴に、深悠が心配そうに顔を覗き込むので、純鈴は慌てて首を横に振り、足元の段差を乗り越えた。
通されたのは、通い慣れた応接室だ。テーブルの上には、深悠がいれてくれたお茶と、純鈴の持ってきた試作品が並んでいる。
試作品は、爽やかなレモンクリームのどら焼だった。生地も、季節や味の変化に合わせて変えてみたつもりだ。
「うん、味はそんなに…ただ、なんだろう、どうしても比べちゃうな…」
「だよね。超えるのは無理でも、どうしたら義父さんのどら焼と並べるんだろう…」
「コウシさんも、一体どこで身につけたんだろうな…長生きな分、沢山勉強したのかな」
深悠は懐かしそうに目を細めた。
「…ランさんの事、何か聞いてない?」
コウシの事を思えば、自然とランの姿が思い浮かぶ。
あれから、ランが亡くなったにしても、遺体も遺品も何一つ見つからないという。それなら、もしかしてどこかで生きているんじゃないか、そんな希望を抱いてしまう。
「…何も。その…届けは出してないんだよね」
「…出せないよ」
届けとは、離婚届けの事だ。離婚なんてするものかと、破って捨てようかとも思ったのだが、そこに書かれているのがランの文字だと思うと、出来なかった。
純鈴は、何もなくなった左手の薬指に触れた。
「…一人で勝手だよね、本当」
呟く純鈴に、深悠は視線を伏せたが、それから気を取り直して顔を上げた。
「もしかしたら、ひょっこり帰ってきたりしてね。だって分からないよ、彼は普通の人間より丈夫で、寿命だって、恐らくまだまだ先だろ?ヤブキ君達が探して見つからないなら、可能性はあるんじゃない?」
「…そうかな」
深悠は、ぽんと純鈴の頭を撫でた。
「きっと、すぐに迎えに来るよ」
そう眉を下げる深悠に、その気持ちが嘘でも嬉しくて、純鈴は表情を和らげ頷いた。




