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さよならのプロポーズ  作者: 茶野森かのこ


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さよならのプロポーズ60


***



この一年、病院を退院してからも純鈴(すみれ)は塞ぎ込む日々を過ごしていたが、高屋(たかや)の経営状況は少しずつ上向いていた。


母の花純(かすみ)が奮闘し、深悠(みはる)大苑屋(おおぞのや)の料理人が時折やって来て、店を手伝ってくれていたのだ。純鈴がコウシのどら焼の味を再現出来たので、その純鈴のレシピを頼りにどうにか作る事が出来たようだ。


時谷(ときたに)も高屋からは手を引いた、今では寂れた商店街と、そこで経営を続ける高屋のこの先を共に考えてくれている程だ。




高屋の庭には、今もヤチタカの木がある。この木の守り番の証でもあるペンダントは、一年前、信一(しんいち)の手から純鈴へと返却された。


再び純鈴が島から戻ってきた一年前に話は戻るが、純鈴が病院に入ったと知り、一足早く島から戻っていた信一は、すぐに病院へと駆けつけたという。本当は深悠と共に病室の前まで来ていたというが、病院の中で泣き崩れる純鈴の声を聞き、顔を合わせる事が出来なかったという。


二人が顔を合わせたのは翌日、連れて来たのはヤブキだった。


「あなたどういうつもりですか!」


信一を見るなり声を張り上げたのは、花純だった。怒りを顕にするのも当然だ、信一は娘を傷つけた張本人なのだから。


「ちょっと、母さん、」

「純鈴は黙ってなさい!」


ふわふわといつもは可憐な花純も、この時ばかりは強い母となる。こんな母の姿を見た事がなく、純鈴も戸惑っていた。


「純鈴はね、今までみたいに歩けなくなるかもしれないんですよ!ラン君を庇って!そもそもあなたがおかしな事を考えなきゃ、だれもこんな辛い思いをしなくてすんだんですからね!」


花純は感情が溢れて零れそうな涙を押し殺し、項垂れる信一に詰め寄っていく。その母を、純鈴が止めた。


「…その人、分かってるよ、もう」


片足を引きずりながら歩み、力なく掴む娘の手に、花純はその先を言葉に出来なかったようだ。そのままくしゃりと表情を歪めると、片手で顔を覆い、純鈴の体を支えてくれた。けれど、純鈴がその背に手を回せば、支えているのは自分のような気がした。一体どれ程心配を掛けたのか、その母の思いが伝わってくるようで、申し訳なさに胸が痛かった。


「…申し訳ありませんでした」


深く頭を下げる信一は、まるで別人のようだった。自信に満ちた声は弱々しく掠れ、これが芝居でも何でもない事は、付き合いの短い純鈴にも分かる。何故だか、傍らにランがいるような気がして、純鈴はぎゅっと手を握りしめた。


「…私の事は…この足は、事故ですから」


そう呟くと、信一は勿論、花純も戸惑った様子で顔を上げた。


「何言ってるのよ、純鈴」

「たまたま私の足にナイフが刺さっただけだよ、あれはランさんに向けられたものだったんだから。私は、ランさんを守りたかっただけだから」

「それでも、この人達はあなた達にとんでもない事をしてきたんでしょ?そうじゃなくたって、純鈴を襲わせたじゃない!母さんは許せない!この事は警察にいって、」

「それは駄目だよ!絶対やめて!」


純鈴は慌てて花純に縋った。その様子に、信一は再び戸惑いを見せた。


「…私も、そのつもりでした。ランに向けたナイフでも、邪魔をすればあなたを刺す気で…いましたから」

「だとしても、責めません。これ以上大事にしたくないんです…ランさんが守った意味がなくなったら、どうするんですか」


絞り出すように言う純鈴に、信一も花純も瞳を揺らし言葉を噤んだ。


「その可能性、あるでしょ?もし警察に行って、何かの拍子に島の事が漏れてしまったら?こっちから話さなくても、分からないじゃない、だってあなたは時谷の社長でしょ?警察になんか行ったら、どこでどんな話が漏れるか分からないよ」


純鈴は不安にヤブキを見上げた。


「島の事、今は何も騒ぎになってないんでしょ?」

「うん。確かに島の火災を知ってる学者や記者もいるようだけど、触れるのもタブーな事だと分かっている人達ばかりみたいだ。何も知らずに原因を調べようとすれば、そんな話も耳に入るだろ。船の事だって、時谷が動かしてると分からないよう根回しはしてあったみたいだしね」


ヤブキがちら、と信一を見ると、信一は所在なく瞳を揺らした。ヤブキの瞳は、言葉とは裏腹に冷静ではなかった。だがそれは、信一に向けた怒りだけではない、きっと、自分自身に向けた怒りでもあるように思う。

ランを引き止められなかった事、ランを失って、せめてランの覚悟だけは守りたいと思っても、その本人がいない事にやるせなさを覚え、また自分を責めて。ヤブキもそんな思いでいるのではないかと、純鈴は感じていた。


「ヤチタカの島には、政府も絡んでる。昔、ヤチタカを調べ上げようとしたのは、豪商達の力だけじゃないからね。そっちでも騒がせないように、色々と動いてるんじゃないかな。ただ、あんたが警察に行くとなると、嫌でも世の中の関心が向く。暗黙の了解じゃきかなくなるだろうな」


だが、それでも信一は戸惑っているようだった。


「…私は…しかし、…いや、ならば、どう償えば良い。あなたの足を傷つけた事を思えば、手の震えが止まらないんだ」


頭を抱える手は震え、信一はずっと顔を上げられないでいる。


「私は、下手すれば、あなたの言ったように人を殺める所だった。あなただって、下手すれば出血多量で…」


命を落としていたかもしれない、その先を信一は言葉に出来ずに、唇を噛みしめた。


「あの時、我に返った。ランを使って何をしようとしていたのか、自分が恐ろしくなった。娘の為だと思いながらも、現実から逃げていたんだ、こんな私が娘の前に立てる訳もない、罰せられて当然じゃないか」


片手で髪を掻きやり、それからは謝罪を繰り返すばかりの信一に、そのすっかり変わってしまった姿に、純鈴は戸惑い瞳を伏せた。

それでも、純鈴の思いは変わらない。


「…でも、事故です。ランさんも、あなたが命を奪った訳じゃない。ランさんが、選んだんです」


ぽつぽつと、感情を押し殺しながら、純鈴は信一に思いを伝えた。もし、あのボタンを押したのが信一だったら、全部信一のせいにしてしまえた。苦しみも悲しみも、それをぶつける相手も、責める相手も、ここにはいない。


「…後悔があるなら、守って下さい、あの島を」

「…しかし、あの島はもう…」

「歴史が途絶えた事を真実として、守る事を手伝って下さい。時谷さんは、ずっと守ってきたんでしょ?それに、広い島でした。全土が焼けた訳じゃない筈です。これからは、ただの無人島として、あの島を見守る事を手伝って下さい」


お願いします、そう純鈴は信一に頭を下げた。

信一の後悔は見てとれたし、ヤチタカに関わる事で、これ以上揉めたり苦しんだりしたくなかった。

それは、ランが一番望んでいた事のように思うから。純鈴は、ランの思いを繋ぐだけだ。

信一は呆然と純鈴を見つめ、純鈴の申し出に頷くと、その場で崩れ落ち、暫く立ち上がる事が出来なかった。




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