さよならのプロポーズ59
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純鈴達の船は、予定通り近くの島に船を向かった。島に着く頃には、純鈴は意識を失っており、その時の話は後からヤブキに聞いたものだ。
その島は有人島で、医者もいた。ヤチタカの島影を遠く臨める島なので、突然ヤチタカの山が燃え始めた事に島民も気づいている。皆、何が起きたのかと不安を覚えていたようだ。
その中、ヤブキ達は仲間の手引きにより、島民には目につかないように、島の裏手からこっそりと上陸した。仲間とは医者の女性のようで、この島で、ヤチタカを見守ってきた一人だという。純鈴や迅の傷は、女医と助手の青年の二人で大慌てで治療を施してくれた。
しかし、いくらこっそり上陸したとはいえ、小さな島だ、誰にも気づかれない訳はない。ヤチタカの異変と結びつけて不安がる島民達には、彼女達が話をつけてくれたという。他の島に向かう途中、海難事故に遭い、急遽この島にたどり着いたと。純鈴の足にはナイフが刺さったままだったが、上着を被せて隠していた為、周囲は怪我だと思ってくれたようだ。何より、女医の信頼が高いのか、島民達は意外にもすんなりとその話を信じて、純鈴達を受け入れてくれた。
その日は、もう夜も遅いので、診療所で世話になる事になった。純鈴が目を覚ます事はなかったが、その夜、ただ悲しい夢を見ていた事は覚えている。止めどなく溢れる涙は、痛みのせいでも、発熱のせいでもない。
夢の中でも、純鈴はランの手を掴む事が出来なかった。伸ばしてすり抜ける手にはっと目を覚まして、そして現実を目の当たりにする。
左手の薬指に、その指輪がない事。なのに、ランの温もりが、まだ指先に残っている気がする。たった二日、それでも純鈴の指には指輪があった。嘘でも、間違いなくここにあったのに。
純鈴は受け止めきれない現実に、その手を抱き寄せ、ただ涙するしかなかった。
朝を迎えて、島民達は誰一人としてヤチタカの事を口にする事はなかった。遠く見える島からは煙が立ち込めている、それを見ても、不安を口にする事すら躊躇っているようだった。
ここでも、皆がヤチタカを恐れているのだろう。その恐れが、全てを忘れてしまおうとしているようで、ランの事も初めからいない人のように扱われるような気がして、純鈴はただそれが辛かった。
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無事に本土に帰ると、純鈴はすぐに入院となった。傷の具合が思わしくないらしいが、医者の話は、上手く頭に入ってこなかった。隣で母の花純が、純鈴の代わりに懸命に話を聞いてくれている。
以前のようには歩けないかもしれない、そう医者は言っていたが、そんな事どうでも良かった。ただ、ランが居ないまま時間はどんどん過ぎていく事に、純鈴はこの時になって焦りを覚え始めていた。
ランがいないまま、日常を進めるなんて純鈴には出来やしなかった。
「純鈴ちゃん、駄目だ動いちゃ!」
病院のベッドになんて居られない、花純やヤブキの制止を振りほどき、純鈴は片足を引きずりながら病室を出ようとしていた。気持ちが不安定な事もあり、部屋は個室が宛がわれていた。
「離して!だって私は、一緒にって言ったのに!ランさんを迎えに行かないと!」
「純鈴ちゃん!落ち着きなって!」
「落ち着けるわけない!」
純鈴はヤブキの腕を振り払おうとするが、力が入らず、そのまま床に座り込んでしまった。泣きたくもないのに、ぼろぼろと涙がまた溢れてくる。気持ちが追いつかない、どうして帰って来てしまったのかと混乱する。置いてきてしまったと、目の前で炎に呑まれていくランを思い出しては、体が震えた。
「…落ち着いてなんて、いられない」
「…俺だって悔しいよ」
「嘘だよ!どうして止めてくれなかったの!どうして、私を置いてきてくれなかったの!」
純鈴はヤブキに拳を叩きつけるが、ヤブキはただそれを受け止めるだけだ。その顔が悲しく歪んでいる事も、悔しく唇を噛みしめている事も、その理由も分かっている。
これが八つ当たりでしかない事も、純鈴だって分かっている、それでも止められない事を、ヤブキも理解してくれているようだった。
ヤチタカの島から離れる時、暴れて船の外に出て行きそうな純鈴を、ヤブキが懸命に引き止めてくれた事、唇を噛みしめ、顔を涙でくしゃくしゃにしながらも、その両手を純鈴の為に使ってくれていた事。
分かっている、だから、辛い。
「…どうして、」
純鈴が俯けばカラリと戸が開いた。そこには、深悠がいた。純鈴は深悠の姿を見留めると、再び顔をくしゃと歪めた。
「…なんで、黙ってたの。深悠さんも、知ってたの」
深悠はヤチタカの事もランの事も知っていた、ランの離婚届を預かっていると言っていた。ランが島に残る事、自分も消える事でヤチタカの歴史を終わらせようとした事、それも知っていたのだろうか。
「…ごめん、帰ってくると思ってたんだ」
「…何それ、何なの、何で…」
いくら気持ちをぶつけた所で、ランは帰って来ない。ちゃんと引き止めてよ、なんて、純鈴が言える筈もない。目の前でランの手を掴めなかったのは、他でもない純鈴自身だ。
床に崩れる体を、深悠は掛ける言葉なく支えた。ついこの間まで、あんなに焦がれていたのに、この腕では、もう純鈴の心を埋めてはくれない。
どうしてランがここにいないのだと、純鈴はどうにも出来ない思いを抱えるしかなく、涙を止める術も知らなかった。
仲間を失ったランも、こんな気持ちだったのだろうか。いや、こんな気持ちでは比べものにならないのかもしれない。だとしたら、ランはなんて強いんだろう、ランだけじゃない、ヤブキだって、それから義父のコウシだってと純鈴は思う。
そんな風に考えられるまで、気づけば一年の月日が過ぎていた。それだけの時間が必要だった。
塞ぎ込み、このままでは駄目だと思えば更に焦って、また落ち込んでを繰り返し、純鈴はようやく少しだけ顔を上げる事が出来た。
それでも、傷が癒えた訳ではない。




