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さよならのプロポーズ  作者: 茶野森かのこ


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さよならのプロポーズ57



純鈴(すみれ)さん、」

「…こんなんじゃ、人殺しになっちゃいますよ


ランが呆然と呟いた矢先、純鈴のくぐもった声が聞こえる。純鈴の手は信一(しんいち)の腕をしっかりと掴んでおり、信一は間近に純鈴の顔を見下ろして硬直していた。その手の先にはナイフが握られ、それは深々と純鈴の右の太ももに突き刺さっていた。


「娘さん思いのお父さんじゃないですか、ランさんに手をかけたら娘さんが悲しみます。それで生き永らえて、娘さんは喜べますか?治療方を探しましょう、これ以上、誰かを傷つけないで下さい」


ぎゅっと純鈴は、信一の腕を強く握った。視界には、信一の揺れ動く瞳だけが映っている。息を吸うのも苦しい位、じくじくとした痛みが全身に駆け巡り、怖い程心臓が脈打っているのを感じるが、この息が吸えなくなっても、心臓が止まろうとも、今この手を放してはならないと、純鈴は必死の思いだった。

今この手を放して、このナイフがランに向かったら。傷はすぐに塞がるかもしれないが、隙をつかれて捕らわれてしまったら。これ以上ランが苦しむくらいなら、自分が傷ついた方が良い。

今、ランを守れるのは、自分しかいない。

純鈴はぎゅっと唇を噛みしめ、必死にその腕に掴まっていた。

力を込めれば、ナイフが深く傷を抉るような気がして、どくどくと血が溢れていくみたいだ。痛みが全身を脈打ち、訳が分からず叫びたくなっても、この思いだけは伝えなくてはならない。


「ランさんを、もう傷つけないで、」


酷い事しないで、奪わないで、苦しませないで、悲しませないで。


「お願い、ランさんを、傷つけないで」


言いたい事はいっぱいある筈なのに、頭が回らない。こんな言葉でしか伝えられない。

悔しくて、それでも思いを伝えたくて、ぎゅっと掴んだ筈の手が、何故か信一の腕から離れていく。感覚が麻痺してるのだろうか、力が入っていない事に純鈴は気づけず、そのままだらりと腕が脱力すれば、は、と息を吸い、信一はナイフから手を放し、後ろへ倒れこんだ。それでも信一は純鈴を見つめている。呆然と、震える手を地面につけば、純鈴の血がその指先を掠め流れていった。


「純鈴さん!」


倒れ込む純鈴を、ランは血相を変えて後ろから抱き留めた。

ヤブキは押さえた胸から呆然と手を離した。血を流した傷が塞がっていたが、誰もヤブキの傷には気づいていないようだった。


「…なんだよ、」


いくら傷が治る体だって、肝心な時に動けないようでは何の役にも立たない。ヤブキは顔を上げられずにいたが、それでも立ち尽くしている訳にいかない、すぐに純鈴へと駆けようとして顔を上げると、山が視界に入った。雨が降りだしたとはいえ、炎の勢いの方が強い、山の斜面を木々が雪崩落ちていく音が雨によって掻き消される。炎が山を飲み込もうとしていた。

ヤブキは呆然と立ち尽くしている社員達を振り返った。


「お前ら、社長を担いで早く船に戻れ!」


そう大声を張ると、社員達がはっとした様子で銃を構えたが、ヤブキは臆する事なく彼らに駆け寄り、その銃口を握りしめ社員達をねめつけた。


「さっさとしろ!あの火が見えないのか!この程度の雨じゃあれは鎮火しないぞ!」


ヤブキの怒声に弾かれたように社員達は互いに顔を見合せると、急いで信一の元へ駆け寄った。信一は社員達に担がれるように立ち上がり、彼らは逃げるように森へと消えていく。信一は抵抗する素振りも見せなかった。港の方へ目を向ければ、煌々と明かりがついているのが見える。大きな照明はそのまま残っているので、彼らが道に迷う事はないだろう。

ヤブキは彼らが森に消えたのを見届けて、ラン達の元へ駆けた。


(じん)、傷は」

「問題ありません、それより純鈴さんが」


ヤブキに答えながら、迅は心配そうに純鈴を見やる。迅は肩を撃ち抜かれたようだ、血を流して顔も青くなっているが、その瞳はしっかりしている。ヤブキは一先ず、ランと純鈴へと視線を向けた。


「坊っちゃん、純鈴ちゃんを、」


傷を確認しようとするヤブキだったが、ランが取り乱した様子で純鈴に声を掛け続けるので、思わず声を詰まらせた。


「純鈴さん、しっかりして下さい!純鈴さん!」


純鈴は傷の影響か、意識を失っていた。溢れる血が、その顔色を更に青くさせているのだろう、ヤブキはランの肩に掴みかかった。


「ラン、お前がしっかりしろ!王子だろ!」


その声に、ランがはっとして顔を上げる。狼狽える瞳は、まだ焦点が定まっていない、深く底のないような緑色が、急に濃度を薄くしては濃くしてを繰り返している、まるでランの心情を表しているようだった。


こんな瞳を、過去に何度見たかしれない。


この島で、次々と人が浚われ、その中を懸命に逃げてきた。ランは後ろを振り返ってばかりで、誰かの悲鳴を聞く度に足を止め、その手をコウシとヤブキが引いて懸命に走った。まだ子供だったランは、その後暫く心を病み、誰とも関わろうとしなかった。

その時と、ランは同じ顔をしている。

ヤブキはぐっと気持ちを飲み込んで、そっと声を掛けた。


「傷を、せめて止血しないと、純鈴ちゃんが辛いだけだ」


ランの視線がしっかりとヤブキに重なる、濃度を変えていた瞳の変化が僅か和らぎ、ランはまだ混乱しながらもそっと純鈴の体を放した。ナイフは深々と純鈴の太ももに刺さったままだ。ヤブキは自分のシャツを裂くと、一先ず純鈴の足に巻き付けた。足にナイフが刺さったのは、信一が座り込んだラン目掛けてナイフを振りかざしたからだろう。

ヤブキが振り返ると、迅も自身の肩に布を巻き付けていた、目が合うと大丈夫だと頷くので、ヤブキもそれを信じて頷き返した。


「早く船に向かおう、ラン頼む」


ランは頷きながら、純鈴の体をそっと抱えた。ヤブキは迅を支えて立ち上がらせると、ヤブキの先導で東の港へ向かい始めた。



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